「石破おろし」の布石となった自民党“裏金議員”ら5人の会合 麻生内閣と同じ「自滅の道」をたどる?
自民党の「石破おろし」が止まらない。4時間半も続いた7月28日の両院議員懇談会に続き、8月8日には党の議決機関である両院議員総会が開かれた。64人が発言した前回に続き、自民党の衆参両院議員297人中253人が出席して35人が発言。今回も石破茂首相の辞任論が多数を占めたことには重要な意味がある。
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自公は7月の参院選で47議席しか獲得できず、衆参ともに過半数を割り込んだ。その責任を、全面的に石破首相に押し付けようという魂胆だ。
たしかに参院選が行われた7月の石破内閣の支持率は、多くの世論調査で「内閣発足後最低記録」を更新した。読売新聞とNNNの共同調査では前月比10ポイント減の22%で、岸田内閣の最低記録(2024年6月の支持率23%)を下回った。読売新聞は7月23日午後に「石破内閣退陣へ」と速報を打ち、号外まで出したが、有力情報源への取材に加えてこうした数字が判断材料になったのだろう。
参院選後の共同通信の緊急調査では石破内閣の支持率は同9.6ポイント減の22.9%と最低記録を叩き出し、このころの石破内閣の「不人気ぶり」は明らかだった。
そのような“逆風”に、石破首相はひたすら耐える姿勢を貫いている。7月23日に行われた麻生太郎元首相、菅義偉元首相、岸田文雄前首相との懇談でも責任論が出たが、石破首相はそれを一切否定した。両院議員総会後に「多くの意見をいただいたので真摯に受け止め、参考にし、重視したい。参議院選挙の総括もきちんと踏まえてやっていかねばならない。党則にのっとってきちんと運営するということに尽きる」と述べたのも、“一歩も引かない”との意志の強さを感じさせた。
それは先の大戦に関する強いメッセージからもうかがえる。8月6日の広島平和記念式典の演説は、歌人・正田篠枝氏の「太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり」の歌で締めくくった。9日の長崎平和祈念式典では長崎医科大学の永井隆博士の「ねがわくば、この浦上をして世界最後の原子野たらしめたまえ」を引用した。
■「石破辞めるな!」デモに呼応? 内閣支持率は好転
戦後80年に日本の首相でいることの責任感に加えて、自分を引きずり下ろそうとする旧派閥に対する猛烈な対抗心。それは8月15日の戦没者追悼式で「あの戦争の反省と教訓を、今改めて深く胸に刻まねばなりません」と述べ、第2次安倍政権以来、歴代首相が使わなかった「反省」の言葉を使用したことでも明らかだ。石破首相が「戦後80年談話」を見送ったものの、「戦後80年見解」を出そうとしているのも、その証左にほかならない。
そうした石破首相を後押ししたのが、7月25日夕方などに首相官邸前で展開された「石破辞めるな!」デモだったのだろう。これらに呼応するかのように、内閣支持率も好転しはじめている。
8月2日と3日に行われたJNNの世論調査で、内閣支持率は前月比4ポイント増の36.8%で不支持率は同3.1ポイント減の60.5%となった。時事通信が8日から11日までに実施した世論調査では支持率は27.3%で前月比6.5ポイント上昇。不支持率は同5.4ポイント減の49.6%で5割を切った。なお岸田政権では2023年11月から退陣直前の2024年9月まで、不支持率が支持率を30ポイント以上も上回っていた。
こうした数字を見ると、もし参院選が1カ月遅かったら、自公は非改選議席を含めて過半数を維持できたかもしれないとすら思えてくる。そもそも参院選での自公の敗北は、すべて石破首相の責任といえるのか。
これについて伊吹文明元衆院議長は8月14日の読売新聞のインタビュー記事で、安易な「石破責任論」に警鐘を鳴らした。
「(参院選敗北の)第一の要因は、有権者が冷静に考えて投票する環境を自民が壊してしまったことだ。派閥の『政治とカネ』の問題や失言など、政治家としての自制や立ち振る舞いで失敗した」
同時に総裁選については、「政治空白を避けるため、早く結論を出し、決着をつけるのが望ましい」とした。伊吹氏のこうした意見は、現在の自民党の多数派による「参院選敗北についての石破首相の責任を問うために総裁選を行うべし」との主張と似て非なるものだ。後者にはなぜ自公が負けたのかという、根本的な反省がほとんど見られない。
■「三木おろし」「森おろし」、そして「石破おろし」
昨年の衆院選にしろ、7月の参院選にしろ、石破執行部の仕切りが良くなかったことは事実だ。しかし「政治とカネ」問題で、国民の信頼を根底から揺るがしたのは誰なのか。
もっとも自民党ではリーダーが引きずり下ろされる時、歴史を動かす背景が存在してきた。1976年の「三木おろし」では、三木武夫元首相を総理大臣に押し上げた椎名悦三郎氏や、三木氏の政敵の田中角栄元首相が暗躍した。船田中氏や保利茂氏が中心となって結成された挙党体制確立協議会は三木氏の衆院解散権の行使を許さず、任期満了後の衆院選で三木内閣を退陣させ、福田内閣を誕生させた。
また2001年の「森おろし」では、森喜朗元首相の「神の国発言」やえひめ丸事故の対応のまずさで内閣支持率が下落したため、参院選で勝てないと見た公明党が動き、自民党の一部もこれに呼応。判断を誤った加藤紘一元幹事長が山崎拓元幹事長を引き込んで「加藤の乱」で自滅したため、YKK(山崎・加藤・小泉)の中で最も政治権力から遠かった小泉純一郎元首相が表舞台に躍り出た。
では「石破おろし」には、どのような布石があるのか。自民党が自滅の道を進み、民主党政権を実現させることになった麻生内閣の再来となる可能性もある。実際に佐藤勉元国対委員長や斎藤健前経産相、萩生田光一元政調会長ら5人は7月22日に会合を開き、「野党に政権を明け渡すべき」として意見が一致。佐藤氏が森山裕幹事長にその旨を申し入れている。
そもそも麻生内閣で農林水産相だった石破首相が麻生元首相に引導を渡そうとし、今はその麻生元首相から引導を渡されようとしているとみられる。これは壮大な皮肉にほかならない。8月19日には総裁選に向けて選挙管理委員会が開かれる予定だが、自民党のみならず日本の政治史にいったい何が刻まれることになるのか。
(政治ジャーナリスト・安積明子)