4歳の春、左腕を痛がるそぶりを見せた娘。原因がわからず、いくつもの病院を転々と…。そして、母の不安が的中することに【小児がん・ユーイング肉腫体験談】
ユーイング肉腫の治療のために入院していた、4歳のときのすみれさん。
金子すみ子さんには、長男(16歳)、長女(15歳)、二男(13歳)、二女(12歳)、三女(11歳)、三男(5歳)の6人の子どもがいます。5番目の子どもである三女のすみれさんは、今から7年前、4歳のときユーイング肉腫と診断されました。ユーイング肉腫は、骨や軟部組織に発生する悪性腫瘍で、小児がんのひとつに挙げられています。
すみ子さんへのインタビューの前編は、すみれさんの様子が気になるようになり、それがユーイング肉腫だと判明するまでのことについて聞きました。
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超安産だった娘。心室中隔欠損症があるけれど、元気に育つと信じていた
生後2日目。すみれさんはきょうだいの5番目の三女として生まれました。
すみ子さんは10歳年上の夫と、当時働いていた職場で知り合い、結婚しました。
「私も夫も子どもが大好きで、3人は子どもがほしいねと話していました。結果的には6人の子どもに恵まれ、毎日とてもにぎやかに暮らしています
5人目の子どもとなるすみれの妊娠はとても順調で、病院に着いた20分後に生まれたほどの超安産。体重3042g、身長50㎝で元気に生まれてきました。2014年5月2日のことでした」(すみ子さん)
ところが、すみれさんは生まれてすぐに、心室中隔欠損症(しんしつちゅうかくけっそんしょう)があることがわかりました。
「実は長女と二男も心室中隔欠損症だったので、またそうだったか・・・と少なからずショックを受けました。心室中核欠損症は、心臓の左右の心室の間の壁に穴が開いている病気で、自然に閉じることもありますが、手術が必要なこともある病気です。長女は1歳6カ月のころに穴が閉じ、二男はそのころ1カ月に1回の経過観察を続けていました。驚きはしましたが、すみれもきっと問題なく育つ!と、さほど心配はしていなかったんです」(すみ子さん)
腕を痛がるのが気になるのに、いろいろな医師に「大丈夫」と言われ続ける
生後3カ月のころのすみれさん。心室中隔欠損症の経過観察以外、心配なことはありませんでした。
すみれさんは心室中隔欠損症の経過観察を定期的に行うことになりましたが、トラブルはなく成長。3歳で幼稚園の年少クラスに入園しました。
「毎日楽しく幼稚園に通っていたのですが、6月ごろからやたらとぐずるようになったんです。小児科を受診したところとくに問題はなく、夫には心配しすぎではないかと言われました。でも、すみれは体調が悪そうな様子が続いていて、なんとなく気になりました。
そんなある日、入浴前にすみれの洋服を脱がせたら痛がったんです。左腕を見ると、二の腕あたりが腫れているような気がしました。そういえば1週間くらい前、二女とすみれがじゃれあって遊んでいたとき、すみれが腕を痛がっていたような様子が見られたことを思い出しました。腕が痛いのがぐずりの原因かもしれないと思ったんです」(すみ子さん)
そのころ、すみ子さんは転職をしたばかり。急に仕事を休むことは気がとがめ、比較的時間に自由がきく夫に、翌日、すみれさんを整形外科に連れて行ってもらいました。
「仕事から帰ってすぐ、夫に様子を聞くと『なんでもないって』と。根拠はないけれど、『なんでもない』という診断に納得できず、もう一度受診してほしいと頼みました。『神経質になりすぎだ』と、夫は嫌そうな顔に。でも、どうしても心配なので、今度は私が同じ病院に連れて行きました。やっぱりなんでもないと言われたので、次に近所の違う整形外科に連れて行きました」(すみ子さん)
すみれさんは、次の病院でも「大丈夫」だと言われます。
「でも、すみれはずっとぐずりがちで、私には大丈夫だとはどうしても思えません。そこで次は、地域の総合病院に私が連れていきました。そこでも『大丈夫』だと言われました。けれど、『ずっと様子がおかしいんです』としつこく粘ったら、子ども専門病院を紹介してくれました。おかしいなと感じた6月から3カ月がたった、9月末のことでした」(すみ子さん)
