「魂を売るのか」中国自動車産業のジレンマ:紅旗とHUAWEI、避けられなかった提携の背景

「魂を売るのか」中国自動車産業のジレンマ:伝統と革新の狭間で下された決断, 紅旗のプライドとHUAWEIの「呪縛」:なぜ提携が難しかったのか, なぜ「魂を売る」決断に至ったのか:市場の残酷な現実, 「技術の呪文」が意味するもの:HUAWEIの4つのコアソリューション, 中国自動車産業の「大一統」時代へ

「魂を売るのか」中国自動車産業のジレンマ:紅旗とHUAWEI、避けられなかった提携の背景

皆さんおはようございます。中国深セン在住の吉川です。

最近は日本からのお客様との打ち合わせが増え、深センの活気や目まぐるしい変化を肌で感じていただく機会が増えてきました。初めて深センを訪れる方々は、ビルの高さ、街を行き交う電気自動車の多さ、そして人々のエネルギッシュな姿に圧倒されるようです。

特に、街中で当たり前のように見かける自動運転タクシーや、スマートに進化し続ける自動車の数々に、日本の自動車産業に携わる方々は強い関心と危機感を持たれています。今回は、まさにその中国自動車産業の最前線で起きている、大きな変化について掘り下げていきたいと思います。

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「魂を売るのか」中国自動車産業のジレンマ:伝統と革新の狭間で下された決断

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中国の自動車産業で長らく囁かれてきた一つの問いがついに決着を迎えました。それは、「HUAWEIに魂を売るのか」という究極のジレンマです。この問いは、単なるビジネス上の決断を意味するものではなく、中国の伝統的な自動車メーカーが、ソフトウェアとエコシステムが主導する新しい時代へと移行する上で、いかに自社のアイデンティティと未来を両立させるかという、重いテーマを象徴しています。

そして今回、その答えを出したのが、中国の「国車」として威厳を保ってきた、一汽傘下の高級ブランド「紅旗」です。彼らがHUAWEIとの全方位的な提携に踏み切ったことは、中国自動車市場の勢力図が根本から塗り替わろうとしていることを示しています。

本稿では、なぜこの提携が「魂を売る」とまで表現されるのか、その背景を深く掘り下げ、中国自動車市場の「今」と、そこから日本のビジネスリーダーが学ぶべき重要な視点について考察します。

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紅旗のプライドとHUAWEIの「呪縛」:なぜ提携が難しかったのか

まず、この話の主人公である紅旗について少しお話しさせてください。紅旗は、1958年に第一汽車集団(一汽)によって設立されて以来、歴代の国家指導者や要人のための公用車として生産されてきました。その歴史は、中国の自動車産業の誇りそのものであり、単なる高級車ブランドではなく、国の象徴としての特別な地位を確立しています。

しかし、その特別なプライドこそが、長らくHUAWEIとの提携を躊躇させてきた最大の理由でした。なぜなら、HUAWEIは単なる部品サプライヤーではなく、自動車メーカーに「乾崑智駕(ADS)」や「HarmonyOS」といった先進的なスマートソリューションを提供する、自動車業界のGoogleのような存在だからです。HUAWEIと組めば、間違いなく技術的な優位性を手に入れられます。しかし、その代償として、自社のブランドアイデンティティや、車の「魂」とも呼べる中核的な制御システムをHUAWEIのエコシステムに委ねることになります。これは、これまで自社で全てをコントロールしてきた伝統的なメーカーにとっては、まさに「魂を売る」ような、受け入れがたい決断だったのです。

この懸念は、紅旗に限ったことではありませんでした。過去に、中国の自動車大手である上汽(SAIC)は「HUAWEIと組めば魂を失う」と公に発言し、広汽(GAC)も「HUAWEIと組んでも儲からない」と不満を漏らしています。これらの発言は、HUAWEIの圧倒的な技術力が、提携先のメーカーを単なる「ハードウェア製造者」に変えてしまうという、業界全体に広がる不安を象徴していました。と言いながらも上汽はHUAWEIと提携し、2025年4Qには両社で生み出された300万円程度のEVが販売される予定です。

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なぜ「魂を売る」決断に至ったのか:市場の残酷な現実

HUAWEIとの協業が、ブランドとしての主導権をHUAWEIに明け渡しかねないリスクを伴うにもかかわらず、紅旗がこの道を選んだ背景には、中国自動車市場のあまりにも残酷な現実がありました。

2024年に中国の新エネルギー車(NEV)普及率が50%近くに達している中、紅旗の電動化とスマート化への移行は、競合に比べて明らかに遅れをとっていました。

【2025年版】中国の電気自動車(EV)普及率、普及拡大の取り組みとは |EV充電エネチェンジ

一方、HUAWEIと協力した問界(AITO)は、スマート化技術を武器に月間販売台数が1万台を突破し、快進撃を続けています。また、東風汽車傘下の嵐図(FREE、とりわけミニバン「夢想家」がヒット)も販売台数を伸ばし、市場での存在感を高めていました。これらの成功事例は、技術的な遅れが市場での敗北に直結することを証明しました。

