「円安はもう終わらない」日米金利差と経常収支の構造が示す長期的な円安トレンド
日本の収支構造は、貿易収支が赤字でも第一次所得収支で黒字を出せる構造に変わった(写真:ロイター/アフロ)
円安はいつまで続くのか。日本の経常収支は黒字続きであるにもかかわらず、なぜ、円高に転じないのか。
円安の背後では、日米の金利差や海外での投資収益、増え続けるデジタル赤字など、さまざまな要因が複雑に絡み合っていると語るのは石川久美子氏(ソニーフィナンシャルグループ株式会社 シニアアナリスト)。『円安はいつまで続くのか 為替で世界を読む』(マイナビ出版)を上梓した石川氏に、今後の円の行方について、話を聞いた。(聞き手:関瑶子、ライター&ビデオクリエイター)
──新型コロナウイルスのパンデミックによって加速したインフレに対し、欧米諸国の中央銀行は比較的早い段階で利上げを敢行しました。一方、日本銀行(以下、日銀)が利上げに踏み切ったのは2024年3月。この間に生じた「金利の差」によって、円安が進行した可能性があると書かれていました。
石川久美子氏(以下、石川): 金利が高い国には資金が集まりやすいという傾向があります。
例えば、100万円を運用する場合を考えてみましょう。
日本の金利が0%、米国の金利が5%、為替レートが1ドル=100円だと仮定します。日本に預けても1年後の元本は100万円のままですが、ドルに替えて1万ドルを米国で運用すれば、1年後には5%の利息がついて1万500ドルになります。
さらに、その時点でドル高が進み1ドル=110円となっていた場合、これを円に戻せば115万5000円になります。
このように、信用力が同程度の国同士であれば、低金利の国よりも高金利の国で運用するほうが、金利収入に加えて為替差益も得られる可能性が高くなります。これが「金利が高い国にマネーが流れる」メカニズムです。そして資金流入はその国の通貨需要を押し上げ、結果として通貨高につながります。
──2019年末からのコロナ禍では、どのような影響があったのでしょうか。
石川:パンデミックの発生によって先進国ではサービス需要が急減し、景気が悪化しました。
それに対して、各国の中央銀行は利下げに踏み切り、金融緩和で対応します。その後、経済活動をいち早く再開した米国から景気が回復し、財需要の増加が賃金や家賃などのサービス分野にまで波及、インフレが加速しました。そこにロシアによるウクライナ侵攻が重なり、欧米は2021年末から利上げを開始しました。
一方、日本は長期にわたり低インフレが続き、企業がコスト上昇分を価格転嫁しにくい状況が続いていました。結果として、日銀の利上げ決定は2024年3月まで遅れ、その間に日米間の金利差が大きく開いたのです。
為替レートは大きな流れとして、名目金利から物価上昇分を差し引いた「実質金利」の差に左右されます。特に2021年以降は、ドル円相場が日米の実質金利差と非常に強く連動しており、この金利差の拡大がドル高・円安を一層進めたと考えられます。
──2022年1月に日銀が公表した展望レポート「経済・物価情勢の展望」では、実質実効為替レート(※)に10%の円安が加わった場合、1%弱程度実質GDP(国内総生産)にプラスの影響を与えると書いてありました。なぜ円安はGDPにプラスになるのでしょうか。
※自国通貨の価値を、複数の貿易相手国との為替レートと物価水準の差を考慮して示した指標のこと。
円安がGDPに寄与した3つの理由
石川:この日銀の展望レポートでは、新型コロナウイルスのパンデミック前までの20年間を前半(主に2000年から2009年まで)と、後半(2010年から2019年まで)の2つの期間に分けて、実質実効為替レートが10%円安が進んだ場合について推計しています。
すると、前半、後半、いずれについても実質GDPに1%弱程度のプラスの影響があったことが明らかになりました。けれども、単純に、いつでも「円安はGDPにプラス、円高はマイナス」という話ではありません。今回のレポートで推計した期間の条件においては円安がGDPにプラスに働いた、と捉えるのが適切でしょう。
レポートでは、2000年から2019年までの間、円安がトータルでGDPのプラス要因となった理由としては、「①円安による財輸出の数量の押し上げ効果」「②第一次所得収支(※)の改善を通じた国内経済へのプラスの影響」「③物価への影響」の3点に言及しています。
※経常収支の一部で、海外資産(株式、債券など)から得られる配当・利子・利益、海外現地法人の利益送金など、日本が海外投資で稼ぐお金を指す。
「①円安による財輸出の数量の押し上げ効果」は、円安(円の価値が下がること)によって、日本から輸出されるモノ(財)の数量が増える効果を指します。
円安になると、外国通貨ベースで見た日本製品の価格が下がるため、海外から見れば「日本製品が安く買える」ことになり需要が増加し、輸出数量が押し上げられるという結果になります。
「②所得収支の改善を通じた国内経済へのプラスの影響」は、まず円安になると海外からの収入(配当・利子など)の円換算額が増加します。
例えば、100億ドルの配当収入があった場合、円安で1ドル150円の場合は1.5兆円、円高で1ドル100円の場合は1兆円になります。同じドル収入でも円安のほうが円換算額が大きくなるため、所得収支が改善するのです。
これにより、企業利益が増加。その収益の国内還流も増加傾向にあり、日本における新たな設備投資につながることが期待されます。
「③物価への影響」については、日本では輸入品の占める割合(輸入ペネトレーション比率)が高まっているため、円安が経済に与える影響が以前より強くなっていると考えられます。
