人見知りのスーパールーキー田中将大に衝撃…“楽天同期ドラ1”が語るウラ話「ハンカチ王子とマー君は知ってましたが」「高卒1年目なのに堂々と」

2007年、ルーキーシーズンを前にした田中将大
田中将大(36歳)は今季から巨人で新たな野球人生を切り、通算200勝まであと「2」に迫っている。そんな彼を18歳時から知り、楽天で同僚として戦ったドラフト同期投手と先輩スラッガーに「若き日の素顔」を証言してもらった〈NumberWeb特集:スーパールーキー伝説/全6回。第2回につづく〉「ハンカチ王子とマー君」は知っていたけど
2013年に楽天で達成した前人未到の24連勝をはじめ、球界に記録と記憶を残してきた。長年球界のトップを走ってきた田中将大投手は、その素地をプロ1年目から築いていた。
2007年2月。甲子園を沸かせた高卒1年目の田中は春季キャンプで球界の話題を独占するほどの注目度だった。田中が移動すれば、報道陣やファンが大移動する。キャッチボールをしたり、笑顔を見せたりするだけでカメラのシャッターが切られ、歓声が上がった。
その熱狂に驚き、やや冷静に見ていたのが田中と同じ“ドラフト1巡目”だった。
東洋大学から入団した永井怜投手(現楽天二軍投手コーチ)である。
当時のプロ野球ドラフト会議は「高校生」「大学・社会人」を別々に指名する「分離ドラフト」。楽天が高校生1巡目で指名したのは田中、大学生・社会人の1巡目は永井だった。
「帰国したら話題になっていたので、〈ハンカチ王子とマー君〉の名前は知っていました。でも、夏の甲子園の時期はちょうど日本を離れていて、将大の投球を見ていなかったんです」
2006年の夏、永井は大学日本代表に選出されて約1カ月間、海外に滞在していた。現在のようにスマートフォンで手軽に情報を入手する時代ではなかったため、その時期に日本で起きていた出来事を把握していなかった。「ハンカチ王子とマー君」が演じた激闘を帰国後にテレビで目にしたくらいだったという。
高卒1年目なのに堂々としていましたね
永井は、甲子園のスターの注目度を春季キャンプで実感した。そして、人気だけではない実力をブルペンで知ることになる。
「大学時代に様々な強豪校から入学してくる投手を見てきましたが、将大のスライダーはレベルが違いました。変化量の大きさが突出していましたね。真っ直ぐも高卒1年目とは思えない威力がありました」
春季キャンプではベテランが二軍でマイペースに調整するため、一軍メンバーは若手が中心となる。特に2004年に球団が創設したばかりで歴史の浅い楽天は若い選手への期待が大きかった。決してプロの実績が豊富ではない投手が多い中でも、永井は周囲と自分の力の差を痛感していた。
「ブルペンで他の投手が投げる球に圧倒されて、すごい世界に入ってしまったと思いました。不安が大きかったです」
入団1年目の選手が初めての春季キャンプで萎縮するのは自然だろう。だが、同じ新人、しかも4歳年下の田中には、すでに一軍に定着しているような雰囲気が漂っていた。その衝撃について、永井が回想する。
「線が細かった自分と違い、将大は体が出来上がっていました。高卒1年目なのに堂々としていましたね。まだ当時は真っ直ぐのコントロールが安定していませんでしたが、スライダーはカウントを取れますし、勝負球にもできていました。絶対的な変化球を持っているからなのか自信を感じさせました」
大半の高卒ルーキーは数年間、二軍で体づくりをしてから一軍デビューを見据える。しかし、田中に「高卒1年目だから」という意識は感じられなかった。キャンプ、オープン戦と段階を踏み、球団の育成方針もあって開幕ローテーション入りを果たした。
「2ケタ勝つのは難しい」と考えていたが
一方の永井は開幕一軍を逃したものの、3カード目となるオリックス戦で中継ぎとしてプロ初登板する。そこから約2週間後には初先発し、田中より1日早くプロ初勝利を挙げている。永井は自身より先にローテーションに入っていた田中について、こう予想していた。
「真っ直ぐの球威とスライダーが一級品で体力もあったので、何とか1年間ローテーションを守って7、8勝くらいできるかもしれないと思っていました。ただ、真っ直ぐの制球力が高くなかったですし、相手チームも研究してくるので、2ケタ勝つのは難しいと考えていました」
しかし田中は1年間、先発ローテーションを守った。さらに、永井の予想を上回る11勝をマーク。196奪三振は日本ハム・ダルビッシュ有投手(現パドレス)に次ぐパ・リーグ2位で、高卒新人では歴代4位の記録。西武・松坂大輔氏以来、8年ぶりに高卒1年目で新人王にも輝いた。
最初は人見知り…しかし距離は縮まっていった
永井は入団当初、人見知りもあって田中との会話が少なかった。しかし同期である2人は、気付けば距離が縮まっていったという。〈つづく〉