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伝統的な高級車ブランドとして、内燃機関では確固たる地位を築いてきた紅旗ですが、新しい潮流であるEVやスマートカーの分野では、まさに「製造」という過去の強みが、逆に足かせとなってしまっていました。このままでは、ブランドとしての未来が危うくなる。紅旗にとって、今回の提携は、過去の栄光に固執するのではなく、「製造」というハードウェアの強みから、「エコシステム」という未来の戦場へと、根本的な戦略転換を図るための、避けられない選択だったのです。それは、ブランドの誇りを守りつつも、市場での生存を最優先するという、苦渋の決断だったと言えるでしょう。

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「技術の呪文」が意味するもの:HUAWEIの4つのコアソリューション

今回の提携で、紅旗の新しいEVモデル「9系」に搭載されるHUAWEIのソリューションは、単一の技術ではなく、車の「魂」を根本から作り変える、相互に連携する包括的なシステムです。この「呪文」を理解することが、「魂を売る」という言葉の真意を読み解く鍵となります。

1. 乾崑智駕(ADS):車の「脳」となる自動運転システム

このシステムは、車の「脳」に当たる部分です。高度なセンサーとAIチップを組み合わせることで、複雑な市街地や高速道路での自動運転を可能にします。車の判断をAIが握ることは、ブランド独自の運転フィールや安全哲学をHUAWEIに委ねることを意味します。これまで各メーカーが独自に開発してきた運転の楽しさや安心感が、HUAWEIのシステムによって標準化されてしまう可能性を秘めています。

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2. HarmonyOS Cockpit:車内の「デジタル中枢」

これは、車内の「デジタル中枢」となるスマートコックピットです。HUAWEI独自のOS「HarmonyOS」をベースにしており、ナビゲーション、エンターテインメント、通信といった機能を統合します。これにより、車内体験の全てがHUAWEIのエコシステムに組み込まれ、ユーザーデータをHUAWEIが管理することになります。まるで、日本のトヨタの車に、スマホのiPhoneのOSやアプリが完全に組み込まれ、トヨタはただ車体を作るだけ、というイメージに近いかもしれません。

3. 乾崑車載制御:車の「心臓部」を握るシステム

これは、車のハードウェアを制御する「基盤システム」です。ブレーキ、サスペンション、ステアリングといった車の主要機能を、ソフトウェアで精密に制御します。これにより、車の「心臓部」である走行性能の制御権の一部をHUAWEIが持つことになります。日本の自動車メーカーが長年培ってきた、乗り心地やハンドリング性能といった「走りのこだわり」が、ソフトウェアによってHUAWEIに左右される構図が生まれるのです。

4. 乾崑クラウドサービス:常に学習し続ける車の「クラウド頭脳」

これは、車の「クラウド頭脳」とも言えるサービスです。車の走行データをクラウドで分析し、リアルタイムで地図情報やソフトウェアのアップデートを行います。このサービスによって、車は常にHUAWEIのクラウドと接続され、学習し続ける存在となり、車の進化の主導権をHUAWEIが握ることになります。メーカーは、一度車を販売したら終わりではなく、クラウドを通じて常にアップデートを続けるHUAWEIのシステムに依存せざるを得なくなります。

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中国自動車産業の「大一統」時代へ

紅旗のHUAWEI参入は、「魂を売る」というリスクを承知の上で、市場での生存を賭けた最終的な決断です。この提携は、中国自動車市場の大きな転換点を象徴しています。これまでの「群雄割拠」状態から、ついに「大一統」時代へと突入したのです。

なぜなら、中国の主要な6大自動車グループ(一汽、東風、長安、上汽、広汽、北汽)がすべてHUAWEIとの協業を選択したからです。これにより、HUAWEIの技術は中国の主要な自動車ブランドの90%以上をカバーすることになり、事実上の業界標準となりつつあります。

今後の市場は、BYDのようにバッテリーから自動運転システムまで全てを自社で開発する「フルスタック自社開発」陣営と、HUAWEIの技術を取り入れることで競争力を高める「HUAWEIエコシステム」陣営の二つの陣営に分かれていくでしょう。

この動きは、日本のビジネスリーダーにとって、中国市場を理解するための重要なヒントを与えてくれます。それは、以下の3点です。

技術革新のスピードへの適応力: 中国市場では、技術トレンドの変化が非常に速く、従来のやり方やプライドに固執していては、すぐに市場から取り残されてしまいます。

大胆な企業間連携: 業界の垣根を越えた大胆な協業が、新しい価値を生み出しています。自社だけで全てを抱え込むのではなく、外部の優れた技術を積極的に取り込む姿勢が求められます。

価値の源泉のシフト: これまでの「ものづくり」から、「ソフトウェアとエコシステム」へと、ビジネスの価値の源泉がシフトしている現実を直視すること。

この変化をいち早く捉え、自社の強みを活かした戦略を立てることが、今後のグローバル競争を勝ち抜く鍵となるのではないでしょうか。

来週も中国の最新情報をお届けします。どうぞお楽しみに!