両親は実の親じゃなかった。67年前に産院で取り違えられた男性。「出自を知りたい」
2021年11月の提訴後、記者会見に臨む江蔵智さん
自分の母親は、生みの親ではないかもしれない。父親も血がつながっていないようだ―。
江蔵智さん(67)は1997年、アイデンティティーが揺らぐ出来事に見舞われた。きっかけは入院した母の血液検査。母親はB型と知った。父はO型。江蔵さんはA型で、両親からは生まれることがないはずの組み合わせだ。
その7年後、家族で受けたDNA型鑑定の結果が、疑念を確信に変えた。専門家からこう告げられた。「あなたの体にはお父さん、お母さんの血は一滴も流れていない」。自分はどこから来たのか。(共同通信=江森林太郎、渡辺顕子)
※筆者が音声でも解説しています。「共同通信Podcast」でお聴きください。
▽違和感
江蔵さんが生まれたのは1958年4月。思い返すと、幼い頃から違和感はあった。家族でテレビを見ていても、泣き笑いする場面が違う。成長につれ、両親や弟との体格の差も目立った。江蔵さんは父子間の葛藤で、14歳で家を出ていた。そのことも「血筋の違いが影響していたのでは」と感じるという。
では、なぜ親子の血がつながっていないのか。さかのぼること約45年前、墨田区の産院での出生時、トラブルがあったようだと母から聞いた。生後間もなく、他の赤ちゃんと取り違えられたのでは―。すぐに区役所や都に相談した。しかし返ってきたのは「でっち上げ」「母親の浮気では」といった、心ない言葉だった。
江蔵さんは責任を問い、2004年に都を提訴した。産院を都が運営していたからだ。裁判所は取り違えの事実と過誤を認め、損害賠償を命じる判決が確定した。ただ、実の親が分かったわけではない。都に調査を求めたが、断られた。「個人情報」が理由だった。産院は既に閉鎖している。手がかりになりそうなカルテも見つからなかった。
▽自力で調査
都は動いてくれない。江蔵さんはこう考えた。「自分で捜すしかない」。産院のあった墨田区の区役所に足を運んだ。当時閲覧可能だった住民基本台帳から、誕生日の近い男性を調べ出す。他にも、学校の卒業アルバムを確認するなど、思いつく限り手を尽くした。
当時住んでいた福岡県から都内に通う日々。訪問先をピックアップするが、転居している人も多い。それでも訪ねた先は約70~80人に上った。その後、親の面倒を見るため都内に居を移した。「都内23区すべてで捜すつもりだった」と江蔵さんは振り返る。
2021年、実親の調査義務があることの確認などを求めて再び都を提訴した。判決が出たのは今年4月21日。判決文には次のように書かれていた。
「親子関係の根幹に関わる問題で、経過時間や生物学上の親の生存を問わず、出自を知る法的利益は失われない」。都に実親の調査を命じる内容だった。
記者会見で控訴断念を発表した東京都の小池百合子知事
その4日後、小池百合子都知事は定例会見で「原告や関係者に多大なご心痛をおかけし、深くおわびを申し上げる」と謝罪した。判決に対して控訴せず、調査を実施することを明らかにした。
知事の発言を受け、江蔵さんはこう語った。「ようやく一歩進んだ。両親に会えるとの期待が膨らんだ」
▽同意
調査開始が決まり、会見する江蔵智さん
東京都は判決が示した手順で調査を進めている。流れは次のようなものだ。
(1)同じ時期に生まれた人の情報が記録されている「戸籍受付帳」を調べる。取り違えられた可能性がある人を抽出し、現住所などを追跡する。
(2)取り違えられた可能性がある人と接触。江蔵さんの育ての母親とDNA型鑑定を実施するよう、協力を依頼する。
戸籍受付帳を保管する墨田区は5月28日、個人情報保護法に基づき都に受付帳の写しを提供した。これまで、江蔵さんにも、東京都にも開示されてこなかった資料だ。
都によると、200人超の氏名、本籍などの情報を確認できた。性別や現住所などを調査し、取り違えの可能性がある相手を絞り込む作業に着手している。都幹部は写しの提供を受けたことをこう表現した。「調査のスタート地点に立てた」
一方、今後の調査がとんとん拍子で進むとは限らない。DNA型鑑定の協力は相手の同意が必要となるためだ。依頼自体が、相手の生活に大きな影響を与える可能性がある。別の都幹部は「調査でできることは全てやる。ただ相手方の同意が必要な事柄もある中で一筋縄ではいかない」と話す。
▽期待と不安
実親への思いを語る江蔵智さん
もし実親に会えたら何を話したいか―。江蔵さんはこう答えた。「物心が付いてからの僕の人生を話したいし、両親のこれまでの人生やルーツも聞きたい」
ただ、取り違えが判明し、すでに20年以上が経過した。育ての父は約10年前に他界。かつて「一目だけでもいいから実の子を見たい」と望んでいた母は90代になり、認知症が進行している。
「生きているのだろうか。もし会えても、話せる状態なのだろうか」。まだ見ぬ実親と育ての親が「リンクする」という江蔵さん。「あまり期待してしまうと、落胆の気持ちが大きくなる」と、期待を抑えるように自分自身に言い聞かせながら過ごしてきた。
江蔵さんは東京都が控訴断念を表明した後の記者会見でも、決して笑顔は見せなかった。会見でかみしめるようにこう言った。
「私は真実の両親に会いたい。どういう方なのか知りたいという思いです。…亡くなっていても、その辺の情報もしっかりと東京都には調べていただきたい気持ちです」