具体的には、円安によって輸入品の価格が上がり、その分だけ物価が押し上げられやすくなっているということです。物価が上がれば、生産量が増えなくても、値上げ分だけ企業の売り上げや利益は増えることになります。
貿易赤字をカバーしている存在
──経常収支の一つであるサービス収支を総合的に見ると、円安は赤字を促す要因となり続ける可能性のほうが高いとありました。これは、どういうことでしょうか。
石川:サービス収支は、旅行や輸送、知財使用料などで構成されています。
2000年以降から、毎年の増減はありますが、受け取りも支払いも増加しており、サービス収支の規模は拡大傾向です。ただ、収支として見た場合、1996年以降、赤字が続いています。
この赤字の主な要因は「デジタル」で、ソフトウェアの購入やクラウドサービスの使用、音楽や動画の配信サービスなどすべてが含まれています。これらのサービスを提供する企業のほとんどが海外企業です。
こうした事業を、今から日本で内製化するのは極めて困難です。DXが進めば進むほど、海外にマネーが流れていくという仕組みが出来上がってしまっている。円安になれば、サービス利用料金を円換算した場合、割高になります。つまり、円安によってデジタル赤字がさらに拡大するリスクがあります。
──第一次所得収支には、円安がプラスに作用するとありました。
石川:第一次所得収支には、日本企業が海外に工場や子会社をつくる、企業を買収するなど、実際に経営に関与する形で投資した資産から得られる直接投資収益と、株式や債券など金融資産から得られる証券投資収益が含まれます。
第一次所得収支は、いわば「海外で稼いだマネー」です。前出の日銀のレポートの「②所得収支の改善を通じた国内経済へのプラスの影響」の通り、円安は第一次所得収支の黒字を拡大させます。
今後、海外の設備投資意欲が著しく停滞する、海外からの事業や投資資金を撤退させるというような流れが起きなければ、第一次所得収支は黒字が続き、円安はプラスに働くはずです。
現在の日本の経常収支は、貿易収支が赤字でも、第一次所得収支が巨額の黒字を出している構造になっています。
──「教科書的には経常黒字は『通貨高』要因になる」とありますが、日本では長らく経常収支が黒字であるにもかかわらず、現在は円安傾向にあります。
経常黒字なのに円安傾向になるのはなぜか?
石川:経常黒字は本来、海外で得た収益が国内に戻ってくる力を持つため、通貨高要因になり得ます。しかし、為替を動かす要素は経常収支だけではありません。
現在の日本では、経常黒字の大部分を第一次所得収支、すなわち海外投資からの利子や配当、企業収益が稼いでいます。これらの収益は現地で再投資を続けたほうが効率的であり、あえて日本に還流させる必然性は乏しいのが実情です。
企業にとっては海外で運用を続けたほうが収益性が高く、あえて国内に戻す必要性は乏しいのが実情です。
さらに、外国為替市場の構造にも注目が必要です。為替相場を大きく動かすのは、金融機関のディーリング部門や投機筋による投資取引です。
こうした投資家が最も注目するのは、冒頭でも触れた金利差です。金利差が拡大すれば円を売って高金利通貨を買う動きが強まり、円安圧力が高まります。逆に金利差が縮小すれば円は買い戻されます。足元では日米金利差の拡大を背景に、円が国外に流出する構図が強まり、円安が進んだと考えられます。
また、先ほど日本では加えて、デジタル赤字が膨らみ続けているという話をしました。これもまた円が一方向に海外へ流れる構造であり、円安を後押しする一因となっています。
経常収支全体では黒字が続いていても、その中身を見ると円が還流しにくい要素が多く、結果として円安になりやすい状況が続いているといえるでしょう。
──「円安は終わったのか」という問いに対して、「長期的にみると、円安が進みやすくなっている可能性がある」と述べていました。
石川:経常収支の構造面から見ても円安が進みやすい基盤があり、加えて日本と米国の潜在成長率には大きな格差が存在します。これらが逆転する可能性は低く、つまり日米の金利差も逆転の可能性は低いと見られることから、長期的にはドル高・円安の方向に進みやすいと考えています。
ドル円相場はこれまで、米国と日本の金利差の拡大・縮小に合わせて上下を繰り返してきました。米国経済が好調な局面ではFRB(米連邦準備理事会)が利上げを実施して金利差が拡大し、景気が減速すれば利下げで縮小する。このサイクルのなかでドル円は円高と円安を繰り返してきた歴史があり、この動きは今後も続くでしょう。
一方で、貿易など経常収支に関連する資金の流れは一方向です。輸出入で動いた資金は国内に戻りにくく、対外債権として積み上がる構造があります。第一次所得収支によって日本は巨額の黒字を計上していますが、それが必ずしも円高要因にならないのはこのためです。
こうした要素を総合すると、ドル円は短期的に上下の振れを伴いつつも、長期的には緩やかに円安方向に進む可能性が高いとみられます。
石川 久美子(いしかわ・くみこ) ソニーフィナンシャルグループ株式会社 金融市場調査部 シニアアナリスト 商品先物専門誌での編集記者を経て、2009年4月に外為どっとコムに入社し、外為どっとコム総合研究所の立ち上げに参画。2016年11月より現職。外国為替相場について調査・分析している。
関 瑶子(せき・ようこ) 早稲田大学大学院創造理工学研究科修士課程修了。素材メーカーの研究開発部門・営業企画部門、市場調査会社、外資系コンサルティング会社を経て独立。YouTubeチャンネル「著者が語る」の運営に参画中。