55歳で校長になった定年間際の人材に学校改革は可能か?公教育に求められる優秀な人材の早期抜擢
年功序列など硬直した人事制度も教育現場の課題になっている(写真:mapo/イメージマート)
民間企業では長時間労働の抑制や在宅勤務の拡大、産休・育休制度の充実など、働き方も大きく変わってきた。その中でいまだ旧態依然とした職場なのが学校だ。少しずつ変わり始めてはいるが、長時間労働と倍率が下がる一方の採用試験、人材不足に伴って質は低下しており、育休明けの女性教員たちと意欲が報われない教員が学校を去っている。
制度は整ってきているものの、教員の職場環境にはその変化の波はなかなか届かず、課題は山積している。教員を取り巻く職場環境の課題と年功序列の硬直した人事制度、時代の変化と教育について庄子寛之氏(ベネッセ教育総合研究所 教育イノベーションセンター主席研究員)に話を聞いた。(聞き手:篠原匡、編集者・ジャーナリスト)
──教員の仕事は長時間労働で子どもや保護者の対応も大変だ、という話はよく聞きます。実際のところはどうなのでしょうか。
庄子寛之氏(以下、庄子):学習指導要領や教科書など授業の土台になるものはありますが、小学校では教員一人の裁量が大きいので、うまく時間をマネジメントできれば、実際はそこまで忙しくありません。
私は3年前まで小学校の教員でしたが、授業の時間を自分で自由に組み立てたり、時には授業の合間に宿題やテストの丸つけをしたりするなど、授業の進め方などは自分である程度、自由に設定できました。
また、小学校は中学や高校に比べれば学習内容も簡単です。1年生ならひらがなを教えるだけで1学期は終わるし、かけ算を教えるツールもあります。そうしたことを考えると、中高に比べて負担は少ないと思います。中休みは子供たちと遊んでいても給料がもらえますし(笑)。ちなみに、給食中は「給食指導」にあたるので勤務時間です。
もちろん教員によりますが、自分のしたいことができる余地はあるし、力の入れどころや手の抜きどころも調整できますので、巷間言われるほど忙しいとは私は感じていませんでした。
──それは意外ですね。てっきり忙しさに押しつぶされているのかと思っていました。
庄子:もちろん時間をうまくマネジメントできればという話で、大変なことは大変ですよ。絶対的に人が足りませんから。今の学校現場は、2人分の仕事を1人でやらなければいけない状況です。
なぜ足りないのかというと、そもそも学校の正規の人数で回しているからです。産休、育休、病欠の代わりの人がいません。なぜそうなっているのかというと、教員のなり手がどんどん少なくなっているから。今の教員採用試験はどこの自治体でも倍率が低く、1.1倍、1.2倍という倍率もザラです。
──昔は、教員はなるのが難しい職業でした。私は1999年に社会人になりましたが、私の世代は教員採用試験に受からない人もけっこういました。
庄子:その頃が一番厳しかったと思います。小学校の教員採用試験の倍率が最も高かったのは2000年の12.5倍です。私が教員採用試験を受けた2005年も劇的に入りやすくなったと言われていましたが、約4倍の倍率がありました。ところが、2024年度(令和6年度)の東京都の教員採用倍率1.1倍です。もはや「全入」と言ってもいい状況です。
──倍率が下がると、人材の質も低下しますね。
枯渇し始めた臨時職員や講師の人材プール
庄子:そうなんです。これまで、採用試験に落ちた人は臨時的任用教員や時間講師に登録することが一般的でした。臨時教員や時間講師として働き、翌年の採用試験を目指す人がかなりいたんです。
でも、採用試験の倍率が1.1倍だと、試験に受からない人は0.1倍しかおらず、臨時教員や時間講師に登録する人がいなくなってしまう。こうした臨時教員や時間講師は産休や育休、病休を取る先生を補充する存在でしたが、そもそも補充できる先生の人材プールが減っているのが現状です。
産休、育休に入る先生方もそれがわかっていますから、自分で時期を調整しています。代替の教員が確保しやすい3月に、産休に入れるタイミングで妊娠を目指したり、6年生の担任だから今年は妊活しないようにしたり……。そう考えると、かなりブラックな職場ですよね。
さらに、出産後は育休が3歳になるまで取れるので、育休3年の間に2人目を産むとすると育休が合わせて6年になります。たとえば30歳で産休、育休に入るとすると6年経って育休明けには36歳になっている。でも、36歳で復帰すると、30代半ばというのはすでに中堅ベテランの域に入っているので、かなり重い仕事を任されてしまいます。
──実際に教壇に立っている経験が5、6年しかなかったとしても、中堅扱いになるんですね。
庄子:そうです。キャリアは5、6年しかないのに、子どもをもって教員をやるのは1年目なのですから時間的にも肉体的、精神的にもつらい。また、今の学校環境の変化が大きすぎるので、6年も現場を離れていると、ついていけないという問題もあります。
たとえば、児童が一人1台のタブレット端末を持つようになっていますし、授業や校務分掌の仕事もタブレットを使うようになっています。自分がプライベートで使っているOSはWindowsだけど、児童に配布されているのはiPadで、その中のソフトは自治体独自で開発しているものだったりする。それらを把握して操作するだけでも大変です。
また、30代半ばだと、初任教員と組んで指導する側になります。そうすると、自分のクラスだけではなくて隣のクラスも見る必要が出てきます。そちらに気を取られていたら、自分のクラスが荒れてしまったということもあります。
さらに、仕事が終わっていないのに、保育園のお迎えがあるから定時には学校を出なければなりません。慣れない仕事と子育ての忙しさから生活が回らなくなって、自分の子どもの様子までおかしくなってしまって、もう無理です、と言って育休復帰後1年で辞める女性教員も少なくありません。
「就職氷河期世代の先生が本当に少ない」
──男性も育休を取れる時代ですが、男性教員はどうですか?
