日本車は「値上げ」で生き残れるのか? 自動車関税2.7兆円負担増が突きつける、米国価格戦略の正念場
自動車関税引き下げの行方
米財務省は、日本からの自動車輸入関税を15%に引き下げる時期について、7月下旬の日米合意から約50日後の9月中旬ごろになる見通しを示した。
【画像】日産自動車「平均年収」の実態!
米政府は7月22日、日本製自動車および部品への関税を27.5%から15%に引き下げることで合意したが、米国側文書に自動車関税の引き下げは明記されておらず、実現に不透明感が漂っている。この状況で日本の自動車メーカー各社は、
「増税分を価格に転嫁するか吸収するか」
の経営判断を迫られている。7社合計の2026年3月期の関税影響額は約2兆7000億円に達し、営業利益を約3割押し下げる見込みだ。
本稿では、度重なる値上げでブランド価値を維持・向上させた
「高級ブランドの成功事例」
を参考に、日本車の価格戦略と収益性の関係を多角的に分析する。また、米国との相互関税の経済的制約下で、日本の自動車産業が残された成長の選択肢を探る。
日米関税と価格転嫁の実態
ホワイトハウス(画像:Pexels)
2025年7月31日付の大統領令により、米国東部時間8月7日午前0時1分以降に通関した日本からの輸入品に対する追加関税は、従来の10%ベースラインから15%の相互関税へと引き上げられた(当初の24%から引き下げ)。この措置は日本を含む69か国・地域に適用される相互関税率の変更である。
自動車の相互関税15%を価格に転嫁すると、例えば車両価格が3万ドル(約440万円)から3万4500ドル(約506万円)へと
「4500ドル(約66万円)」
上昇する計算になる。トヨタ自動車は相互関税の影響額を約1兆4000億円と試算しており、米国での販売台数約200万台から1台あたり約7000ドル(約103万円)の負担増と見込んでいる。
相互関税導入により米国内でインフレ懸念が広がるなか、国民への関税還付の動きも表面化している。トランプ元大統領は還付の検討を示唆し、米議会では関税収入を活用し全国民にひとり当たり最低600ドル(約9万円)を支給する法案も浮上している。
還付額次第ではあるが、関税転嫁による価格上昇が国民生活に大きな影響を及ぼさないよう対策が模索されている。
値上げとブランド価値の境界線
LMVHの「VivaTech」出展ブースの一部(画像:LMVH)
シャネルやルイ・ヴィトン、ディオールといった高級ブランドは、ここ数年の度重なる値上げで利益を拡大させてきた。
スイス金融大手UBSのアナリスト分析によると、2019年以降の4年間で高級品業界の売上増加の半分は値上げが原因であり、そのうち3分の1は2016~2023年に実施された価格改定によるものだという。
シャネルの代表作「キルティング・フラップ・バッグ」の価格は2015年から2024年にかけて3倍以上に上昇し、「レディ・ディオール」やルイ・ヴィトンの「キーポル」も2倍以上値上がりした。
しかし、経済的な圧力や値上げ疲れから、消費者の購買意欲は低下し、2024年は約5000万人の顧客を失ったと推計されている。業績回復の兆しが乏しいなかで、相互関税によるさらなる値上げは非常に厳しい状況だ。
仏ケリング傘下のグッチは2025年上半期決算で、売上高が前年同期比25%減の30億ユーロ(約5160億円)となり、不振が続く。一方、ルイ・ヴィトンやディオールを傘下に持つLVMHの2025年上半期売上高は減収減益だが、減収幅は4%にとどまった。
多くの高級ブランドの明暗を分けたのは
・価格決定力
・品質/創造性
の整合性だ。エルメスやルイ・ヴィトンは高級ブランドとしての地位が確立され、値上げに消費者が追随した。一方、グッチのような流行追求型ブランドは一定のブランドイメージが定着せず、値上げがブランド価値を損なうリスクとなった。
このことから、市場で値上げが受け入れられるかどうかは、ブランド価値の分かれ目となっている。
米市場で問われる日本車の価格転嫁の限界
フォード・エスケープ(画像:フォード)
