「いいか、これが大人のケンカだぞ」原辰徳が電話口で…“菅野智之を日本ハムが強行指名”ドラフト裏話「止めてくださいよ…」巨人スカウトの怒り―2025上半期 BEST5

日本ハム山田GMから売られた喧嘩, 日本ハム1位指名は菅野「止めてくださいよ…」, 原監督の携帯に着信が…「山田さんからだよ」, 「いいか国利、これが大人のケンカだぞ」

日本ハムの交渉権獲得を受け、記者会見で質問に答える東海大の菅野智之

2024ー25年の期間内(対象:2024年12月~2025年4月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。プロ野球部門の第4位は、こちら!(初公開日 2025年4月3日/肩書などはすべて当時)。

 横浜の敏腕スカウト長谷川国利氏はなぜ巨人へ移籍したのか? 今明かされる長野久義、菅野智之獲得の舞台裏や球団としての狙い、現場・編成のリクエスト、大谷翔平や佐々木朗希、今永昇太らをなぜ指名しなかったのかなどを記した書籍『ジャイアンツ元スカウト部長のドラフト回想録』(カンゼン)より一部転載でご紹介します。〈全8回/第6回につづく〉

《2011年 日本ハムの強攻指名》

日本ハム山田GMから売られた喧嘩

 この年は前年と違い早くから東海大の菅野智之(現・オリオールズ)を1位で指名しようという話になっていました。高校時代は1位で推すほどのピッチャーではなかったことは前に書きましたが、大学ではストレートがコンスタントに150キロくらい出るまでになっており、スライダー系の変化球も良くなっていました。少し大きい変化のボールと、小さく変化するカットボールを上手く投げ分けることもでき、加えてスプリットもしっかり低めに投げられる。1年目から一軍である程度勝ってくれるだろうと期待のできる即戦力のピッチャーに成長していました。

 早々に1位指名を公言したのは、「原監督の甥だから指名しても拒否されるだろう」と他球団に手を引いてもらいたいという思惑も当然ありました。

 私もかなり早くから「本人の意思も相当に強いみたいだ」ということを色んなところで言って回っていましたから、他球団が指名してくることはないだろうと思っていました。菅野本人も子どもの頃から伯父である原監督のことを見て育っていますから「もちろんやるなら巨人で!」という気持ちは早くから持っていたことでしょう。

日本ハム1位指名は菅野「止めてくださいよ…」

 迎えたドラフト会議の当日。会場に入る前、原監督と私が一緒にいるところへ日本ハムのGMである山田正雄さんが来てこう言ったのです。

「原監督、甥っ子さんは凄いね。あれは1年目から相当やるよ。間違いなくナンバーワンですよ。長谷川くんもずっと見てきて良かったね。おめでとう」

「いやぁ、ありがとうございます」などと言って会場入りしたのですが、蓋を開けてみたら日本ハムの1位は菅野でした。会場もこの指名には大歓声。私は「止めてくださいよ……」という思いと「何だよ! 山田さん!」という怒りにも似た気持ちになりました。

 もちろん日本ハムが指名するのは自由です。でもだったら会場に入る前にわざわざ「おめでとう」なんて言いに来なくていいじゃないですか。山田さんとしては「巨人の思い通りにさせてたまるか!」という気持ちもあったのかもしれませんが。

原監督の携帯に着信が…「山田さんからだよ」

 日本ハムが指名したことで原監督も憮然とした様子でした。抽選は大体いつも原監督が引いていたのですが、この時ばかりは「甥っ子の人生を決めるくじを引きたくない」というようなことを言って清武さんが引くことになりました。

 結局当たりを引いたのは日本ハムで、もうWショックです。会場も巨人が外したことでまた盛り上がるわけです。清武さんも原さんの憮然とした様子を見ていたので、外した後はテーブルに帰ってきたくなかったと思いますね。

 そんなドラフトがあった数日後のことです。原監督と一緒に昼食をとっていたら監督の携帯に着信がありました。原監督は「山田さんからだよ」と携帯のモニタをこちらに見せてから電話に出ました。「うちとしても高く評価して指名させてもらいました」というような、日本ハムが菅野を指名した理由などを話されていたようです。原監督は声を荒げることも、不機嫌そうな様子も見せずにこう言いました。

「山田さんは悪くありません。日本ハムも悪くありません。山田さんの言葉を信じて喜んだ僕が悪いんです。ただ、智之本人は意思が固いようなので、どうするかについては僕は何も言えません」

「いいか国利、これが大人のケンカだぞ」

 電話を切った原監督が私に向かって言った言葉は今でも忘れないですね。

「いいか国利、これが大人のケンカだぞ。お前みたいにカッとなって大声出して暴れまわるようなのはケンカじゃないよ」

 日本ハムとしては長野も巨人入りを希望して拒否されていましたし、前年も巨人入りを希望していた澤村が巨人の単独指名でしたから、何とか一矢報いたいという思いがあったのかもしれません。たださすがに原監督の甥っ子ですから、巨人以外の球団に入団するのは難しいというのは分かっていたでしょうけれど。〈つづく〉