「人は変わらない」を突きつけられても、諦めないで|前川裕奈さん×武田砂鉄さん(3)

結局、人は「ルッキズムしたい」?, 整形を「何歳からOK」なんて他人は言えない, 発信で届ける、動揺させる, 物足りなさ、と付き合い続けていく

「人は変わらない」を突きつけられても、諦めないで|前川裕奈さん×武田砂鉄さん(3)

第15回は、ライター・ラジオパーソナリティとして活躍する武田砂鉄さんをゲストに迎え、ルッキズムについて考えていきます。ルッキズムに声を上げるのは女性が多いのはなぜ? アイドルに「ビジュ最高」と言うのはルッキズム? などなど気になる話題が盛りだくさんの3本立てです。

結局、人は「ルッキズムしたい」?

前川:前回のお話で、アイドルグループなども方向性が変わってきたと希望が持てる話もありました……が、やっぱりランク付け的な価値観はなかなかなくならないですし、週刊誌やウェブ記事でも読まれるのは、ゴシップ記事ばかりです。見てくださいよ、「60代タレントの衝撃のスッピン」「あの芸能人の意外な美人家族」……こんなんばっかりです。

武田:世の中を見れば「ルッキズムはいけない」という雰囲気が広がってきているように感じますけど、それは人々の価値観が変わったわけではなくて、「そういうルール・雰囲気だから言わないでおこう」という人が多いということですよね。言わないだけで、心の中は、ルッキズムやエイジズムがめちゃくちゃ耕されている。

前川:やば……。

武田:それこそ、会社や仲間内でも言えないから、余計にこういった記事を読むのかもしれません。実際のコミュニケーションを介さずに、自分のなかだけで蓄積していくのはかなり危ないですよね。

結局、人は「ルッキズムしたい」?, 整形を「何歳からOK」なんて他人は言えない, 発信で届ける、動揺させる, 物足りなさ、と付き合い続けていく

しゃべるっきずむ

前川:多くの人が読むから、記事としてもアクセスが増えて、さらに量産される……悪循環ですね。みんな、なんでそんなに人のスッピンに興味あるんですかねえ。

武田:かつて『美魔女コンテスト』みたいなものがあって、「この人が55歳?!」とか、そういうのがいっぱい世の中に溢れていました。今はさすがにそういう公式な動きは少なくなったけれど、やっぱりどこかでそういう価値観が蔓延っている。その手の記事の存在を知ると、人の興味の矛先は変わっていないんだ、と突きつけられます。

前川:現実世界では言わないのに、裏ではみんなが考えているって、世の中がどんどんフェイクになっていきますよね。

武田:そこを変えるには、どうしたらいいんでしょうね。

前川:「しゃべるっきずむ!」の対談でもよく話題に上がりますが、やっぱりルッキズムはお金になるんですよね。コンプレックスを煽る方法で儲けてきた企業は、ルッキズムの風潮を手放さないでしょうね。

武田:週刊誌が政治スキャンダルではなくて、タレントの不倫を追いかける理由と同じですね。みんなが課金するから。そこで稼いだお金があるから、政治スキャンダルを追える構造すらある。

前川:そうなんですよね。

武田:じゃあ、その構造のどこを変えるのか。 需要があるからルッキズムや不倫の記事を書く週刊誌があって、それを課金して読む人たちがいて……この流れっていうのはどうしたらいいんでしょうね。

前川:ニワトリと卵、ですよね。企業広告やメディア記事によって「こういう見た目がいい」と思わされてきた事実はありながら、それは読んだり課金したりする消費者がいるからで……。本当にどこから変えていけばいいのか、途方にくれます。きっと“どこから”ではなく、全部を変えていかなきゃいけないんですよね。

整形を「何歳からOK」なんて他人は言えない

武田:でも、やっぱり広告やメディアの影響は大きいですよね。電車の広告で、女子高校生向けに「整形しろ」「脱毛しろ」とか当たり前のようにありますけど、そのうち男子高校生に向けたものも出てくるでしょう。単純な接触効果は大きいわけで、やはり毎日見ていたら「そうなのかも」と美に対する意識も変わると思いますよ。