すみ子さんは、すぐに子ども専門病院の予約センターに連絡します。
「紹介してもらった病院に予約を入れるために電話をしました。でも、予約ができるのは最短で12月中旬になってしまうというんです。2カ月半も先です。何の知識もないですが、もしも悪性のものだったらそんなに待てない!!と、とてもとてもあせりました。だれかなんとかして!!と考えに考え、すみれを取り上げてくれた産婦人科に併設された小児科の先生に相談してみることにしたんです。
すみれは5人目の子どもで、子育てについて悩んだり、不安なことがあったりすると、ご自身も子育て中のお母さんであるこの先生によく相談していたんです。
先生は『心配ですよね』と私の気持ちを受け止めてくれ、知り合いの先生がいる大学病院を紹介してくれました。しかも、緊急で予約を取ってくださったんです。これで原因がわかると、ようやく安心できました」(すみ子さん)
良性腫瘍と診断されたけれど少しも安心できず、不安がさらに大きくなる
お兄ちゃん・お姉ちゃんに囲まれ、毎日にぎやかに過ごしていた2歳のころのすみれさん。
数日後、すみ子さんはすみれさんを連れて大学病院を受診。「血管腫でしょう」と診断されました。血管腫とは、血管の細胞が異常に増殖してできる良性の腫瘍です。
「確定診断のためには入院をしてMRIを行う必要があり、検査入院できるのは最短で3週間後だという説明でした。本当に良性なんだろうか、悪性だったらどんどん悪化してしまうんじゃないだろうか。良性の腫瘍と言われてもほっとはできず、むしろ不安が大きくなりました。
すみれの様子がおかしいと感じてからもう3カ月以上が過ぎていて、さらに3週間何もせずに待つなんて・・・。『もう3カ月も痛がっていて、元気もないんです。悪性腫瘍じゃないんでしょうか。検査までにそんなに時間が空いて大丈夫なんでしょうか』と、聞いてみました。
すると担当医は『悪性腫瘍だったらもっと痛がりますよ』って・・・。
すみれは我慢強い性格で、小さいころから痛くてもあまり泣かない子だったんです。だから本当はすごく痛いのに我慢しているのかもしれない。でも、それを医師にどう説明すれいいのかわからず、これ以上粘っても迷惑がられて、検査に支障が出てしまうかもしれないとも思い、3週間後の検査を待とうと、自分に言い聞かせ、病院を出ました」(すみ子さん)
悪性だったと告げられ、「助からないのでは?」という恐怖におびえる
腕を痛がるなど気になる様子が見られるようになった4歳のころ。
3週間後、1泊2日の検査入院のため、すみ子さんはすみれさんを病院に連れていきました。
「仕事は休めない状況だったので、病院での付き添いと宿泊は私の母にお願いしました。会社を遅刻して病院に2人を送っていき、次の日は早退して迎えに行く予定だったんです。病院に送ったら母にすみれをお願いし、私は職場に向かいました」(すみ子さん)
その日の昼休み、すみ子さんがスマホを見ると、お母さんから何度も着信があり、病院からの着信もありました。
「検査中のすみれに何かあった???と、あわてて母に電話すると、『先生が至急来てくださいって言ってる。両親じゃないと話せないことだって』と言うんです。その場で会社を早退し、病院に飛んでいきました。何かよくない結果が出たんだ!と一気に不安が大きくなり、バクバクする心臓を押さえながら病院へ向かいました」(すみ子さん)
病院に着いたすみ子さんに担当医が最初に発した言葉は、「申し訳ございません」だったそう。
「3週間前に良性腫瘍だろうと言っていた医師が謝るんです。そして、『良性の血管腫ではなく、悪性腫瘍のユーイング肉腫だと思います』という言葉が続きました。この病院では治療ができないそうで、1泊2日の検査入院が終わったら、そのまま東京大学医学部附属病院(以下、東大病院)に転院することになりました。
そのことを聞いた瞬間、私は反射的に『1日だけ自宅に帰らせてください!』とお願いしていました。
今思い出すと少し恥ずかしい話ですが、すみれはもうきょうだいに会えないかもしれないから、1日だけでも自宅でゆっくりとお別れをさせてあげたい。そんな切羽詰まった気持ちでした。
