F1で214戦未勝利中。フェルナンド・アロンソのこの記録はいつ止まるのか?:F1歴代の未勝利記録を振り返る
現在はアストンマーティンからF1に参戦しているフェルナンド・アロンソは、直近214戦連続で未勝利となっている。ただF1の歴史には、アロンソ以上に長い期間未勝利を貫いてしまったドライバーも複数いる。
アロンソは2001年にミナルディからF1デビュー。翌2002年はルノーのリザーブドライバーとなったが、2003年にはそのルノーのレギュラードライバーに抜擢され、同年のハンガリーGPで初優勝。2005年と2006年には2年連続でドライバーチャンピオンに輝いている。
その後アロンソは勝利を積み重ね、通算32勝。ただ彼にとって最後の勝利は、フェラーリに乗っていた2013年のスペインGP。それ以降、実に10年以上にわたって勝利から遠ざかっている。その数は、先日行なわれたハンガリーGPを終えた時点で214戦連続未勝利ということになった。
ただアロンソと同様、いやそれ以上のレース数を未勝利で過ごしたドライバーも他にいる。その面々を振り返ってみよう。
ケビン・マグヌッセン:185戦

Kevin Magnussen, McLaren, sprays Champagne on the podium
ケビン・マグヌッセンは、F1では一度も勝利のチャンスが訪れなかったと言っても過言ではないだろう。
マグヌッセンは2014年にマクラーレンからF1デビュー。その初戦となったオーストラリアGPでは、レッドブルのダニエル・リカルドが失格となるという幸運もあり、いきなり2位表彰台を手にした。
しかしその後は厳しいレースが続いた。当時のマクラーレンは、既にトップチームと呼べるようなパフォーマンスを持ち合わせておらず、マグヌッセンはすぐにルノーに移籍。ただそのルノーも、苦戦を強いられている時期であった。
その後はハースに加入。中堅チームであり、勝利を目指すのは難しかった。
結局マグヌッセンはキャリアを通じて9898周を走破。一度も首位を走ることはできなかった。
セルジオ・ペレス:189戦

Sergio Perez, Racing Point RP20, 1st position, takes victory to the delight of his team on the pit wall
ペレスにとって、初勝利までの道のりは実に長いものとなった。
2011年にザウバーからF1デビューしたペレスは、2013年にマクラーレンのドライバーに抜擢された。しかし前年ザウバーでは表彰台を3回も獲得していたものの、マクラーレンでは一向に好パフォーマンスを発揮できず、表彰台はゼロ。わずか1年限りでチームを放出された。
その後フォースインディアに移籍し、チームの名称がレーシングポイントと変わった後も、同チームに所属。毎年のように表彰台を獲得する、名バイプレイヤーとしてのポジションを確固たるものとした。しかし中団チームであることは間違いなく、勝利にはなかなか手が届かなかった。
しかし彼が初めて勝ったのは、レーシングポイント時代の2020年サクヒールGP。ペレスはレース序盤にフェラーリのシャルル・ルクレールに追突されてスピンし、最後尾に落ちてしまう。しかしその後のレースはセーフティカーやバーチャル・セーフティカーが複数回出される乱戦となり、ペレスがポジションを挽回。さらに上位を走っていたメルセデス勢が、ピット作業時にバルテリ・ボッタスのタイヤをジョージ・ラッセルに履かせてしまうという大失敗を喫したこともあって、ペレスが首位に浮上。結局そのまま逃げ切って見せた。
その活躍が目に留まり、翌年からレッドブルのドライバーとして抜擢。チームのエースたるマックス・フェルスタッペンを強力にサポートし、自らもこの間5勝を挙げた。しかし、2024年限りで一旦F1を離れることになった。
アンドレア・デ・チェザリス:208戦

Andrea de Cesaris, Alfa Romeo 182
「壊し屋」との異名も取ったアンドレア・デ・チェザリスは、F1に208戦出走。うち147戦はリタイアで、さらにそのうち35回は、他のドライバーと接触したり、あるいはコントロールを失ってコースオフしたことが理由だった。
15シーズンにわたって10チーム以上を渡り歩いたチェザリスは、アルファロメオのマシンを駆っていた1982年、アメリカ西GPでポールポジションを獲得した。このPP獲得記録は、当時としては最年少記録であった。しかし、決勝ではニキ・ラウダ(マクラーレン)に抜かれ、その後ブレーキトラブルに見舞われてクラッシュ……リタイアとなった。
1983年のベルギーGPでも、3番グリッドからスタートして一時首位に立ったが、ピットストップの遅れにより後退。そしてマシントラブルでリタイアしている。
チェザリスは結局キャリア通算で5回の表彰台登壇を果たしている。1983年ドイツGPでは首位から9秒差、同年南アフリカGPでは11秒差で2位……この2戦が、彼が勝利に最も近付いたレースだったといえよう。
結局チェザリスは、1994年までF1で走った。
フェルナンド・アロンソ:214戦

