「クロが入り、シロが追い出される」…梶山静六法相の人種発言、日本バッシング〝火に油〟

梶山静六氏(左)と菅義偉氏=平成10年(菅義偉事務所提供)
公に目にする記者会見の裏で、ときに一歩も譲れぬ駆け引きが繰り広げられる外交の世界。その舞台裏が語られる機会は少ない。1960年代から、激動の世界を見てきた荒船清彦元スペイン大使に外交官人生を振り返ってもらった。
〝米国の象徴〟を買収
《1990年、米ロサンゼルス総領事として米国に赴任した。日本が経済大国として急成長し、米国企業の買収を進めただけでなく、91年12月には真珠湾攻撃50周年も控えており、日本バッシングが過熱していた》
ニューヨーク・マンハッタンの象徴、ロックフェラーセンターを89年に日本企業が買収したことなどを受け、米国人は「米国本土全てをいずれ、日本に買い上げられてしまうのではないか」という恐怖にかられていました。米国のマスコミは、ヨーロッパの企業が米国企業を買収した際のニュースのタイトルに、欧州企業の名前を出す一方、日本企業が買収すれば、タイトルは「日本が買収」と、企業名は出てこない。そんな調子で、べらぼうに煽っていました。

米ニューヨークの象徴の一つ、ロックフェラーセンター=1996年12月
《日本バッシングが吹き荒れる中、火に油を注いだのが、梶山静六法務大臣の黒人蔑視発言だった》
「悪貨が良貨を駆逐する」
90年の秋ごろでしたか。梶山大臣が外国人の売春事件摘発にからみ、「悪貨が良貨を駆逐するというか、アメリカにクロ(黒人)が入ってシロ(白人)が追い出される」と発言したのです。

2021年、黒人差別に抗議するデモ=米ニューヨーク(上塚真由撮影)
これを受け、米国全土で黒人の対日抗議デモが始まりました。特に私がいたロサンゼルスでは激しく、黒人や日系人、在米韓国人の団体が一緒にグループを結成し、日本総領事館にも大規模なデモを仕掛けました。偉丈夫の連中が肩を怒らせながら、面談にも来たのです。僕はもちろん総理でもありませんから、アイアムソーリーと云うわけにもいかない(笑)。
しかも、米国はディベート(討論)文化の国です。「和の文化」の日本人が最も苦手とする世界。単に謝るだけではかえって良くない。むしろ、関係を悪化させてしまうのが関の山でした。
「差別されないと、辛さ分からない」
《そこで一計を案じた》
まず、自分の差別体験を語ることから始めたのです。とりあえずの猛抗議が終わり、「個人的意見が聞きたい」というので、英オックスフォード大留学時代、「人種」を理由に、下宿探しを断られた体験を集会で打ち明けました。
「差別は、差別されてみないと、その辛さは理解しがたいものだ」。こう話し掛けると、彼らも真剣にじっと聞き始めた。シンとした雰囲気になったところで、「もう一つ言いたい」と続けました。
「ロスに滞在して半年経つが、私は毎日、深く傷ついている。『日本叩き』だ。米上院議員が先日、『日本人は利益、貪欲、強欲でしか、行動しない』と、日本人全体を非難した。しかし、あなた方のどの団体も、これに公に抗議したとは聞いていない。なぜか?」

