合計50%の関税に直面するインド、ロシア産原油の輸入をやめても、トランプ関税でも、内需刺激でもインフレの三重苦
インフレを巡り八方塞がりの状況にあるインド。写真はモディ首相(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)
(土田 陽介:三菱UFJリサーチ&コンサルティング)
インドの通貨ルピーの相場が低迷している。ルピーの対ドルレートは昨年後半から今年の年明けにかけて急落し、一時1ドル=87ルピーを割り込んだ(図表1)。その後、中銀であるインド準備銀行(RBI)の為替介入などもあってルピー相場は84ルピー台まで持ち直したが、4月以降、再び相場が下落に転じ、再び87ルピー台となった。
【図表1 ルピー相場の動向】
(注)外貨準備は金準備や特別引出権を含まない。(出所)インド準備銀行(RBI)
そもそもルピー相場が下落した理由は、インドの経済成長の鈍化に伴い多額の資本流出が生じたことにあった。しかし今年4月以降の相場の弱さは、いわゆる「トランプ関税」によるところが大きい。米国はインド製品に対して、8月7日より25%の輸入関税を課している。さらに27日には、追加で25%を上乗せする意向を示している。
インド製品への関税は最大で50%になるが、なぜトランプ政権がここまでインドを圧迫するかというと、それはインドがロシアから大量に原油を輸入しているためだ。インドは中国と並ぶロシア産原油の大口需要家であり、これまでも米国による「二次制裁」の目を盗みながら、安価なロシア産原油を大量に輸入してきたことで知られている。
当初、ロシアとインドは双方の通貨、特にルピーを用いて決済を試みたが、ロシアが圧倒的な貿易黒字を計上しても、獲得したルピーで第三国との貿易を決済できなかったため、実質的には機能していなかった。現物を使った決済も試みられたようだが、結局はドルとペッグされたUAEディルハムを用いた決済に落ち着いたようだ。
そこで、トランプ政権は25%の関税に、さらに25%を上乗せして50%の関税を課すという直接的な手段を通じて、インドによるロシア産原油の購入をやめさせようとしている。
ただ、仮に50%の関税を課された場合、インドの経済には強烈な下振れ圧力がのしかかる。それに加えて、インドの“主要国離れ”に拍車をかける恐れが大きくなる。
米国から稼いだ外貨でモノを輸入するインド
インドの経済にとって、対米貿易はどのような意味を持つのだろうか。インドの貿易収支の内訳を国・地域別に確認すると、米国や欧州連合(EU)、英国には黒字である半面、ロシアや中東、中国に対しては赤字となっている(図表2)。すなわち、先進国から稼ぎ出した外貨で、インドは新興国から輸入をしている経済であることが分かる。
【図表2 インドの貿易収支の国・地域別内訳(2024年)】
(出所)国際通貨基金(IMF)
その中でも、米国から得る貿易黒字は2024年時点で約360億ドルと、EUから得られる黒字(約210億ドル)を大きく上回る。そこに50%の関税を課せられれば、貿易黒字は縮小を余儀なくされる。
ここで米国が輸入するインド製品の内訳を確認すると、電気機器等を筆頭に、医療用品、真珠・貴金属等、原子炉等といった品目が並ぶ(図表3)。
【図表3 米国が輸入するインド製品の品目別内訳(2024年)】
(出所)米商務省センサス局
その中でもインドにとって頭痛の種なのは、トランプ政権が医薬品に対して最大で250%もの関税をかけようとしていることだ。
トランプ関税がもたらす対中包囲網の崩壊と印露接近シナリオ
製薬業の国内回帰を志向するトランプ政権は、当初は低く設定した医薬品への関税を、1年から1年半をかけて段階的に250%まで引き上げる意向を示している。そこまで至らずとも、医薬品への課税は必至な情勢である。
50%の関税が課された上に、医薬品に対してそれ以上の税金が課されれば、インドの製薬業界はかなり厳しい状況に追い込まれる。ここで各国、特にEUや英国などのヨーロッパ勢が意識しなければならないのが、行き場を失ったインド製品がヨーロッパ市場に流れ込んでくる展開だ。そうなると、ヨーロッパ勢は対抗措置を取らざるを得ない。
