いち市民が「本音」語るだけで取り締まり…「戦前反戦発言」を調べた高井ホアンが「相互監視」の再来を危ぶむ
<あしたの轍 第3部>⑤
戦後80年となる8月を迎えた。国内外で混迷が深まる今、過去の戦禍が勇ましく、美しい響きの言葉で上書きされようとしている。戦争の記憶が薄れる一方で強まるのは人々の不安。かつてこの国がたどった歴史を再び繰り返さぬよう、体験や思いを未来へ残そうと奮闘する人々の声を聴いた。(敬称略)
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◆特高や憲兵隊の捜査記録に残る、怒りや悲嘆の声
著書「戦前反戦発言大全」を手に思いを語る高井ホアンさん=東京都千代田区で(中村千春撮影)
「国家による監視の視点を通した、一般市民たちの血と汗と涙の記録です」
作家の高井ホアン(31)=埼玉県富士見市=は2019年5月に自ら手がけた「戦前反戦発言大全」「戦前不敬発言大全」の2冊を見ながら、記者にこう語りかけた。それぞれ約600ページあり、分厚さが目を引く。
戦前から戦中にかけ、反戦的な言動や天皇制否定の思想を取り締まった特別高等警察(特高)や憲兵隊。彼らの捜査記録や資料を引用しながら、当時の国民たちから発露した怒りや悲嘆、抵抗といった思いが込められた発言など計1000例以上を収録する。
高井は「真珠湾攻撃や大空襲、原爆投下のような教科書に載る大きな歴史ではなく、戦時下を生きた庶民から見た小さな歴史に興味があった」と語る。その背景には、子ども時代の夏休みがある。
◆自身に宿る「反骨心」の源流
小学生の頃、夏休みは毎年、父方の実家があった盛岡市で祖父母と過ごした。8月のテレビやラジオからは戦争の特集番組がよく流れ、2人から当時の思い出を聞くことが多かった。
身長が180センチ近くあった祖父は映画「海軍」を見て海軍志願兵となり、山陰地方の基地にいたが「足が大きくて合う軍靴がなく、故郷に帰らされて命拾いした」と明かした。国民学校の生徒だった祖母は「軍隊の燃料になる松の油を採るため、みんなで松の根を掘りに行った」という。学校では教わらないオーラルヒストリー(口述記録)が、高井には新鮮だった。
自身の活動について話す高井ホアンさん=東京都千代田区で(中村千春撮影)
体制側でなく反体制側に引かれるのは、自身の出自が影響している。父は元青年海外協力隊で、母はその赴任先だったパラグアイ出身。高井は日本で「ハーフ」として過ごしてきた。
学校で周りから話し方をからかわれ、ばい菌呼ばわりされていじめられた時期もあった。反骨心を持つとともに、「自分は日本という社会で少し外れた脇にいる、はざまのような存在なんだ」と孤独を感じた。ただ母がたまに連れて行ってくれる群馬県大泉町の南米コミュニティーが「世界は一つではない」と安心も与えてくれた。
◆あの時代にも「批判的な精神を持った人」がいた
中高生になり、社会に抵抗し、痕跡を残した人に関心を抱くように。戦争関連の書籍や映画、ネットを調べる中で、軍歌の替え歌や戦争批判の落書きがあったことや、ドキュメンタリー映画「ゆきゆきて、神軍」の主人公で天皇の戦争責任を追及した元日本兵の故奥崎謙三の存在を知った。「自由に発言できず、国に従うがままのような印象を抱いていた時代でも批判的な精神を持った人がいた」と衝撃を受けた。
歴史の主流から外れた「アウトサイダー」たちの思いを世間に知らせようと、大学1年だった2013年にツイッター(現X)で「神軍平等兵・奥崎謙三Bot」「戦前の不敬・反戦発言Bot」を開設して発言や語録を発信。「今まで知らなかった」などと多くの反響があり、半年でフォロワーは1000人を超えた。編集者の目に留まり、2014年秋に「不敬・反戦発言」の書籍化を持ちかけられた。
◆「他国へ攻め込んで、それで正義と言うのは変」→起訴収容
