“どん底”最下位ヤクルト 次期監督に古田敦也氏の再登板あるか 球団OBは「絶対に強くしてくれる」
最下位に低迷するヤクルト。首位・阪神とは20ゲーム差近く離れ、CS圏内の3位以内にも10ゲーム以上の差をつけられて、すでに優勝争いから脱落した。6月下旬に都内で開催されたヤクルトの株主総会では、株主から高津臣吾監督の責任を問い、休養を求める声が出たが、林田哲哉球団社長は「高津監督には最後まで歯を食いしばって頑張って欲しいと伝えてあります」とシーズン途中での解任、休養がないことを明言した。
「今年は高津監督が指揮をとりますが、来年は監督交代が既定路線です。2021年に日本一となり、22年にもリーグ優勝を飾った功績は評価すべきですが、23年以降は最下位争いのシーズンが3年続いている。課題の投手陣を立て直せず、今オフに村上宗隆がポスティング・システムでメジャー挑戦の可能性が高い。新たな監督の下で再スタートを切るのが現実的でしょう」(スポーツ紙デスク)
後任の監督候補として、内部昇格なら嶋基宏1軍ヘッドコーチ、池山隆寛2軍監督の名前が挙がる。ファミリー球団であるためか、ヤクルトの歴代監督を見るとコーチを経て内部昇格のケースが目立つ。ただ、「内部昇格は球団内の事情を把握していることが強みだが、今のヤクルトはチームの体質を変える必要がある。ファームでも断トツの最下位で次世代を担う若手が育っているとは言えない。今のコーチ陣が監督に就任してチームを劇的に変えられるとは思えない」(民放テレビ関係者)と否定的な意見も強い。
■黄金時代築いた「野村野球」の司令塔
外部からの監督招聘といえば、名将だった野村克也氏(故人)の名前が浮かぶ。90年からヤクルトの監督を担うと、「ID野球」と形容された考える野球でBクラスの常連だったチームを生まれ変わらせた。監督を務めた98年までの9年間に4度のリーグ優勝、そのうち3度の日本一と黄金時代を築いている。
その「野村野球」の司令塔だったのが、古田敦也氏(59)だ。球界を代表する捕手として活躍し、指導者としても将来を嘱望されたが、ヤクルトで06、07年と選手兼任監督を2年間務めた後は監督を務めていない。18年の月日が流れた現在でも、球団OBから「古田監督待望論」は根強い。
■ヤクルトやメジャーで臨時コーチ
現役時代に共にプレーした50代のOBもその一人だ。
「古田さんの頭脳を生かさないのはもったいない。06年から2年間監督を務めた時は3位、6位に終わりましたが、時代を先取りした野球をしていました。2番に強打者のアダム・リグスを置く攻撃的な布陣は斬新でした。今は2番に強打者を置くことは珍しくないですが、当時は犠打や小技に長けた選手が起用される打順というイメージが強かった。06年はリーグトップタイの669得点をたたき出しています。投手陣が不安定だったので優勝争いには絡めませんでしたが、大きな可能性を感じさせました。今のヤクルトを再建するには時間が掛かると思いますが、古田さんなら絶対に強くしてくれます。さわやかで頭脳明晰のイメージがあると思いますが、負けん気が強く弱気なプレーを嫌がる。過去の実績に捉われず、シビアな選手起用をすると思いますよ」
07年は春先に出遅れたのが響いて最下位に低迷し、古田氏は責任を取って現役引退を決断すると共に監督を辞任。球団からはもう一年指揮を取ることを打診されたが、責任感の強い性格で首を縦に振らなかった。
現場を離れて月日が経つが、春季キャンプ中に臨時コーチを務めるなどヤクルトとの結びつきは現在も強い。23年からはダイヤモンドバックスの春季キャンプで臨時コーチを3年連続で務めている。
「ダイヤモンドバックスのトーリ・ロブロ監督は現役時代にヤクルトでプレーした経験があり、きめ細かい日本野球の良さを高く評価して積極的にチームに取り入れています。古田さんとはヤクルト時代にチームメートになり、今は指導能力に一目置いて臨時コーチでなくシーズンを通じてコーチになることを望んでいるほどです。古田さんは勉強熱心でメジャーの練習法やトレンドにも詳しい。再び監督に就任したら、指導する上で大きなプラスになるでしょう」(メジャー担当のスポーツ紙記者)
■「古田さんなしにプロ野球の発展はなかった」
古田氏は球団の垣根を超え、多くのOB、選手に慕われている。その大きな理由が04年に起きた「球界再編問題」だ。オリックスと近鉄の球団合併が報じられると、一部の球団オーナーにより、球団数を大幅に削減して8~10球団で1リーグ制に改革する流れが進んでいった。この時に日本プロ野球選手会会長として、選手サイドの先頭に立って球団側と対峙したのが古田氏だった。選手会は「合併反対」「2リーグ12球団維持」を求め、同年9月に日本プロ野球史上初のストライキを決行。合併阻止は実現できなかったが、2リーグ制の維持、新規球団の参入などを認めさせた。
「古田さんは大きな重圧を感じていたと思います。プレーしながらオーナー陣と交渉を進めていましたが、頭の回転が速く、粘り強い交渉で選手会を引っ張ってくれました。新球団参入が認められ、楽天が参入しましたが、古田さんがいなければ、セ・パの2リーグ制を維持できたか分からなかった。今のプロ野球の繁栄は古田さんの存在がなければ実現できていません。僕だけでなく、当時の選手たちは感謝の思いしかありませんよ」(50代のパ・リーグ球団OB)
現在は解説、スポーツキャスター、人気YouTubeチャンネルなどで野球の魅力を伝えているが、ユニフォーム姿を見たいファンは多い。監督として再びグラウンドに戻ってくる時は来るだろうか。
(今川秀悟)