具体的には、アンチダンピング税の導入だ。これは国際貿易機関(WTO)で認められた措置だが、これをいたずらに発動すれば、ヨーロッパとインドとの間の経済協力関係にひびが入りかねない。特に英国はインドと今年5月に、またEUも早期の自由貿易協定(FTA)の締結を目指す中でアンチダンピング税を導入すれば、当然、禍根を残すだろう。
こうしたトランプ政権によるインドへの圧迫は、さまざまな不協和音を生じさせる恐れがある。
第一に、米欧印の間でコンセンサスとなっていた対中包囲網の形成が崩壊する可能性だ。日本が提唱した戦略概念である自由で開かれたインド太平洋にも連なるが、いずれにせよ、中国を念頭に置いた米欧とインドとの協力関係を覆すものになりかねない。
近年の米国の外交上の最優先課題は、中国をけん制することにある。これは前任の民主党バイデン政権も現在の共和党トランプ政権も同様だが、バイデン政権は米欧を中心とする世界秩序にインドを組み込み、中国を事実上、包囲しようとした。しかしトランプ政権がインドに対する圧迫を止めなければ、インドはこの枠組みから離脱するだろう。
第二に、かえってインドがロシアに接近する可能性である。インドは建国以来、普通選挙が機能する民主主義国家だが、一方で社会主義を標榜し、かつてはロシアの事実上の前進国家である旧ソ連にシンパシーを持っていた。両国の政治的な関係はウクライナとの戦争に参加したインド人兵の扱いを巡り緊張したものの、現在はやや緩和している。
インドはもともと大国志向が強い国だが、近年はグローバルサウスの盟主を自負し、その姿勢を鮮明にしている。実利的な性格も強いため、米国との関係を極端に悪化させてまでロシアと接近する展開は考えにくく、一度はロシアとの原油の取引を縮小させたとしても、徐々に “対米デリスキング”を進め、着実にロシアへ接近するかもしれない。
インフレを巡り八方塞がりのインド
そもそもインドがロシアから大量の原油を輸入するようになったきかっけは、米欧日が課した経済・金融制裁のために、ロシア産原油の価格が国際価格よりも安価になったからである。言い換えれば、インドにはデメリットに勝るメリットがあったからこそ、制裁対象であるロシア産原油を輸入してきたのだが、それが今、逆転しようとしつつある。
仮にインドが米国の意向を汲み、ロシア産原油の輸入を止めるなら、代わりにインドは中東の産油国からの原油の輸入を増やすだろう。つまり、ロシアとウクライナが戦争を始める前の原油の輸入の在り方に回帰するわけである。とはいえ、中東産原油の価格はロシア産原油の価格より高いわけだから、エネルギー面からインフレが刺激される。
だからといって、ロシアからの原油の輸入を継続すれば、米国から高い関税を課され、貿易面からインドの経済に負荷がかかる。こうした状況を見越してか、インドは内需刺激のために消費減税を実施するようだ。しかしそれは財政の悪化につながるため、さらなるルピー安を招き、インフレを加速させる。インドはまさに、インフレを巡り八方塞がりの状況にある。
もちろん、トランプ政権が望むようにロシアとウクライナの間で停戦が成立し、トランプ政権がロシアへの圧迫を弱めるなら、ロシア産原油の輸入を理由に追加される25%の関税は撤廃される可能性がある。また交渉次第では、ベースの25%の輸入関税も引き下げられるかもしれない。ただし、インドの対米感情は間違いなく悪化するだろう。
※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です
【土田陽介(つちだ・ようすけ)】 三菱UFJリサーチ&コンサルティング(株)調査部主任研究員。欧州やその周辺の諸国の政治・経済・金融分析を専門とする。2005年一橋大経卒、06年同大学経済学研究科修了の後、(株)浜銀総合研究所を経て現在に至る。著書に『ドル化とは何か』(ちくま新書)、『基軸通貨: ドルと円のゆくえを問いなおす』(筑摩選書)がある。