大学生活のかたわら、国立国会図書館や国立公文書館、地元の図書館に出向き、特高の摘発記録の「特高月報」、憲兵隊の調査記録などを読みふけった。
特別高等警察が反戦的言動などを摘発した記録「特高月報」の復刻版=埼玉県川越市立中央図書館所蔵
特高月報には日中戦争が始まった1937年7月、庶民の声が「左翼分子の反戦的策動」として記載され始めた。ビラや投書にとどまらず、便所の落書きや井戸端会議での発言、子どもの替え歌まであり、政治や戦争への「本音」にあふれていた。
同年8月、行商の男性(56)は出征兵士を見送る際に「戦争すれば日本人は困るばかりだ、国民は苦しい目に逢うばかりだ」と叫び、20日間拘留された。翌1938年5月、愛知県の小学校教諭(30)は周囲に「今度の事変は軍部がやり過ぎだ。日本の軍隊が他国へ攻め込んで、それで正義と言うのは変ではないか」と話し、起訴収容された。
◆「個人あってこそ国家がある」→送検
敗北を重ね、次第に戦力を消耗していった日本。1943年2月に山梨県の理容術営業の男性(38)は「戦争なんか負けても勝っても俺たちの責任じゃない、そんなことは為政者のすることだ」、1944年4月には岡山県の農家の男性(37)が「個人あってこそ国家がある。個人が立ち行かぬ様になっては国家もその存立を失う」とそれぞれ会合で発言し、送検された。
高井は「主義や信仰を持たない人々が自身の生活に起きている変化に基づき、戦争を疎んでいた」と受け止める一方で、膨大に積み上がった摘発記録に「特高が町内会や職場での発言を詳しく把握できたのは、密告者がいたからだ。自由な発言を許さず、相互監視する社会が生まれていた」と恐ろしさも覚えた。
国立国会図書館に通い始めたころのことを話す、作家の高井ホアンさん=東京・永田町で(川上智世撮影)
約4年半かけて刊行した先の2冊の著書。前書きで、「『特高警察』的なものが現代にも引き続き存在していることだけは忘れないようにしよう」と読者に呼びかけた。
当時は、特定秘密保護法(2013年)、「共謀罪」の趣旨を含む改正組織犯罪処罰法(2017年)といった情報統制につながる法整備を「うっすら」と意識した言葉だった。だが時がたち、社会の中にまん延していると高井は感じる。
◆自粛警察、外国人差別、同調圧力…
例えば、コロナ禍。政府は県境をまたぐ移動や飲食店などの営業の自粛を求めた。憲法が保障する人権への制限にもかかわらず、要請に応じない人や店舗を責める「自粛警察」が現れた。高井は「国の要請で突然手のひらを返したように他者の自由を規制するのは戦時中と同じ」とみる。
日の丸を掲げてクルド人の追放などをうたうデモに、反対する人たち=埼玉県内で
ここ数年で問題視されるようになった埼玉県川口市周辺で暮らすクルド人らに対するヘイトやデマといった外国人差別にも、「特高警察的」な影を感じる。「身近にいる『自分とは違う人間』を監視対象にし、社会がうまくいかない原因を押し付けようとする考え方だ。以前からネット上にはびこっていたが現実社会に顕在化し、その同調圧力が強まってきた」
世界では各地で紛争が相次ぎ、「新しい戦前」との指摘もある。高井は「特高月報に記録された人たちは、いつからが『戦前』か『戦中』か、そういった意識はなかったはずだ。明日何が起きるのかなんて誰にも分からない」と強調し、こう言い切る。
「持論を述べたり、あらがったりする人を抑え込もうとする勢力はいつ、どこにでも現れる。二度と戦争を起こさないためにも、表現の自由を大切にしなければならない」(山田雄之)
◆デスクメモ
コロナ禍では行政の時短要請に従う飲食店まで嫌がらせの紙を貼られるなど「自粛警察」の被害を受けた。最初は屋形船、スポーツジム、ライブハウス。さらには「夜の街」「昼カラ」まで悪者扱いされ、働く人がたたかれた。正義を振りかざし他者の制限を広げていく社会は危うい。(恭)
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