サッカー日本代表監督にザッケローニが就いた「裏話」、なぜ「W杯16強」岡田武史が交代したのか

 J2・RB大宮アルディージャの原博実社長が、読売新聞ポッドキャスト「ピッチサイド 日本サッカーここだけの話」に出演した。原さんは日本サッカー協会(JFA)の技術委員長(強化担当)としてアルベルト・ザッケローニ氏の招聘に奔走。当時の裏話を、番組MCで元日本代表の槙野智章さんと語った。

ピッチサイド 日本サッカーここだけの話

なぜザッケローニ氏?

 岡田武史監督が率いて挑戦したワールドカップ(W杯)南アフリカ大会は、事前の前評判を覆し、ベスト16に進出した。

 「W杯直前の親善試合で韓国に負け、前評判はいろいろ言われた。次の監督さんを(JFAの)技術委員会と検討し、欧州や南米のスタンダードを分かる人を連れてきて、次のステップに行けるような指導者を探した。なかなか簡単には決まらなくて、直前まで決まらなかった。ザッケローニさんの経験と人柄で、この人に賭けてみようと」

 当時、サッカー協会はザッケローニ氏とのコネクションはなかった。複数の候補をピックアップし、面談を行ったという。

 「他国の監督やった人にも会いに行ったし、あるいはその後にバルセロナの監督やった人もいる。結構いいところには会いに行っていたと思います」

メディアから雲隠れ

就任記者会見で握手をする(左から)サッカー協会の原博実技術委員長、ザッケローニ氏、同協会・大仁邦弥副会長(2010年8月31日、都内で)

 次期監督候補を報じようとするメディアから隠れることに苦心したという。

 「だから隠れてましたね。バルセロナとかフランクフルトとかの都市で(記者が)張ってる感じだったんで、人がいないとこで隠れて会っていた。飛行機のチケットもサッカー協会に頼まずに自分で取って、家族にもどこにいるか言わなかった」

 情報戦も繰り広げられた。

 「(メディアに)声をかけてないけど『オファーがある』みたいなことを仲介人なのか平気でしてくる。そういう人は信用しない」

代表監督の「代行」

 ザッケローニ氏に決まり、公表されたのが8月30日。W杯が終了して1か月以上が経過していた。代表の国際親善試合が9月4日、7日に迫っていた。ザッケローニ氏のビザ取得は間に合わず、原さんが監督代行を務めた。結果はパラグアイとグアテマラを相手に2連勝だった。

パラグアイ戦を観戦するザッケローニ氏(2010年9月4日撮影、日産スタジアムで)

 「(招集した選手を)全員使った。2試合で全員見せた。元気のいいメンバーをザッケローニさんに見てもらって、それを基準に選んでもらう考えでした」

 槙野さんはグアテマラ戦に先発出場している。

 「いたよね。そうだよね。あと、楢崎(正剛)や中澤(佑二)は最後の代表だった。楢崎は(代表引退の意向があって)『自分じゃなくて』みたいな気持ちもあったようだが、でもそれは次の監督が決めることだから。あの時点では2人とも(代表に入る)力があると思ったんで、(各試合の)キャプテンでプレーしてもらった」

プロフィル

原博実(はら・ひろみ)

RB大宮アルディージャ社長。元日本代表FW。早稲田大学卒業後、三菱重工に入社。同社サッカー部(現・浦和レッズ)でプレー。国際Aマッチ37ゴールは本田圭佑さんと並んで日本歴代4位。指導者としては浦和レッズ、FC東京で監督。日本サッカー協会技術委員長だった2010年には、日本代表の監督代行として2試合限定で指揮を執った。1958年生まれ、栃木県出身。