ウワサは本当だった!! 日産が追浜・湘南両工場での車両生産終了を発表
ウワサは本当だった……日産が追浜・湘南両工場での車両生産終了を発表!!
日産が国内の2工場を閉鎖すると公表してから、その最有力候補は、日産創業の地である神奈川県の追浜と湘南の両工場ではと噂されていた。それに対し日産は否定を続けていたが、ついに両工場の車両生産を終了することが発表された。
※本稿は2025年7月のものです
文:桃田健史、ベストカー編集部/写真:日産、ベストカー編集部 ほか
初出:『ベストカー』2025年8月26日号
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日産にとって大きな決断
日産にとって苦渋の決断を下したイヴァン・エスピノーサ社長
日産は2024年度通期の決算で6709億円という巨額の純損失を計上。
その後5月15日に固定費と変動費で計5000億円のコスト削減(2024年比)、2万人の人員削減と車両生産工場を既存の17から10へ削減(7工場のうち国内は2工場)などを盛り込んだ経営再建計画の「Re:Nissan」を発表した。
いろいろ噂が先行するなか、「Re:Nissan」の発表から約2カ月後の7月15日に日産は追浜工場、日産車体湘南工場での車両生産終了を正式に発表。その時期は追浜工場が2027年度末(2028年3月)、湘南工場が2026年度となる。
新型リーフが栃木生産となるため、現在追浜工場では、ノート/ノートオーラを生産。2027年度末まで生産を続け、その後は九州工場に移管。記者会見でエスピノーサ社長は、新型キックスは予定どおり追浜で生産すると公表したが、ノート/ノートオーラよりも先に九州工場に移管することになる。
一方湘南工場については、ADは2025年10月、NV200バネットは2026年度末で委託生産を終了する。
日産の国内車両生産工場と年間生産能力は、追浜(約24万台)、栃木(約19万台)、九州(50万台)、日産車体湘南(15万台)、日産車体九州(約12万台)で、生産能力としては約39万台減となる。
「生産能力やコスト競争力などから追浜工場を九州に移管、統合することが最も効果的だという結論に至った」(エスピノーサ社長)
車両生産終了が発表された追浜工場。現在はノート/ノートオーラを生産する
その一方で併設されている総合研究所、グランドライブ(テストコース)、衝突試験場、専用ふ頭は今後も事業を継続するとしたが、約2400名の大半が工場勤務なので、地元に与える影響は大きく、従業員の不安は大きい。
追浜、湘南の2工場の生産終了は、日産だけの問題にとどまらず、数多くの関連企業、サプライチェーンなどへの影響も甚大だ。
それに対し日産は、追浜については2027年末まで勤務の継続、その後の雇用・勤務については決定次第伝えるとしている。生産終了発表の3日後には、ステークホルダーへの説明、労働組合と折衝を開始している。
今回の追浜工場にまつわる発表に対し、横須賀市の上地克明市長、横浜市の山中竹春市長とも、関連企業、雇用関係への影響を危惧するコメントを出している。
特に横浜市では、市内中小企業向けの『特別相談窓口』を設置すると同時に、竹内真二経済産業大臣政務官に支援を要請。この迅速な対応は、日産の国内工場閉鎖の重大性を物語っている。
かつて追浜で生産されていた初代リーフ
揺れる追浜工場のこれからについては、「幅広い選択肢を検討し、最適な活用方法を決定する」ということにとどめ、噂されている鴻海との協業や具体的な売却先などへの言及はなかった。
日産は1995年に座間工場、2001年に村山工場を閉鎖。どちらも地元と協議を重ねて大型商業施設、新車・中古車の販売施設などに生まれ変わったが、追浜の54万7606平方メートルという広大な工場跡地の今後に注目が集まる。
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モータージャーナリスト桃田健史の見解
村山工場の跡地は一部が宗教法人の真如苑に売却されたほか、東京都、武蔵村山市、立川市と協議の結果、大型商業施設などに再利用
噂どおりのまさかの展開。
特に追浜は、日産の生産部門の象徴「マザー工場」だ。見方を変えればマザー工場という呪縛によって稼働率が低下しても日産としては長年「できれば手を付けたくない物件」という意識があったはず。
「Re:Nissan」を掲げて「追浜延命策」を練るなかで、台湾の鴻海との連携を模索するのは当然だろう。
鴻海が都内で4月に行った、電動車に関する事業説明会を取材したが、元日産ナンバー3で現在は鴻海EV事業のトップとなった人物は日産に対してラブコールを送っていた。
同社は、ともにピニンファリーナのデザインである小型車「モデルB」とMPVの「モデルE」、より小型の「モデルA」や中型「モデルC」など自社EVをフルラインナップ。これらを自動車メーカー各社の要望により、鴻海が生産、またはメーカーが生産する方式を提案している。
噂になった追浜での鴻海との連携は、これにあたると思われる。つまり、追浜工場がなくなっても、日産がもう鴻海と手を組まないというわけでもないだろう。
今回の国内2拠点の生産終了で最も大事なことは、日産が跡地利用について責任を持つことだ。地域社会の未来について深く考える義務が、日産にはある。
今の時代、業績悪化で単純な事業縮小では、直接雇用関係のある従業員や取引のある関連企業のみならず、日産ブランドへのユーザーの印象が違う。日産にとってイバラの道はまだまだ続く。
追浜工場の歴史
1961年にダットサン ブルーバードで稼働開始した
追浜工場では1961年、ダットサン ブルーバードの生産を開始。累計生産台数は1978年に500万台、1992年に1000万台、2007年に1500万台を達成し、現在までに1780万台以上を生産。
2010年から初代リーフの生産を開始し、世界初の量産BEV生産工場となるなど、長年にわたり日産のマザー工場に君臨。現在は約2400名が勤務している。発表のとおり、2028年3月で長い歴史に幕を下ろす。
日本の組み立て工場で残るのは、栃木工場、九州工場、日産車体九州工場の3工場。栃木工場は国内初のインテリジェントファクトリーとして整備したばかりだったし、九州は日産の国内工場で最新かつ最大の生産力を誇る。
そのあたりの事情を考えると、追浜、日産車体湘南工場の終了は既定路線だったと言える。
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