内田舞×内田也哉子が語る結婚と出産。32歳の初産と21歳の初産を超えてわかったこと

内田也哉子さんが第一子を出産したのは21歳。内田舞さんは32歳のときでした。

也哉子さんは文筆家としてエッセイや絵本翻訳、ナレーションなど多彩な才能を発揮し、舞さんはハーバード大学医学部の准教授で小児精神科医。「内田」という姓以外にも共通点が多く、2024年5月に真宗大谷派名古屋別院が企画したYouTube対談『人生講座』をきっかけに交流が始まったといいます。

「6月13日に出版した『小児精神科医で3児の母が伝える 子育てで悩んだ時に親が大切にしたいこと 』でも、推薦文を内田也哉子さんに書いていただきました。也哉子さんとは、子どもの頃に日本と海外を行き来して生活していたこと、親が個性的であること、3人の子どもの子育てをしていることなど意外なほど共通点が多く、2024年にお会いしたときにもあっと間に意気投合して、素敵な時間をいただきました」内田舞さんはこう語ります。

そんな二人の出会いのきっかけとなった『人生講座』の対談から編集し、記事としてお届けする第2回目。今回は、也哉子さんと舞さんの「子育て」について、出産当時悩んだ想いなどを含めて、前後編でお届けします。

東京都世田谷区の存明寺にて収録が行われた 撮影/FRaUweb

※お二人とも姓が「内田」さんということで、以下より、下のお名前で表記させていただきます。

多忙な仕事と母親としての役割

内田也哉子(以下、也哉子):舞さんは脳科学の研究者でもあり、そしてそれを治療として実行する医師でもあり、人々とちゃんと接してその人たちを導いて助けるという立場でもあります。そこには、常にサイエンスがあるわけですよね。

そしてもうひとつ気になっているのが、そういった仕事を持ちながら、3人のお子さんを育てています。そして、子育てを人任せにしていない……。本当に素晴らしくて、とんでもない労力だと思うんです。研究者で医師で母親であるという3つの事柄を同時になし遂げているという日常が、一体どうなっているのだろうと……。単純に興味があります。

内田舞(以下、舞):実際には、ちょっと大変です(笑)。英語で言ったら「Drop the ball(うっかりミスをする)」……、落としてはいけないボールを落とすこともしょっちゅうあります。メールの返信はすごく遅いし、見逃すメールもあるし……。もちろん、患者さんに対しては、うっかりミスはできないので、あらゆるプライオリティ(優先)は高くなります。今までも色々な方に「毎日、どうやっているの?」とよく聞かれるのですが、そのたび、「私、本当にやれているのだろうか」と思うことの方が多いです。

也哉子さんもお子さん3人を育てられて、しかも最初のお子さんが生まれたときは21歳ですよね。私は最初の出産が32歳でした。キャリアはまだ築かなければならない部分もありましたが、ある程度軌道には乗っていた時期での出産でした。夫とも5年間付き合って、一緒に住んでどういう人かわかってから結婚をして、2年後に長男を出産したんですね。こういったことは、正解というものがあるわけではありませんが、私にとってはいいタイミングだったのかなと思っています。

也哉子さんは、19歳でご結婚され、21歳で出産をされ育ててこられた。私はその年齢では、まだ医学生で勉強で精一杯の時期だったので、それこそ「どうやってこられたの?」と思います。

背中を押した樹木さんからの助言

也哉子:振り返ると とんでもないことをしてきたなと思うのですが、私は根拠のない自信がへんにあるんですね……(笑)。こういうタイミングでこの人と出会ったのだったら、「とりあえずダメ元で」と考えます。「ダメ元でも一回漕ぎ出してみよう」と、「人生に失敗なんてあってないようなものだ」と、どこかで思っちゃっている。開き直っているところがあるんですね。

夫(本木雅弘さん)とは、15歳で出会ったのですけど、おつき合いを始めたのは、17歳の頃でした。当時、私はスイスにいたので文通をしていました。そろそろ20歳、大人になるという時期に、夫から「まだ、お互いに未熟だけれども、一緒に前を向いて、フライングスタートみたいな感じで進んでみよう」と言われたんですね。夫はそのとき29歳で三十路になる手前でした。とりあえず母に相談をしました。すぐ反対されると思ったのですが、「おもしろいじゃない、そういう人生もあるよね」って言われて。

その頃、私はパリにある大学へ通っていて、まだ新学期始まって間もない時期でした。よくよく考えてみると「結婚するとなると日本に帰ってきて……、あれ? プランとして考えていたことが色々立ち行かなくなるぞ。何を優先したらいいんだろう」と悩んでしまったんです。

パリの大学に入ったばかりのときに結婚の話が出たら…Phto by iStock

すると母は、「学ぶことは一生かけてすることだし、大学だって海外の大学ならなおのこといろんな年齢の方もいるし、いつ再スタートしてもいい。結婚は、何歳までに結婚しようとか、こういう人がいいって理想を描いたところで出会えるか出会えないかもう本当に一か八かだから、とりあえずせっかく結婚したいと言ってくれているんだったらしてみたら。

子どもができるかどうか、それはもうわからないけど、でも子どもがもしできたら先に早目に家庭という庭を耕しちゃって、ある程度自分が何者かっていう輪郭が見えてきてから、社会に出てまた学び直して、色んなことを吸収する。世間で言ったらあべこべの順番だけど、そういう順番であっても、人として応援するよ」というような話をしてくれたんです。

ちょっとびっくりしました。その頃、私は特に結婚への憧れもありませんでした。でも、普通に生きていても角を曲がったら何に出会うかわからないのも人生だったら、とりあえず今、こういう流れに身を任せてみようと、あんまり計画性はなく結婚したのです。

21歳で出産、その後感じた孤立感

也哉子:そして、2年後に長男(UTAさん)が生まれました。育児自体初めてなの、右も左もわからない。夫も仕事が忙しくて日中はいない、母も仕事でいない……。なんだかとても孤立していました。

さらに、母乳がうまく出なくなって、粉ミルクを足して飲ませたら、全身じんましんで病院に駆け込むといったこともありました。検査の結果、乳製品アレルギーであることがわかり、ものすごくセンシティブになってしまって……。それから卵もダメ、ナッツ類もダメで、色んなことにダメダメが出てきて、私もすごく怖くなっちゃって。「自分の選択ひとつでこの子の命に何か起きてしまうかもしれない」という思いが常にありました。

Photo by iStock

そういうことがあってか、長男はあまり大らかな子育てができませんでした。そのことについては、ずっと息子に申し訳なかったなと思っています。そして、その2年後に長女(内田伽羅さん)が生まれて。兄妹ってありがたいもので、新しい存在が家族に加わるということで少し大らかな空気が漂うようになったんですね。私も少し子育てに慣れてきたこともあったのかもしれませんね。

母親は子どもが産まれて対面したときが母親の1年生というか第一歩が始まるわけですよね。でも、わからないことも多くて、自分にすごくいろんなプレッシャーを与えすぎて体調を崩したりとか、心も塞いでしまったりとか、今思えば結構いろいろありましたね。

内田也哉子さん(写真左)と内田舞さん 撮影/FRaUweb

◇第2回後編「32歳と21歳の初産。内田舞×内田也哉子が振り返る、子育ての孤独」では、育児中の母親が陥ってしまいがちな「孤立感」について、也哉子さんと舞さんの体験含めてお伝えする。