掛布雅之氏に「あまりにも失礼」 阪神OBが激怒した育成出身投手への背番号「31」継承

現役時代、阪神の4番打者として一時代を築いた掛布雅之氏。背番号「31」はミスタータイガースの代名詞だった=1988年5月3日、東京ドーム

虎のレジェンド・掛布雅之氏(70)が、昨年11月に就任したばかりの阪神OB会長を辞任するのでは…という情報が甲子園界隈(かいわい)を駆け巡っている。ある阪神関係者は「あまりにも失礼な出来事があったので、掛布さんが球団への不信感から『OB会長を辞めさせていただく』と言い出すのではないか?と心配している。藤川監督や球団幹部はどのように考えているのか、みんな首をかしげている」と話した。

ミスタータイガースの代名詞

事の発端は、育成ドラフト3位で入団したルーキーの早川太貴投手(25)=くふうハヤテ=が7月13日に契約金1千万円、年俸420万円(いずれも推定)で支配下選手契約を結んだ際、背番号が3ケタの「129」から、掛布氏が現役時代に背負った「31」に変更されたことにある。

早川はここまで2軍で13試合に登板し、7勝1敗、防御率3・06をマーク。念願の支配下契約を勝ち取ると「すごい驚いた気持ちもありましたけど、徐々にすごいうれしい気持ちも。実感は全然湧いていない」と話し、背番号「31」を背負うことには「タイガースにとっても大事な番号だと思う。しっかり活躍して、番号と一緒に成長できるように頑張っていきたい」と決意を語った。

育成から支配下に昇格し、プロ初登板を果たした阪神・早川太貴=7月16日、甲子園球場(水島啓輔撮影)

球団から新しい背番号を渡された早川に何ら落ち度はない。しかし、阪神のOBや関係者が首をかしげ、掛布氏のリアクションを心配するのも当然だ。阪神の31番といえば現役時代、本塁打王を3度獲得し、1985年には全130試合で4番を務め、チームを21年ぶりのリーグ優勝、球団史上初の日本一に導いた「ミスタータイガース」掛布氏の代名詞だからだ。

萩原、浜中らも背負う

掛布氏は88年に現役を引退して以降、萩原誠、広沢克実、浜中おさむ、林威助が31番を付けた。そして掛布氏自身が2軍監督を務めた2016~17年に再び31番を背負い、退任後はマルテ…という流れ。いずれも強打者というイメージが強いが、今回はなぜか育成出身の投手に渡した。球団周辺から入手した情報によると、掛布氏は早川に31番を渡すことを事前に知らされていなかったようだ。

ある阪神OBが顔をしかめる。

「3度も本塁打王を獲り、リーグ優勝や日本一にも貢献した。本来ならば永久欠番にしてもいい実績だ。歴代3人の永久欠番(藤村富美男、村山実、吉田義男)と比べても遜色はない。それなのに永久欠番にしないばかりか、育成上がりの投手に付けさせるなんて、普通は考えられない。OBはみんな怒っている」

現役時代の背番号「31」を背負った阪神・掛布雅之2軍監督。最終戦ではファンから大きな声援を浴びた=2017年9月28日、甲子園球場(甘利慈撮影)

OB会長辞任のうわさも

阪神は今季、球団創設90周年となる節目のシーズンを戦っている。甲子園球場では開幕から4度、記念イベント「レジェンズデー」を開催した。掛布氏は90周年アンバサダーの一人に選ばれ、4月25日の巨人戦では江夏豊氏、田淵幸一氏との始球式に登場、7月1日の巨人戦でもランディ・バース氏、岡田彰布氏と伝説のバックスクリーン3連発(1985年4月17日の巨人戦)トリオとしてスタンドを盛り上げた。

スポンサーのつくイベントでは「掛布雅之」の名前を最大限利用しながら、球団の功労者への敬意を欠くかのような扱いに、不信感を抱くOBは多い。と同時に「掛布さんは精神的に大丈夫なのか?」という声も上がっている。

掛布氏がもしOB会長を辞任することになれば…。真夏の夜の怪談に匹敵する、おどろおどろしい話になる。

【プロフィル】植村徹也(うえむら・てつや) サンケイスポーツ運動部記者として阪神を中心に取材。運動部長、編集局長、サンスポ代表補佐兼特別記者、産経新聞特別記者を経て客員特別記者。岡田彰布氏の15年ぶり阪神監督復帰をはじめ、阪神・野村克也監督招聘(しょうへい)、星野仙一監督招聘を連続スクープ。

「レジェンズデー」のイベントに登場した(左から)ランディ・バース氏、掛布雅之氏、岡田彰布氏=7月1日、甲子園球場(甘利慈撮影)