1990年8月、米ロサンゼルスを訪問された紀宮さまを案内する荒船清彦氏(左端)。〝日米の架け橋〟として奔走した=荒船氏提供
会場が一瞬、凍り付く
すると、黒人代表が、われわれ団体として、「電話で議員に抗議した」と言うのです。僕が「それでは、公の抗議でもデモでもないじゃないか」と反論すると、会場は一瞬、凍り付きました。
こうなればしめたものです。「私はあなた方を非難する意図はない。これからは、日本は米国の痛みを学ぶが、米国も日本の痛みも学ぶ。即ち、相互教育こそ、われわれの取り組む課題ではないか」と言ったのです。
すると、全員急に立ち上がり、駆け寄って来て、興奮気味に、「日本の痛みには全く気が付かなかった。今日は最高の会合だった」と握手を求めてきました。良い雰囲気で散会して、ホッとしました。
A.ヘップバーンを招待
《ソニーが映画会社のコロンビアピクチャーズを買収したのもこのころだ》
当時は、パナソニックなども映画産業に出資したりして、米国のエンターテイメント業界への日本企業の進出が続いていました。「これは日本政府としても、付き合いを始めにゃいかん」と、ハリウッドとの人脈づくりを始めたわけです。
ハリウッド関係のパーティーに顔を出したりして、いろんな俳優や女優と会いましたよ。オードリー・ヘップバーンはまだ存命で、UNICEF(国連児童基金)の親善大使をやっておられた。直接面会し、UNICEF関連行事の主賓として、総領事公邸に来て頂くようお願いした。招いたときは、なかなかの反響でした。非常にチャーミングで、気品のある方でしたね。
ポール・ニューマンは乗り気
《最悪の日米関係打破のために思いついたアイデアが、ハリウッド映画とのコラボレーションだった》
「日米の新たな関係を象徴するような映画でも作ろうか」と思い立ったのです。温めていた話がありました。
第二次世界大戦で強制収容所に入れられた日系人のために、収容所に通い続け、日系人の人権回復に精力を傾けたマリオン・ライトという米国人弁護士がいました。戦後も財産の保有などが制限されていた日系人の人権回復のために、無償で訴訟を引き受け、最高裁で勝訴した人物です。
「ライトを主人公にした映画を作れば、日米の新たな関係を象徴的に示すことができるんじゃないか」。こう思ったわけです。
ロサンゼルス市内の服屋かどこかで、俳優ポール・ニューマンとバッタリ会った際、その話をすると「面白いじゃないか」と結構、乗り気でした。だから、こっちもその気になって、動き始めたのです。
「セックスやバイオレンスはあるか」
ところが、ハリウッドのその筋に聞くと、「『いい話』だけじゃ映画にはならない。セックスやバイオレンスはあるのか」と聞かれた。そんなこと言われても、ねえ?
ライトの娘さんにも会って、いろんなエピソードを引き出そうとしたんですが…。まあ、そういう活動をするだけあって、真面目な人だったんでしょうな。全く、そのたぐいの話はなかった(笑)。そのうち、立ち消えになってしまいました
米国人の鑑識眼に驚く
《文化交流にも力を入れた。幼少から親しんだ書が縁で、ロサンゼルスにある日米文化会館に「日本書道センター」を開設。驚いたのは、米国人の鑑識眼だったという》
日本書道センターのような場所を作るのはささやかな夢で、うれしいことでした。書壇に全面的に協力してもらい、作品や諸道具を提供してもらったり、茶室まで寄付してもらったりしました。
年号が平成になったばかりだったのでね。歴代天皇皇后両陛下のお歌を、書家が「書の作品」として書いた作品の展覧会も開かれました。
来場した米国人の方々に「どの作品がお気に召しましたか」と尋ねてみました。書を初めて見たどころか、日本語だって知らないのに、多くのお客さんたちが日本トップの大書家の作品ばかりを指す。
一方、日本人は「この漢字はなんと読むのか」なんて考え込んでね…。読めないと、観賞を止めちゃう。しかし、外国人はハナから、芸術作品として観るんですね。書が言語や文化の壁を越えて、普遍的な価値のある芸術なんだ、と改めて思いましたよ。
<あらふね・きよひこ> 1938年、大阪府出身。東大法学部卒。62年に外務省入省。在ナイジェリア、在米大使館勤務などを経て78年、西欧第二課長。88年に外務大臣官房審議官(文化交流)、90年に在ロサンゼルス総領事。ニカラグア大使、中南米局長を経て95年にアルゼンチン大使。98年にスペイン大使。退官後、国際経済研究所理事長、書美術振興会会長を歴任。