庄子:学校は年度単位で動く体制なので、教員は年度に合わせて1年単位じゃないとなかなか休めないんです。育休で1カ月、2カ月休むという体制がなかなか作れない。男性教員の育休の数カ月間、講師を雇うといっても先ほど申し上げたように、代替の人材がいません。
──それは東京都の問題でしょうか。それとも、全国に共通する問題ですか?
庄子:おおよそ、どこも同じ状況です。ただ都心部の方が状況は先に進んでいます。
教員の年齢構成を見てみると、都心部ではすでに60代が抜けて、20代、30代の教員が多いヒトコブラクダのような形のグラフになっています。逆に、50代の教員が本当にいない。郊外や地方だと、50代と20代が多いフタコブラクダのような形のグラフになります。
──教員になりづらかった就職氷河期世代の影響ですね。
庄子:教員採用の募集自体がなかったような時代なので、東京都は40代後半から50前半の氷河期世代の先生が本当に少ないです。
──このような人材不足や年齢構成の不均衡に対して、打ち出されている解決策はあるのでしょうか?
庄子:なかなか難しいですよね。日本よりもっと早い時期から教員不足が問題となった米国が日本の未来を映し出しているかもしれません。
米国では州内を学区に分けて、学区教育委員会が学校を運営していますが、優秀な教員がより条件の良い学区に移ってしまうんですね。学区によっては教員が足りず授業ができないので、科目を減らして登校日を週3、4回にしている学校もあるほどです。
また、公立校に行くと学級崩壊が当たり前になっているので、高い学費を払って、私立校に行く子が多い学区もあります。
──私も前職のニューヨーク赴任時代、米国の公教育を取材しましたが、先生がいないため、英語と算数の授業しかない学校を見ました。
庄子:私は日本全国の学校を回っていますが、日本の教員は真面目なので、今はまだ一定の教育の質が担保されていると感じています。でも、それもいつまでもつか、という現状です。ただ、米国など海外と比較すれば、公平で均一化した教育を提供できていると思います。いろいろと現場の話を書きましたが、一人ひとりの教員は頑張っていますし。
──ニューヨークに赴任する前、起業家を次々と輩出する米国の教育に比べて、日本の公教育は平均65点の人間を量産するだけでイマイチだなと思っていましたが、米国の公教育の惨状を見て、平均65点の人間を生み出す日本の教育のほうがいいのではないかと感じました。
庄子:もちろん、ボーディングスクールに象徴されるある種のエリート教育は日本にも必要だと思いますが、日本の公教育には日本の良さがあります。私はまだまだ捨てたモノではないと感じています。
年功序列で高齢化する校長ポスト
──庄子さんはもっと若い年齢の教員を校長に任用すべきだと提案されています。その点について詳しく教えてください。
庄子:東京都の教員には校長、副校長、主幹教諭・指導教諭、主任教諭、教諭の5等級があります。この主任教諭は東京都の特例で、全国では主任教諭以外の4等級や、または主幹教諭も除いた3等級になります。
この3等級は、校長と教頭または副校長を鍋の蓋のつまみに、その下にいる教諭を鍋蓋の本体に例えた「鍋蓋式組織」と呼ばれています。比較的フラットな組織です。
給与も基本的に年齢で決まる仕組みので、35歳の主幹教諭より38歳の主任教諭の給与の方が高いというケースもあります。
──一昔前の大企業のようですね。
庄子:本当に。
──年功序列で、50代になってからしか校長になれない自治体もあるそうですね。
庄子:はい。校長になるための要件は、自治体によって違いますが、教職経験の年数や教頭・副校長としての経験、年齢などがあります。
たとえば、40代半ばで教頭に任用されたとして、教頭は2校ほど経験することになるので、2校で3年ずつ教頭を務めるとします。その間に3年間の教育委員会勤務を挟むパターンが多いので、そうするとおよそ55歳になっています。 それで校長なったとしても、60歳でもう退職です。
校長選考試験には50歳くらいで合格している人が多いのですが、とりわけ地方では先ほど申し上げたフタコブラクダ状態の年齢構成になっており、校長ポストを待っている50代の教員がたくさんいます。
