生まれつき唇も鼻も片耳もなく心臓には穴「口唇口蓋裂」の女性が小学校時代に抱えた苦悩「円形脱毛症で学校から連絡が」
「口唇口蓋裂(こうしんこうがいれつ)」という病とそれに伴う合併症のため、生まれつき唇と鼻、耳がなく、心臓には穴が開いていたという大阪府在住の小林えみかさん(31)。口や鼻を正常に機能させるため、生後3か月からこれまで20回以上、手術を受けてきました。小学校時代には、生活するなかでストレスを感じるように。そのときの状況について伺いました。(全3回中の1回)
どこが鼻でどこが唇なのかわからない状態で生まれ

小林えみか
生後8か月のころ。生後3か月で初手術を受けてテープ治療中── 小林さんは生まれつき口唇口蓋裂(こうしんこうがいれつ)という病気を患っているそうですね。どういった病気なのかを教えていただけますでしょうか。
小林さん:唇や口蓋(口のなかの天井部分)などが割れた状態で生まれてくる病気です。通常であれば妊娠2、3か月のころに唇や口蓋が形成されていくのですが、何らかの理由があってその部分が閉じず、胎児のときに症状が出てくるので、先天性の病気ですね。症状の程度はいろいろですが、日本では500人に1人の割合で発生すると言われています。
── 小林さんの場合は、どのような症状があったのですか?
小林さん:生まれつき鼻も唇もなく、どこが鼻でどこが唇なのかわからない状態だったそうです。今はエコーが精密なので妊娠中にわかることがあるようなのですが、私の場合は生まれてから口唇口蓋裂だと判明しました。また、合併症で耳がありませんでしたし、心臓に小さな穴がいくつか空いていたそうです。昔はそういう状態を「多発奇形」と呼んでいて、両親には「普通のお子さんのように順調に育つとは思わないでください」という説明が病院からあったそうです。
── 心臓の穴はすぐに手術をされたのですか?
小林さん:心臓には3か所穴が空いてたそうなのですが、さいわい針よりも小さい穴だったので、このまま様子を見ていたら自然に閉じるんじゃないかという医師の見立てで経過観察となりました。1歳から2歳のころには穴がぜんぶ閉じていたそうなので、心臓に関しては手術をせずに済みました。
── 耳がない状態とのことですが、聴力はあったのでしょうか?
小林さん:「両耳高度難聴」を発症していて、特に右耳は耳たぶがほぼなくて耳の穴がだけがあるという状態で、聴力もほとんどありませんでした。左耳は、いちおう耳たぶがあったのですが、一般的なサイズよりも小さく「小耳症(しょうじしょう)」という病気でした。大人になった今も聴力は弱く、補聴器を使用しています。
病院の待合室で見た本「私、この病気なん?」

小林えみか
1歳のときに兄と── ご自身が病気のことを自覚されたのはいつごろでしょうか?
小林さん:保育園に入って、周りから顔がちょっと変だとか言われるようになってからですかね。自分が今まで病院に通っていたのは、顔に関する病気のためだったんだな、とわかり始めました。
「口唇口蓋裂」という病名をしっかり認識できたのは、小学生になってからです。病院の待合室に口唇口蓋裂の本が置いてあり、開いて見たら自分と同じ顔の症例の写真が載っていました。「あ、これ自分と同じやな」と気がついて、母親に「私、この病気なん?難しい漢字やけど、何て読むの?」と聞きました。
── 親御さんはそのとき、どんな説明をしてくださったんですか?
小林さん:淡々と説明をしてくれました。「こうしんこうがいれつ、っていう病気やで。赤ちゃんのころから病院に通っているのは、この病気を治すためやで」と。娘から突然、質問されて驚くとか、困っている様子とかはなく、当たり前のように「風邪ひいたから病院に来ているんだよ」「けがしたからばんそうこう貼ろうね」と同じ感覚で説明を受けてたように感じました。
── 当時はどのくらいの頻度で病院に通っていたのですか?
小林さん:小学生のころは毎月のように通っていました。成長に伴い、歯の矯正治療や小まめな経過観察が必要な時期だったので。大阪大学歯学部附属病院の口腔外科に行っていました。
生後3か月で唇を閉じる手術を受けた
── 初めて手術を受けたのはいつですか?
小林さん:生後3か月になります。以降、1歳半、4歳、小学2年生、4年生と、定期的に手術を受けてきました。小学4年生を機に、骨の成長をもう少し待ってからでないと治療には進めないということで、いったん手術はおやすみに。高校2年生のときに手術を再開しました。手術をしていない間も歯列矯正には毎月通っていました。そこから24歳まではまた、毎年のように手術を受けていました。多いときは半年に1回手術を受ける、という期間もありました。
── 具体的にはどんな手術を受けてきたのですか?
小林さん:生後3か月、最初の手術ではパックリ割れた状態の唇を閉じることに。口唇口蓋裂の赤ちゃんは、ミルクを飲みやすくするために最初に唇を閉じる手術をすることが多いようです。1歳半のときには、のどの近くの口蓋が割れていたのを閉じる手術をしました。口蓋裂を閉じると、言語訓練もあわせて行うことで正しい発音ができるようになります。その後も鼻や耳を成形するなど、それぞれの部位が正常に機能するように少しずつ治していきました。
小学4年生で後頭部に円形脱毛症ができ

