サッカーU―22日本代表を率いる大岩剛監督、スペイン研修で気づいた「プロになってから戦術をやり始めても遅い」

サッカーU―22日本代表を率いる大岩剛監督、スペイン研修で気づいた「プロになってから戦術をやり始めても遅い」

 2028年ロサンゼルス五輪を目指すサッカー男子の世代別代表を率いる大岩剛監督が、読売新聞ポッドキャスト「ピッチサイド 日本サッカーここだけの話」に出演した。番組MCで元日本代表の槙野智章さんが、大岩監督の指導法に迫った。

ロス五輪世代

 U―22日本代表は、7月下旬にウズベキスタンに遠征し、同じ世代のサウジアラビア代表、ウズベキスタン代表と対戦し、2連勝を飾った。ポッドキャストの収録は、帰国から2日後に行われた。

 「我々は現時点で20歳以下の選手たちで編成しましたが、相手は22歳以下です。単純に2歳年上の選手たちと試合をしましたが、この年代の2歳差はものすごく大きくて、選手たちにはすごく貴重な2試合になったと思います」

大岩監督

 ロス五輪に向けて大岩監督が再任後、初の国際親善試合だった。MF嶋本悠大(清水)やFW井上愛簾(広島)らがメンバー入りした。大岩監督が短い期間でチームづくりをする上で意識していることは?

 「明確にプレーモデルや原則を伝えることで、瞬間的に(イメージが)試合中に映し出されるような伝え方は意識している。何かが残って、次にも生きるかなと思っています」

 今年9月には、20歳以下のU―20ワールドカップ(W杯)がチリで開幕する。そのU―20日本代表は船越優蔵監督がチームを率いる。

 大岩監督は「(船越監督と)連絡を取り合うことも多々あります。五輪代表の羽田憲司コーチがU―20と兼任している」と語り、各世代の情報共有も抜かりない。

指導者へ導いてもらった

 大岩監督は、2017年シーズンの途中から鹿島アントラーズの監督に就任。翌年にはAFCチャンピオンズリーグ(現・AFCチャンピオンズリーグエリート)で優勝した。鹿島の監督を2019年に退任し、2021年はU―18日本代表、2022年からU―22日本代表の監督を務める。クラブチームの監督と代表チームの監督とでは、指導に違いはあるのだろうか。

槙野さん

 「(選手への接し方は)あまり違いはないと思っています。プレッシャーが違うのかとか、選手との距離感はどうかとか、いろいろ皆さんには言われますが、違うのは時間だけ。トレーニングやミーティングも回数以外は全部同じ」

 クラブで監督をしたかったのか? 代表で監督をしたかったのか?

 「いやいや、ないない。現役を引退してすぐに鹿島でコーチに引き上げてもらったので、クラブに(指導者への)道を作ってもらって、導いてもらった。コーチを長くやったので、いろいろな方の指導を見て、(監督をすることへ)気持ちが変化していったというのが事実かな」

海外研修で刺激

 今年4~5月には欧州4か国を訪問し、バルセロナ、フランクフルト、ボルシアMG、トゥールーズなどの下部組織で研修に参加したという。

 「インプットの時間を取りたくて(日本サッカー協会に)研修をお願いしました」

 「スペイン人の監督にすごく興味があって。パリ五輪の代表を率いてスペインと2回対戦し、負けている。1回目は現在のスペインA代表を率いているデ・ラ・フエンテ監督のチームにコテンパンにやられた」

 実際に、実りの多い研修だったようだ。

 「バルセロナ、ボーンマス、トゥールーズはスペイン人監督が率いている。オープンマインドで受け入れてくれたので、すごく刺激的な1か月でしたね。彼らのまねじゃなくて、日本人に合うように指導をアレンジできたらいいと思っている」

収録時の様子

 パリ五輪世代を率いて感じたスペイン代表のすごさとは?

 「全員サッカーがうまいのよ、単純に。センターバックもサッカーうまいのよ。サッカーをよく知ってる」

 大岩監督は話が長くなることを断った上で、次のように続けた。

 「小さい頃からポジションの特性とか、サッカーを議論してるような気がする。スペイン人の小学生や中学生は、指導者と『なぜこの練習をやるのか』『なぜこういうプレーをしなきゃいけないのか』というディスカッションをすると聞く。サッカーに対する子どもたちの考え方が、日本人とは違うのかな。自分のプレーだけではないサッカーをしようとする環境が、小さい頃からあるんじゃないかな」

 「日本も中高生世代の指導者が、いろいろなことを提供できる環境にしてあげないといけない。プロになってから戦術をやり始めても遅いのではなかという気づきもあった。そういう発信を日本の皆さんにしていけたらいいと思うし、若い選手に刺激を与えられる指導をしたいなと思っています」

プロフィル

大岩剛(おおいわ・ごう)

 ロサンゼルス五輪を目指す世代別代表監督。パリ五輪から2大会連続で五輪代表監督をつとめる。現役時代はセンターバックとして名古屋、磐田、鹿島で活躍。現役引退後は鹿島アントラーズのコーチに就任。2017~19年には鹿島監督を務め、18年にアジア・チャンピオンズリーグを制覇。1972年生まれ、静岡県出身。