50代の教員が少ない東京や大阪などの都市部では比較的若い校長が出現しつつありますが、地方ではポストの空きがないのでますます高齢化しています。
それでは、退職した元校長たちは何をするかというと、多くの方は臨時的任用教員や時間講師などになります。ただ、その方たちは40代半ばで教頭になってから10年以上授業をしていません。
でも、校長も経験しているしプライドもあるから、「これが俺の授業だ!」と、10年以上前にやった古典的な授業をして時代を戻してしまい、アップデートの妨げになっているというケースも耳にします。
「優秀な人がもっと早く校長になるべき」
──人手不足の今、校長経験者をうまく活用することも重要だということですね。
庄子:子どもと接するのが好きな人や授業をするのが好きな人が教頭になって、やっぱり管理職は合わないから現場に戻りたいと考えたとしても、その場合は降格人事になってしまうんです。降格人事となるとかなりの大ごとなので、なかなかその選択はできません。
私の提案は、優秀な人がもっと早く校長になるべきだということです。40代で校長になって、また50代で現場に戻っても、早く校長になれるような人なら今の時代に合った授業ができると思います。
そうすると60歳という境目なく、スムーズに少しずつ授業数を減らしながら教員をやめていくことができるし、教育のアップデートが早くなって、新陳代謝もスムーズに進むのではないでしょうか。
──若い優秀な人を校長に抜擢するということは制度上できるんですか?
庄子:東京都の場合、過去に民間人校長を採用していたので制度上はできると思いますが、最近は募集していません。
──確かに、杉並区の中学校の校長を元リクルートの藤原和博さんがやっていました。
庄子:実は東京都では、特例を除けば44歳から校長になれます。
一例ですが、8年以上の教職経験が必要な主任教員に30歳でなり、3年経つと教育委員会に行けるので、33歳から5年間教育委員会、38歳から41歳まで副校長、41歳から44歳まで再び教育委員会、44歳で校長になるという最短ルートがあり得ます。でも、このルートだと33歳からもう現場で授業していないんですね。
だから、現場で最先端の授業ができている優秀な人で、校長をやりたいという希望があれば、一番脂が乗っている30代後半で一度校長をやってみて、3年くらい校長をやって現場に戻ってもいいし、そのまま校長をやってもいいというように、もっと人事に柔軟性があるといいと思います。(構成:添田愛沙)
【後編】子どもの集中力はもはや「15秒」、変わる子どもと校長ガチャに教員はどう対応すべきか?
庄子 寛之(しょうじ ひろゆき) ベネッセ教育総合研究所 教育イノベーションセンター 主席研究員 元公立小学校指導教諭。大学院にて臨床心理学について学び、道徳教育や人を動かす心理を専門とする。「先生の先生」として、ベネッセの最新データを使いながら教育委員会や学校向けに研修を行ったり、保護者や一般向けに子育て講演を行ったりしている。研修・講演は500回以上。講師として直接指導した教育関係者は1万5000人に及ぶ。 全国の学校が休校していた2020年のコロナ禍に、これからの教育について考えるオンラインイベントを企画し、世界中の教育関係者を2000名以上集め、話題を呼ぶ。子ども教育のプロとして、NHK「おはよう日本」や朝日新聞、毎日新聞などのメディアなどにも取り上げられ、一躍有名になる。また、ラクロスの指導者としての顔も持ち、東京学芸大学女子ラクロス部監督、U-21女子日本代表監督、U-19女子日本代表監督を歴任。「教師」×「指導者」として、一貫して「自分で行動できる子ども・選手」の育成を実践している。著書に『自分で考えて学ぶ子に育つ声かけの正解』(ダイヤモンド社)など多数。
篠原 匡(しのはら・ただし) 編集者、ジャーナリスト、蛙企画代表取締役 1999年慶応大学商学部卒業、日経BPに入社。日経ビジネス記者や日経ビジネスオンライン記者、日経ビジネスクロスメディア編集長、日経ビジネスニューヨーク支局長、日経ビジネス副編集長を経て、2020年4月に独立。 著書に、『人生は選べる ハッシャダイソーシャルの1500日』(朝日新聞出版)、『神山 地域再生の教科書』(ダイヤモンド社)、『誰も断らない こちら神奈川県座間市生活援護課』(朝日新聞出版)