女性記者の遺体に隠せぬ拷問痕、眼球など摘出し証拠隠滅か…最期究明へ取材「裁き与えるまで調査続ける」
ロシアによるウクライナ侵略で犠牲者が増え続ける中、露側で拘束中に命が尽きた捕虜や市民は「遺体交換」で返還されている。無言の帰国を果たした遺体には、ロシアで受けた拷問の痕跡など、戦争犯罪の手がかりも残されている。(キーウ 倉茂由美子)

占領下の人々を取材中にロシアに拘束され、死亡したウクライナの女性ジャーナリスト、ビクトリア・ロシチナさんのひつぎの前で涙を流す女性(8日、キーウで)=冨田大介撮影
ウクライナの首都キーウの教会に8日、多くの報道陣が詰めかけた。この日行われていたのは、ウクライナ人記者ビクトリア・ロシチナさん(当時27歳)の葬儀だった。
ロシチナさんは2022年、米国拠点の「国際女性メディア財団」の「勇気あるジャーナリズム賞」を受賞するなど、ウクライナ侵略での報道が国際的に評価されていた。23年8月、露占領下の南部ザポリージャ州エネルホダルで取材中、露当局に拘束され、収容中に死亡したとされる。
ロシチナさんの死は、露国防省の公表で昨年10月には明らかになっていたが、今年2月の遺体返還後にさらに注目が高まった。遺体に不審な点が数多くあったからだ。
遺体の入った袋には「身元不明の男性」を示す「NM」と記載されていたが、DNA鑑定などで女性のロシチナさんだと判明。長かった髪はそられ、脚にはやけどや切り傷があり、 肋骨(ろっこつ) は折れるなど、明らかに拷問を受けた傷があった。
さらに、脳や眼球、気管の一部が摘出されていた。絞殺された際、その痕跡が残るとされる部位だった。
死の真相解明に取り組む記者の一人、ヤニナ・コルニエンコ記者(28)は語る。「遺体の欠損で死因特定は阻まれたが、絞殺の証拠隠滅が図られた可能性が高い」
困難を極めた調査
ウクライナの女性記者ビクトリア・ロシチナさん(当時27歳)の遺体が今年2月、数々の拷問の痕が残された状態で返還されると、調査報道に取り組む記者らは、その最期を明らかにしようと調査を進めた。だが、露占領下での情報は限られ、調査は困難を極めた。

ビクトリア・ロシチナさんに加えられた拷問に関して調査しているヤニナ・コルニエンコ記者(11日、キーウで)=冨田大介撮影
「彼女はいったいどこで何をしていたのか。最初は雲をつかむような状況から始まった」。調査報道チームのヤニナ・コルニエンコ記者(28)はこう振り返る。フリー記者のロシチナさんは2023年7月、取材の目的や場所などを誰にも告げずに出発していた。
露占領地の住民らから目撃情報を集めるうち、行き先はザポリージャ原子力発電所が位置する南部ザポリージャ州エネルホダルだったことがわかった。原発職員らが相次いで行方不明になっており、その実態を探ろうとしていたという。そしてまもなく、ロシチナさん自身も拘束された。
収容先の一つ、露西部タガンログの刑務所で同房だった女性も見つかり、ロシチナさんが受けてきた拷問の詳細が明らかになった。
一層危険な状況になるにもかかわらず、ロシチナさんは自身を「記者」と名乗った。体のあちこちがナイフで切られ、電気ショックによる暴行も受けたという。
不衛生な食事は食べることができず、体重は激減し、1人では起き上がれないほど衰弱した。それでも、露側のプロパガンダ映像への協力はかたくなに拒み続けた。人権監視団の視察時には別の部屋に隠され、「どこにも存在しない幽霊のような状態で拘束されていた」(コルニエンコ記者)。
最近、調査には新たな展開があった。タガンログの後に、さらにロシア奥地の刑務所に移送されていたことがわかった。
ロシチナさんは当初、捕虜交換リストに名前があったとされていたが、奥地への移送は露側にその意思がなかったことを意味するという。コルニエンコ記者は「最終的に死に至らしめた者はそこにいる。実名で責任の所在を追及し、司法の裁きを与えるまで調査を続ける」と決意している。
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露占領地では、情報を探り記録しようとする記者の存在は「脅威」とされ、取材は極めて危険だ。ロシチナさんからの寄稿記事を掲載していた「ウクライナ・プラウダ」のイブヘン・ブデラツキー副編集長(40)は、「思いとどまるよう何度も説得を試みた」と明かした。
だが、ロシチナさんは、「ほかに誰が行くのか。誰にも聞かれない人々の声を聞くのが、私の使命だ」と、決意は固かったという。

ロシチナさんと連絡を取り合っていたウクライナ・プラウダのイブヘン・ブデラツキー副編集長(12日、キーウで)=冨田大介撮影
同社内では、これほどのリスクを記者に負わせることはできないと、ロシチナさんの寄稿掲載の是非について激しい議論となったという。だが、最終的には「彼女の行動は止められない。こちらから仕事を課すことは一切しないという条件で折り合った」。
懸念は現実のものとなった。ブデラツキー氏は、「心が揺さぶられる強烈な記事がなければ、その問題は忘れられ、解決への力に結びつかないという報道の残酷な現実もある」ともどかしさを語る。ロシチナさんが残した未掲載の原稿も、今後公表していくという。