Fernando Alonso, Ferrari F14T, leads Lewis Hamilton, Mercedes F1 W05 Hybrid, and Daniel Ricciardo, Red Bull Racing RB10 Renault
32勝、2回のチャンピオン獲得経験を持つアロンソがこのリストに名を連ねているのは、一見奇妙に見えるかもしれない。しかしフェラーリでの2013年スペインGPの次、33勝目の優勝は今も叶っていない。
アロンソは直近12年間、マクラーレン、アルピーヌ、そしてアストンマーティンといったチームで中団争いに甘んじた。表彰台に上がったことは何度もあったが、それは頂点ではなかった。
2013年以降でアロンソが最も勝利に近付いたのは、2014年のハンガリーGPだった。残り2周というところまで首位を走り、レッドブルのダニエル・リカルドと メルセデスのルイス・ハミルトンを相手に優勝争いを繰り広げたのだ。しかし最後は力尽き、リカルドに抜かれて2位に終わった。
それ以降、アロンソはF1で9850周を走り、6周で先頭を走った。
ニコ・ヒュルケンベルグ:241戦

Nico Hulkenberg, Force India VJM05 Mercedes, slides into Lewis Hamilton, McLaren MP4-27 Mercedes, whilst attempting to pass for the lead
ニコ・ヒュルケンベルグは2025年のイギリスGPで3位に入り、キャリア初の表彰台を獲得。ついにF1表彰台未登壇記録に終止符を打った。しかし、未勝利での出走記録は、依然として更新継続中である。
ヒュルケンベルグは、ドライバーとしての能力は高く評価されていたものの、所属チームはウイリアムズ、ザウバー、フォースインディア、ルノー、ハースなど、中団グループばかりであり、F1ではなかなか上位を争うことはできなかった。デビュー年のブラジルGPでは、ポールポジションを獲得したのに……である。
2012年のブラジルGPでは、フォースインディアのマシンでマクラーレンのジェンソン・バトンを抜いて首位走行。しかしハーフスピンを喫した際に、ルイス・ハミルトン(マクラーレン)に首位を奪われてしまう。ただヒュルケンベルグは諦めず、果敢にハミルトンを抜き返しにいった。しかしその時には周回遅れのマシンが周囲に複数おり、あろうことかヒュルケンベルグとハミルトンが接触。ハミルトンはその場でリタイアし、ヒュルケンベルグはコースに復帰できたものの、大きく順位を落とした。
その後雨脚が強まる中、勝ったのはバトン。ヒュルケンベルグは5位だったが、間違いなく優勝を争った1戦だった。以降、彼にはこれ以上の好機が訪れることはないままとなっている。
勝利後(2番目に)長い未勝利記録:ヤルノ・トゥルーリ:135戦

Race winner Jarno Trulli, Renault F1 Team with Flavio Briatore, Renault Team Principal
レースに優勝した記録を持ちながら、その後未勝利のレースが最も長く続いているのは、前出のアロンソである。そのアロンソに次ぐ未勝利レース記録を持つF1ウイナーは、ヤルノ・トゥルーリである。
トゥルーリは1997年にミナルディからデビューすると、その才能が買われ、シーズン中にプロストへと移籍。その後ジョーダン、ルノーと渡り歩いた。そのルノーはまだ本格的に勝てるチームになる直前だったものの、2004年のモナコGPで初優勝を手にした。
しかし徐々にチーム代表のフラビオ・ブリアトーレとの関係が悪化し、2004年シーズン中にトヨタへと移籍。トヨタがF1を撤退した後は、新興チームのロータス・レーシングへと移り、通算1勝でキャリアを終えた。
トゥルーリはトヨタ時代、1回のポールポジションと7回の表彰台を獲得した。優勝に最も近付いたのは、2009年のバーレーンGP。このレースでトゥルーリは、ポールポジションからレースをスタートしたものの、予選で燃料を少なく搭載しすぎていた(当時のレギュレーションでは、予選Q3に進出したドライバーは、タイムアタック時に決勝スタート時と同じだけの燃料を積むことが義務付けられていた)ことが原因で決勝レースで不利に。結局勝ったジェンソン・バトン(ブラウンGP)から9秒差の3位フィニッシュとなった。
勝利の間隔が最も長かったドライバー:キミ・ライコネン:111戦

Race winner Sebastian Vettel, Ferrari, Kimi Raikkonen, Ferrari
キミ・ライコネンは、2013年のオーストリアGPで勝った後、2018年のアメリカGPで次の勝利を挙げるまで、111戦を要した。2回の勝利の間が100戦以上空いたのは、このライコネンの記録が唯一である。
ただ勝利こそなかったものの、この111戦の間にライコネンは、30回以上も表彰台を獲得している。
実際、勝利の可能性も何度かあった。例えばロータスのマシンをドライブしていた2013年のドイツGPでは、勝ったセバスチャン・ベッテル(レッドブル)までわずか1秒差にまで迫った。また、フェラーリに移籍した2015年のバーレーンGPでは、勝ったハミルトン(メルセデス)に3.4秒差。2017年モナコGPではポールポジションからスタートして33周にわたって首位を走ったものの、最終的にはベッテルに抜かれてしまった。
ただこのライコネンの記録は安泰ではない。アロンソが次の勝利を手にすれば、その記録は大幅に塗り替えられることになるからだ。
アロンソが次に勝つのは今シーズン中なのか? あるいはエイドリアン・ニューウェイが開発を指揮し、ホンダのワークス・パワーユニットを搭載することになる来季以降なのか?
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