生まれつき唇がなかった「口唇口蓋裂」の女性が闘病体験をテレビ番組で語り初めて気づいた「症状以上の苦しみ」

生まれつき唇や口蓋が閉じない疾患「口唇口蓋裂(こうしんこうがいれつ)」。大阪府在住の小林えみかさん(31)は10年前、当事者として患者やその家族の交流を目的に「笑みだち会」を立ち上げました。そこに至るまではさまざまな思いがありました。(全3回中の3回)

「耳たぶができたからって聴力がよくなるわけじゃないやんか」

「耳たぶができたからって聴力がよくなるわけじゃないやんか」, 「口唇口蓋裂で生まれても、楽しいことはある」, 病気の症状以上に「周囲の無理解」に苦しんでいる, 同じような病気の子が少しでも救われたらうれしい

小林えみか

仲よしの友達と

── 小林さんは先天性の口唇口蓋裂という病気を抱え、唇と鼻の区別がつかない状態で生まれ、さらに合併症で右耳には耳たぶがなく両耳難聴という状況だったそうですね。口や鼻の機能を正常にするためや歯列矯正など手術回数は幼少期から数えると20回を超えるそうですが、いちばん大変だったのは何の手術ですか?

小林さん:身体的に大変だったのは、20歳のときに受けた「骨切り」の手術です。受け口だったので、骨を切って上あごを前に出して、受け口の下あごを下げ、顔のバランスを整える手術をしました。顔の骨格を動かす手術なので顔がパンパンに腫れ、ごはんが食べられないんですよ。あごの形を変えることで、ずれていた歯並びも急にガッと変わるため、しゃべるのに違和感がありました。

── 精神的につらかったのは、また別の手術でしょうか?

小林さん:はい。精神的につらかったのは、耳たぶをつくる手術のときです。右耳は生まれつき耳たぶがなく、耳の穴だけの状態だったので、あばら骨の軟骨を3本抜いて耳の骨の形にして、足のつけ根から皮膚を移植して耳たぶをつくるという手術を受けました。手術時間は8時間以上におよびました。

その手術を受けたのが、高校2年生と3年生のとき。半年の間隔を開け、2回にわけて受けたのですが、ちょうどそのころは将来に対する不安やストレスによってパニック障害の診断を受けていた時期で、手術を機にパニックの発作が出てしまいました。「これだけコンプレックスに向き合わなくてはいけない自分の人生って何だろう」「この痛みは永遠に続くんじゃないか」といろんな不安が出てきて苦しくなるんです。また、麻酔薬が体に合わなかったのも苦しかったです。手術後3日3晩ずっと吐きっぱなしで、食べられない、眠れないという状態になりました。口唇口蓋裂の手術自体は赤ちゃんのころからずっとやってきたので、ある意味慣れていたのですが、あばら骨を取ったあとの胸も、皮膚を取られた足のつけ根も人生で初めて経験する痛さで、本当につらかったです。

── それは大変でしたね…。

小林さん:1回目の手術の際、金曜に入院して月曜に手術だったのですが、土日はいったん帰宅していいですよと言われて家に帰ったんですね。両親から、手術は大変だけどサポートするから乗り越えようと言われたのですが、「なんでこんなしんどい思いして手術せなあかんの?もう手術したくない!」と、親の前で初めて大泣きしました。今までずっと我慢してきたことが耐えられなくなったことや、パニック障害のせいもあったんだと思います。

口唇口蓋裂の手術は、手術をするたびに食事がしやすくなったり、言葉を発しやすくなったりという変化があるけれど、耳たぶができたからって聴力がよくなるわけじゃないやんか、と。実際は、耳たぶができればメガネもマスクもかけられるようになりますし、いきなり耳の穴がむきだしより見た目的にもよくなることはわかっているのですが。でもそこで、今まで言えなかった「これをしたくない」という言葉を、親の前ではっきりと言語化できました。

── 17歳でやっと気持ちを吐き出せたと。

小林さん:そんな私を見て、今までの学校生活や病気へ向き合い、私がずっと我慢してきたことが、これまで以上に両親に伝わったんだと思います。母は「しんどくなったときは、お母さんずっとおるからね」と言いながら泣いていました。父も「長い間えみかの本当の気持ちに気づいてあげられなくてごめんな」と言い、3人で抱き合いながら泣きました。そこで初めて、家族もずっと自分と同じぐらいの思いで一緒にがんばってくれていたことに気がつきました。両親との間になんとなく感じていた壁のようなものがなくなり、絆が深まった瞬間でした。

「口唇口蓋裂で生まれても、楽しいことはある」

「耳たぶができたからって聴力がよくなるわけじゃないやんか」, 「口唇口蓋裂で生まれても、楽しいことはある」, 病気の症状以上に「周囲の無理解」に苦しんでいる, 同じような病気の子が少しでも救われたらうれしい

小林えみか

自身について講演するえみかさん

── 現在はご自身の病気や日常についてブログで発信されています。中学校では病気に対するコンプレックスで不登校になり、高校で仲よくなった“ギャル友”にも最初は病気のことを明かすのに抵抗があったとそうですね。いつごろからどういうきっかけでブログを始めたのですか?

小林さん:2015年、21歳で治療がひと段落したタイミングです。「病院側が計画した治療プランはいったん終了です。今後について考えていきましょう」と医師に言われ、これまで20回以上の手術をし、治療のために生きてきたような人生を今後どうしようかと考えたときに、自分の経験を誰かに伝えたくなりました。

というのも、口唇口蓋裂が原因で悩んだり不安になったりしたときに、同じような症状や体験がある人がいないかと検索しても、マイナスな情報しか出てこず、よけいに不安になるばかりだったんです。私自身、大変な思いをたくさんしてきましたが、楽しいこともあったので「口唇口蓋裂で生まれてきても、楽しいこともあるよ」というメッセージを残したくなりました。いろんなことに悩んできた当時の自分に言葉をかけるとしたら…というポジティブな発信をブログに残そうと書き始めたんです。

── ブログを始めて何か反響はありましたか?

