「買わないけど試乗したい」はNG? ディーラーへの不満がネットで大炎上、日本の試乗文化と営業現場の摩擦を考える

試乗炎上の背景構造

 神奈川県のディーラーで、あるユーザーがマニュアル車(MT車)を試乗した体験を投稿し、炎上した。

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 MT初心者であることを営業マンに伝えたが、今すぐ購入する意思がないと話すと、態度が冷たくなり不安を覚えた。試乗予約はしていたが、試乗車の冷房はついておらず、車内にキーも置かれていなかった。加えて、車内が汚れており、手入れが不十分であることにも不満を抱いた。

 対応してくれた営業マンには

「感謝している」

ものの、全体のサービスに失望し、今後その店舗を利用しないと決め、名刺も破り捨てたと投稿した。

 この投稿はSNSで話題となり炎上した。本稿ではこの事例を炎上構造の視点から分析し、自動車販売をめぐる経済的背景や制度の仕組みについて掘り下げる。

試乗体験の価値重視

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自動車ディーラーのイメージ(画像:写真AC)

 試乗体験は、商品確認を超える。特にMT車のように運転技術が必要な車種では、顧客が得る「体験価値」が購入の判断に大きな影響を与える。安心感や楽しさ、不安や不快感などの感情は、ブランドイメージの形成に直接つながる。

 これは購入意欲を左右する。この代えがたい体験価値が失われると、顧客がブランドから離れる原因となる。さらに、SNSでの感情的な投稿を通じて、潜在的な顧客にも悪影響が広がることがある。実際に、他の業界でも顧客体験が欠けることが、長期的なブランド評価の低下を招く例が多く見られる。

 今回の投稿が炎上した背景には、SNSの強力な拡散力に加え、

・店舗や担当者が特定できる具体的な内容が含まれていたこと

・「二度と行かない」といった感情的な結びがあったこと

がある。これらの要素が、ディーラーを支持する側と顧客を支持する側の対立をはっきりさせ、感情的な議論を引き起こした。

 自動車ディーラーの営業マンは、

・販売台数

・成約率

・付帯サービスの契約数

などで評価される。これらの指標は、報酬やキャリアに大きく影響する。そのため、成約の見込みが低い顧客に時間をかけすぎることは、営業マンにとって

「機会損失」

と考えられやすい。さらに、ディーラーの収益は新車販売だけでなく、

・オプション販売

・メンテナンス契約

にも依存している。そのため、試乗対応では購入意欲が高いことが前提とされる場合が多い。

試乗文化の国際比較

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自動車(画像:写真AC)

 現在の営業評価制度は、成約率や販売台数に偏っている。顧客との関係づくりや試乗体験の質の向上は、十分に評価されていない。これに対して、顧客満足度やリピート率、SNS上の評判といった「数値で表しにくい評価」を取り入れ、顧客体験を重視した多面的な評価基準を導入する必要がある。

 例えば、重要業績評価指標(KPI)に顧客の意見を数値化して加え、成約に至らなくても丁寧な対応やよい口コミを作ることを評価する仕組みが効果的だ。こうした改革は、営業現場の短期的な成果を重視する文化や経営陣の意識の変化が障害となるため、まずは一部の店舗で試験的に実施し、インセンティブの設計を段階的に見直すことが求められる。

 日本の自動車販売では、試乗は主に購入を決める

「最終段階」

として位置づけられている。営業側もその前提で準備を進めるのが一般的だ。これに対し、欧米などの市場では試乗体験が購入を検討し始める「初期段階」の顧客接点として広く使われている。購入の意志がはっきりしていない層にも積極的に体験を提供している。この文化の違いが、MT車のように運転技術が必要な車種で、初心者の試乗希望と営業の合理的対応の間に摩擦を生みやすくしている。

 この試乗文化の違いは、習慣の違いにとどまらず、社会や文化の背景にも深く根ざしている。日本では車が「完成された製品」として安心して買う対象とされる。一方、欧米では試乗を通じた

「体験による納得」

が購買プロセスの重要な部分だ。特にMT車に関しては、欧米の運転文化の違いや車の社会的な意味の違いも影響している。欧米では車が趣味や自己表現の手段としての位置づけが強く、初心者に対しても試乗機会を積極的に提供している。このような背景を理解しないまま、日本の営業合理性を優先すると、摩擦が起きやすくなる。

SNS時代の顧客管理

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自動車ディーラーのイメージ(画像:写真AC)

 SNSの普及により、顧客の声が見える化された。これにより、業界全体のブランドイメージや店舗運営に大きな影響が出ている。これはディーラーにとってリスクであると同時に改善のチャンスでもある。しかし、SNS上の感情的な投稿は、

・ディーラーの経営判断

・営業マンのインセンティブ

と必ずしも一致しない。そのため、現場の混乱や営業マンのやる気低下を招く場合も少なくない。また、試乗体験の満足度は顧客満足度やブランドへの信頼につながるため、適切な管理と対応は経済的にも重要な課題である。

 SNS時代では、顧客の声が公開され広く拡散する特徴を活かし、ディーラーやメーカーが顧客と対話しながら関係を築く「共創型」の顧客体験管理が重要となる。例えば、試乗体験のリアルタイムの意見をデジタルで集めて、店舗運営や商品改善に活かす仕組みを作ることが考えられる。また、SNS上で誠実に対応し情報を発信することで炎上を防ぐコミュニケーション戦略の実践も有効である。こうした開かれた手法は、炎上をリスクではなく

「ブランド強化」

の機会に変えることができる。

 ディーラー側は試乗の目的や顧客のニーズをあらかじめ明確にし、効率的かつ丁寧に対応するべきである。加えて、試乗車の清掃やエアコンの機能維持を一定の基準で徹底し、SNS時代の顧客の声を積極的に活用しながら営業インセンティブの見直しも検討する必要がある。一方、顧客も不満を発信するときは、

・事実と意見を分け

・個人や店舗が特定されにくい表現を心がける

ことが望ましい。

 また、試乗体験の前提条件を理解し、対話的なコミュニケーションを行うことが重要である。業界全体としては、試乗文化の裾野を広げ、購入検討の初期段階として試乗制度の再設計を進める必要がある。加えて、営業評価制度を多面的に改定し、顧客体験の価値を加味した指標の導入を推進すべきである。

自動車産業の構造変化

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自動車ディーラーのイメージ(画像:写真AC)

 今回の炎上は、昔ながらの成約重視・効率優先の営業モデルと、顧客が求める体験価値重視の消費行動のズレを象徴している。

 自動車産業は電動化や自動運転、コネクテッド技術の進展により、単なる移動手段から「新たな体験」を提供するサービス産業へと変わりつつある。そのなかで、若い世代の車離れやシェアリングエコノミーの拡大といった構造変化も進んでいる。

 これにともない、従来のディーラー営業の役割や評価制度を見直すことが急務となっている。顧客体験の質を高め、顧客と共に作り上げる仕組みを構築できるかどうかが、今後のブランドの信頼回復と産業の持続的な成長のカギになるだろう。

 今回のSNS炎上は接客のトラブルにとどまらず、自動車販売の営業現場にある経済的な報酬体系や市場構造の矛盾が表に出たものである。顧客体験と営業の合理性のギャップを埋めることが、自動車産業の持続的な成長とブランドの信頼回復に欠かせないといえる。