病院側は検査後の経過を見るためにも、検査後当日の帰宅は本来は認められず、入院してほしいとのことでした。でも、そこを何とかお願いしますと何度も何度もお願いし、絶対に翌朝、東大病院に連れていくと約束したうえで、自宅に連れて帰ることを許してもらいました」(すみ子さん)
帰宅後、夫にすみれさんが悪性腫瘍だったと伝えたすみ子さん。上の子どもたちには、すみれさんが明日からしばらく入院することだけを話しました。
「みんなですみれを応援しよう、今日を楽しく過ごそうと言いながら、私は涙が止まりません。夫に『子どもたちが不安になるからしっかりして』としかられたのは、当然のことだと思います。すみれはこの日とても元気そうだったので、夫は『本当にがんなの?』と。認めたくない気持ちもあるからなのか、不思議そうにしていました」(すみ子さん)
このときのすみ子さんは、「すみれは助からない」と絶望的な気持ちになっていたと言います。
「いとこや友人をがんで亡くした経験があり、がんになったら助からないと思い込んでいたんです。また、ユーイング肉腫ってどこかで聞いたことがあるなと思い、二宮和也さんが主人公のドラマを見たことを思い出したんです。独身のころに見たものでしたが、鮮明に思い出しました。主人公は高校生のときユーイング肉腫を患い、闘病の末に亡くなるストーリーで、実話に基づくドラマでした。
思い出したらよけいに、すみれの命が尽きてしまうことが怖くて怖くて、何も手に着きません。一方、夫は『こんな小さな子どもが、がんになることなんてあるの?』と半信半疑。このとき、私と夫の気持ちには、ものすごい温度差がありました」(すみ子さん)
翌朝、すみ子さんはすみれさんを連れて東大病院に向かいます。2018年10月末のことです。それから翌年6月末まで、すみれさんの入院治療は続きました。
【小林寛先生より】ユーイング肉腫は若い人に多い、骨や筋肉にできるがんの一種。5歳未満での発症は非常にまれ
入院治療を終え、自宅に戻った5歳のときのすみれさん。ウィッグをつけて、プリンセスモードです。
ユーイング肉腫は、10〜20歳ごろの若い人に多い、骨や筋肉にできるがんの一種です。すみれさんのような5歳未満での発症は、全体の1〜2%と非常にまれです。痛みや腫れがみられることがあり、治療は抗がん剤(化学療法)を中心に、手術や放射線を組み合わせて行います。
早期発見がとても重要で、痛みが続く場合や、痛みの部位に腫れや熱感がある場合、運動後や夜間に痛みが強くなる場合、また発熱が見られるときには、局所のレントゲン検査やMRI検査を行うことをおすすめします。
すみれさんは入院当初、左肩の痛みがあり、しこりを触れ、軽い熱感もありました。骨や筋肉にできる腫瘍は非常にまれですが、とくに悪性腫瘍が疑われる場合には、早期に専門の医療機関を受診することが大切です。
お話・写真提供/金子すみ子さん 医療監修/小林寛先生 取材協力/公益財団法人ゴールドリボン・ネットワーク 取材・文/東裕美、たまひよONLINE編集部
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「大丈夫」と言われてもどうしても納得ができず、すみ子さんが行動を続けたことで、すみれさんはユーイング肉腫とわかり、治療を始めることができました。「私が行動を起こさなければ、病名がわかるまでにもっと時間がかかっていたと思う」とすみ子さんは言います。
インタビューの後編は、入院治療中のことやその後の生活、現在のことなどについてです。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
小林寛先生(こばやしひろし)
PROFILE
東京大学医学部附属病院整形外科・脊椎外科講師。骨軟骨部腫瘍診のスタッフとして、骨や筋肉などにできる原発性の腫瘍(良性・悪性)の診察を行っている。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年7月の情報であり、現在と異なる場合があります。
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