小林さん:当時は自分の名前も明かしていなかったのですが、口唇口蓋裂の当事者で、しかも「ギャルっぽい口調の子」がブログで発信しているというのが目新しかったようで、ブログ開設後1か月でアクセスランキング1位になりました。

そして3か月後にはテレビ番組の方から取材のオファーをいただき「ザ!世界仰天ニュース」にVTR出演をしました。口唇口蓋裂という病気で生まれてから大人になるまでの私の体験をお話しし、手術や治療、さまざまな困難を乗り越えて今がある、といった内容の紹介をしていただきました。放送後はブログに1日で76万件ものアクセスがあり、500件を超えるメールが届きました。

ある時、口唇口蓋裂のお子さんをもつお母さんから「『ザ!世界仰天ニュース』を観ました」と声をかけていただき「患者の家族同士、病医院以外でも交流できる場がほしい」と相談されました。すぐにブログで呼びかけて1か月後には約20名が集まり、交流会を開催。ブログ開設後、届くメールのなかには、親から病名を明かしてもらえなかったという当事者からの悩みがあるいっぽう、口唇口蓋裂の子どもを産んでしまったことに罪悪感を持つ親御さんもいらっしゃって、双方の悩みを知り合う機会になればと思い「笑みだち会」と名づけて活動を続けることにしました。

病気の症状以上に「周囲の無理解」に苦しんでいる

「耳たぶができたからって聴力がよくなるわけじゃないやんか」, 「口唇口蓋裂で生まれても、楽しいことはある」, 病気の症状以上に「周囲の無理解」に苦しんでいる, 同じような病気の子が少しでも救われたらうれしい

「笑みだち会」ファミリーの部の様子

「笑みだち会」ファミリーの部の様子

──「笑みだち会」の活動を通して、気づいたことを教えてください。みなさん何にいちばん困っていたのですか?

小林さん:やはり偏見や差別です。当事者の場合、就職活動の際に病名を言うと断られた人もいました。見た目でわかる病気なので、たとえば飲食店でのバイトの場合、「キッチンや裏方の業務でも大丈夫ですか?」と聞かれたという経験談もなかにはあります。 

また、幼稚園で「受け入れできません」と言われた親御さんもいました。口唇口蓋裂の症状だけであれば、受け入れ態勢を整えるような病気ではないんです。入院や手術をするタイミングがあれば学校を休むこともあるし、口周りの手術が多いから、給食を食べるのに時間がかかることはあるけれど、支援サポートをつけなければいけないような病気や障がいではないとわかってもらうのに説明を要したという話も聞いたことがあります。

なので、病気の症状で悩むというより、「口唇口蓋裂」という病気のことを知らないがゆえに周囲の理解が得られなくて悩むことがほとんどだと感じました。

── 当事者が子どもや学生さんの場合はどうなんでしょうか?

小林さん:幼少期や学生時代は、かつて自分が受けてきたような、見た目に対する「からかい」やいじめに悩む人もいます。私の場合はあまり過激ないじめを受けたことがないのですが、学校でばい菌扱いされたという経験も聞いたことがあります。学校へ行ったらいじめられるから自分の顔が嫌になり、学校へ行きにくくなる当事者もいるようです。私自身も小学生時代にストレスで円形脱毛症になり、中学校は不登校で2年生の中ごろから卒業まで通えませんでした。

口唇口蓋裂の当事者や家族は、その症状以上に周囲の理解のなさから孤立し、悩んでいます。それは本来、周りのみなさんの知見と理解があれば防げる悩みもあるはずだと思います。「病気がもたらすネガティブな面だけがすべてじゃないよ」と伝えるなど、その人自身が自分を肯定できるサポートができたらうれしいですね。あとは、口唇口蓋裂で生まれたとしても、社会になじみ、溶け込んでいく手段はいっぱいあるというのを示したいです。そしてひとりで戦い、孤独を感じている仲間に、横のつながりを提供したいです。

同じような病気の子が少しでも救われたらうれしい

── 小林さんは小学生の学童指導員をしながら活動を続けていらっしゃるんですよね?

小林さん:はい。放課後クラブの学童指導員になって8年目です。私自身、小学生、中学生のころは孤独を感じて悩んできましたが、口唇口蓋裂の患者が500人に1人という割合でいるというデータがあるので、つまり、ひとつの学校にひとりはいるはずですよね。だから、私の存在で同じような病気の子や誰かが救われるとか、「こういう子もいるんだ」って認知してもらえるだけでもうれしいな、という気持ちで学童指導員の仕事を選びました。働き始めると、症状の程度は違うにせよ、やはり同じ病気の子を毎年のように見かけます。

学童では子どもたちから「先生の顔、なんでこんなふうになってるん?」と言われることもあります。そのときは病気のことを説明し、「同じような病気の子がいても、仲よくしてあげてな」と話しています。それで口唇口蓋裂の子も学童に通いやすくなったと保護者の方からも言っていただき、やりがいがある仕事だと感じて続けています。

ブログなどで世間に対して口唇口蓋裂のことを発信するのも大切なのですが、まだ固定概念がない子どもたちに正しく伝えることで、その子たちが大人になったときに、もっとこの病気に対する先入観や悪いイメージがなくなって、やさしい社会になってほしいという願いを持っています。

取材・文/富田夏子 写真提供/小林えみか