米国市場での日本車は、信頼性や燃費性能に加え、高いコストパフォーマンスで長年支持されてきた。しかし、プレミアムブランドとしての認知はまだ達成していない。
米国のメーカー希望小売価格(MSRP)で比較すると、トヨタ・ランドクルーザーは5万7900ドルから6万3900ドルで、ジープ・グランドチェロキーは3万8490ドルから6万5035ドル。マツダ・CX-5は3万265ドルから4万2295ドルで、フォード・エスケープは3万1010ドルから3万9005ドルとなっている。
もし日本車が15%値上げすると、米国車との価格差が広がり、日本車の強みであるコストパフォーマンスが失われる可能性が高い。価格上昇による性能差やブランド力への影響は大きく、市場がその値上げを受け入れるかは不透明だ。増税分の価格転嫁に耐えうるブランド価値を築けるかは各メーカーの戦略に依存するが、一部ではその限界が近づいている。
一方で、レクサス、アキュラ、インフィニティなどの高級車ブランドは価格転嫁が比較的容易とみられるが、ここでもブランド力の強さが市場受容の鍵となる。
増税時代の国際サプライチェーン
ドナルド・トランプ米大統領(画像:EPA=時事)
北米市場での増税分吸収策として、まず挙げられるのは
・現地生産比率の引き上げ
・サプライチェーンの最適化
によるコスト削減である。現地生産は製造拠点の移転にとどまらず、関税回避と物流コストの圧縮を同時に実現可能な施策だ。これは米国市場の需給変動に即応できる生産の地産地消モデルへの転換を意味する。
さらに、グローバル視点の価格最適化戦略も効果的だ。北米での値上げを他地域の収益で補填するクロスサブシディ構造を持つ事業ポートフォリオは、短期的な価格競争力維持の安全弁になる。ただし、為替変動や他市場の景気後退リスクを抱えるため、北米依存度の高いメーカーは慎重なシナリオ設計が必要だ。
生産工程の見直しや原材料調達コストの低減も短期的な利益圧迫を緩和する直接的手段である。具体的には
・鋼材やアルミ価格の長期契約による原価安定化
・モジュール共通化による部品点数削減
などが考えられる。しかし、マージン圧縮による価格据え置きは、株主資本利益率(ROE)や投資余力を低下させ、長期的な競争力の損失につながるリスクがある。
トランプ政権の「国民還元型保護貿易」政策は、輸入抑制策ではない。関税収入を国内に循環させ、増税由来のインフレ圧力を緩和し、消費者の購買力維持を狙う。共和党議員の一部は、バイデン前政権期に減少した家計貯蓄を回復させるため、関税収入を原資にひとり当たり600ドル以上の還付を行うべきだと主張している。これは外国メーカーの価格戦略に予測困難な変数をもたらす可能性がある。
米国との貿易交渉は依然として混乱と膠着状態が続く。今回の関税引き下げ合意も正式な条文化に至っていない。日本政府は短期的に暫定合意の早期履行を米側に迫るとともに、中長期的にはFTA再構築やWTO紛争処理を視野に入れた多層的交渉戦略が不可欠だ。自動車産業にとって、これは関税問題ではなく、国際サプライチェーン再編に向けた意思決定の期限を突きつけられている重要局面である。
価値創出による日本車の生き残り策
国旗(画像:写真AC)
日本メーカーが競争力を維持するには、増税分の価格転嫁にとどまらず、「ブランド強化」をともなう戦略的な値上げが不可欠だ。顧客が価格上昇を正当に評価できるよう、
・体験価値
・サービスパッケージ
といった付加価値の提供が求められる。また、中古車・リセール市場の整備を通じて日本車の資産価値向上に取り組むことも重要だ。
加えて、電動化モデルの導入を加速させ、プレミアム市場でのポジションを強化する必要がある。価格転嫁をコスト転嫁と捉えず、
「価値創出」
として戦略的に推進する視点が、生き残りの条件となる。
自動車関税15%の変更は短期的にコスト圧力を高めるが、中長期的には日本車の
「商品力の真価」
が試される局面だ。値上げを続けても選ばれ続けるブランドになるか。安価かつ高品質という従来の競争軸から脱却し、新たなプレミアム戦略を描けるかが、次の10年の競争力の重要局面となる。