小林えみか
7歳のころ。言語聴覚士の方と訓練中── 小学生のころには、知らず知らずのうちに円形脱毛症ができていたこともあったそうですね。
小林さん:小学校4年生のときです。同じ学年の子は私の病気のことをわかっているので、仲よくしてくれる子もいれば、距離を置く子もいましたが、明らかないじめはなかったんです。でも体の大きい上級生に囲まれて顔をまじまじと見られたり、コソコソ何か言って笑われたりすることも多く、怖かったのを覚えています。難聴と嚙み合わせの悪さゆえ、滑舌が悪いのでそのしゃべり方をまねされることもありました。それで自分が気がつかないうちに後頭部に円形脱毛ができていて、学校の先生が母親に知らせてくれました。
「えみかちゃん、髪の毛に500円玉くらいの脱毛ができているんですけど、お母さんご存じですか?」という連絡を受けた母が私の髪の毛をかきわけてみたら髪がない部分があり、驚いて。「ちょっと髪の毛ない部分あるけど、なんかあったの?」と母から聞かれました。当時は、ストレスと脱毛がつながっていなかったのですが、そういえば、という感じで、「見た目や話し方をからわれるのが嫌だ」と言った記憶があります。
── それを聞いてお母さんの反応は?
小林さん:母は「それが原因で円形脱毛症になったのかな」と気がついたようで、学校に事情を説明してくれました。学校側もすぐに動いてくれて、その後、全校集会が開かれました。私が通っていた小学校は、いろんな障がいや事情を抱えて支援学級に通っている子も多かったので、私だけのことと特定せずに「病気を持っていてもいなくても、人が嫌がることは言わないようにしようね」という話を先生がしてくれて、それ以降はからかわれることも少なくなりました。おかげで円形脱毛症も自然と治っていきました。
子どもだった私はあまり気づいていなかったけれど、周囲からの反応に知らず知らずのうちにストレスを抱えていたんだと思います。のちに同じ病気を抱えている人たちと交流するようになって、改めて感じたのですが、多かれ少なかれ、かつて自分が受けてきたような、見た目に対する「からかい」やいじめにみんな悩んでいます。でも、それは本来、周りのみなさんの知見と理解があれば防げる悩みなんじゃないかと思います。
…
小学校を卒業し、中学生になった小林さん。1年生は同じクラスに小学校からの友達がいたこともあり学校に通っていたのですが、2年生になると環境が大きく変化し、不登校に。卒業まで1年と7か月の間、学校へ行くことができませんでした。見た目に対するコンプレックスを抱えながら入学した通信制の高校では、ギャル友達と出会ったことで学校生活が一変。病気のことを伝えても「えみかは、えみかやん」とありのままの自分を受け入れてくれたことが、小林さんの人生において大きな救いとなったそうです。
取材・文/富田夏子 写真提供/小林えみか