最強の高校サッカー集団、「清水商業」が残した伝説…サッカー世代別代表監督・大岩剛「練習試合は日産と」

 2028年ロサンゼルス五輪を目指すサッカー男子の世代別代表を率いる大岩剛監督が、読売新聞ポッドキャスト「ピッチサイド 日本サッカーここだけの話」に出演した。静岡県のサッカー古豪・清水商業高校時代の思い出を、番組MCで元日本代表の槙野智章さんと語った。

ピッチサイド 日本サッカーここだけの話

名門「清商」

 大岩監督は高校サッカーの強豪校として知られる清水商業高の出身。サッカーファンには「 清商(きよしょう) 」の名で親しまれた名門だったが、2013年に庵原高校と統合して清水桜が丘高校となっている。

大岩監督

 清商は全国高等学校サッカー選手権大会で3度の優勝を誇る。サッカー指導者の風間八宏さん、元日本代表の名波浩さん(現・日本代表コーチ)や川口能活さん(現・ジュビロ磐田GKコーチ)らを輩出した。

 大岩監督の同学年には名波さんや横浜マリノスなどで活躍した山田隆裕さん。1学年先輩には、元代表でジュビロ磐田などで活躍した藤田俊哉さん。1学年後輩には名古屋グランパスなどで活躍した望月重良さんなど、同世代で清商出身のJリーガーは多い。

 「今でも名波と昔話をすると、『試合ばっかりだったね』と。今でもインターハイやクラブユースなど、この世代は大会がたくさんある。休みがなかったイメージですよね」

 Jリーグが誕生したのは、大岩さんが筑波大学に在学中のタイミングだった。

 「山田は日産(現・横浜F・マリノス)に行ったし、ヤマハ発動機(現・ジュビロ磐田)やトヨタ自動車(現・名古屋グランパス)などの実業団でサッカーをやるか、大学に行くかという時代だった。Jリーグは大学の時に開幕するんだけど、私が高校生の頃はJリーグという目標はなかったですね」

練習試合は日産と

 「サッカー王国」静岡県の代表校として戦う試合はプレッシャーも大きかったという。

 「静岡県の代表は勝たなきゃいけないというプレッシャーがありました。全国の学校から、清商を倒すというプレッシャーはありました」

 大岩監督が高校3年の1990年度は、インターハイと全日本ユースを優勝して、冬の全国高校選手権大会も優勝候補と目された。しかし、3回戦で埼玉県代表の大宮東にPK戦で敗れた。

槙野さん

 この年の清商は、選手権大会の県予選を戦っていない。大岩さんも出場したアジアユース選手権が県予選と重なった関係で、アジアユースの代表選手がいた清商や国見高(長崎県)や習志野高(千葉県)などは予選が免除された。

 試合に向けた調整が難しかったか?

 「そういうのは言い訳になっちゃいますよね」

 「当時は試合が多すぎて、『どの大会のどの試合なの?』って曖昧なまま試合をしている感覚だった。練習試合は高校生とはやらず、当時の日産自動車とした。日産の黄金世代の木村(和司)さんたちと。水沼(貴史)さんにも『あの時のクソ生意気な高校生』って、いまだに言われますよ」

 当時の静岡県には清水商業以外にも、清水東高に野々村芳和・Jリーグチェアマン、東海大一高(現・東海大静岡翔洋)には森島寛晃・セレッソ大阪会長が同学年でいた。

 「県選抜チームになれば仲間になるし、ライバルというより仲間という思い出がありますよね」

プロフィル

大岩剛(おおいわ・ごう)

ロサンゼルス五輪を目指す世代別代表監督。現役時代はセンターバックとして名古屋、磐田、鹿島で活躍。現役引退後は鹿島アントラーズのコーチに就任。2017~19年には鹿島監督を務め、18年にアジア・チャンピオンズリーグを制覇。1972年生まれ、静岡県出身。