前川:本当にそう。ルッキズムについてリサーチしていると、私のSNSにも美容整形や脱毛の広告が出てくるようになるんです。それをずーっと見ていると、私も「整形しないとダメなのかな」とふと思わされることがある。コンプレックスのある高校生が見たら、やっぱり洗脳されてしまうと思います。

武田:そうですね。

結局、人は「ルッキズムしたい」?, 整形を「何歳からOK」なんて他人は言えない, 発信で届ける、動揺させる, 物足りなさ、と付き合い続けていく

しゃべるっきずむ

前川:しかも、最近は女子小学生に脱毛を勧める広告も増えていて、低年齢化をひしひしと感じています。これは本人ではなく、その親たちに向けた広告で「毛が濃いと学校でいじめられる」「半袖が着れない」と、子どもの悩みのような文脈で。親世代がそれを見て、“子どものために”脱毛に行くこともあると思うと……。

武田:自分たちが小学生の頃も、女子に対して毛が濃い・ヒゲが生えているみたいなことを言う感じがあったと思うんですよ。当時は脱毛サロンなんて身近じゃなかったから、彼女たちはそのしんどさを解決することもできなかった。今は、お金を払って毛をなくすという選択肢がある、と考えると……そんなシンプルな話じゃないけど、難しいですよね。

前川:それで救われる人もいる、ということですよね。私も、脱毛や整形が、必ずしも悪だとは思っていないんです。私の周りにも、整形してすごく前向きになった人たちがいますし。ただ、やっぱり小中学生の時点で、今後の長い人生をともにする顔や身体を変えてしまっていいのか……いつも悩ましいところです。その判断をするまでの経験値は必要なんじゃないかと。

武田:これも屁理屈だけど、その“経験値”というのも他人が判断できることではないですよね。30代なら経験値がある、女子高生にはまだ早い、というのは一体誰が決めるのか、という……。

前川:本当にそう!「何歳以上ならいいよ」みたいなアンサーがあるわけではないんですよね。

武田:やっぱりそれも、他者が決めることじゃない。だからこそすごく難しい、ということなんだろうと思います。

前川:「生きやすくなる」という言葉も、複雑ですよね。例えば、「容姿がよくなれば周りから優しくされて生きやすくなる」は事実かもしれないけれど……それって本当の意味での生きやすさなんだろうか、とか。

私自身、ダイエットしていた頃は痩せて人に褒められましたが、やっぱり“体重に囚われ続ける”のがつらかった。当時は「生きやすくなった」と思っていましたが、今は「満足に食事もできなかったあの頃って生きやすかったのかな」と思うんです。

武田:そうですよね。

前川:先ほどの「脱毛で救われる人もいる」というのも、それでいいんだろうかって。毛がなくなったから、顔が変わったから、生きやすくなる社会でいいんだっけ、とやっぱり思っちゃいます。

武田:その問いかけって、たぶん次のステップなんですよね。毛がなくなって褒められる、という経験があって初めて「これでいいんだっけ」と、そこで得られた“褒め”について考え始めるんじゃないかな、と。そのステップに行くか行かないかは、本当にその人の環境や価値観によりますけどね。

発信で届ける、動揺させる

——人の価値観はなかなか変わらないというお話がありましたが、最後に、やっぱり「どうしたら人は変わるのだろう」という部分をお聞きしたいです。男女問わず、ルッキズムに少しでも問題意識を持ってもらうためには、どうしたらいいんでしょうか。

前川:私は「心地よい範囲で思ったことを発信する」というのをマイルールにしているんですね。この「心地よい」というのがポイントで、私はSNSやコラムを通しての発信に抵抗がないですが、みんなが同じじゃないと思います。それぞれの「心地よい範囲」から無理して出る必要はない。

でも、どんなに小さくてもやっぱり発信はしなくちゃ社会は変わらない、とも思っています。私自身、本当に身近なところから発信活動を続けてきましたが、誰かしら反応をくれて、小さくても確実な波紋の広がりを感じて今に至ります。そのつながりを続けていくためにも、やっぱり小さくても発信を諦めずにいたいです。ネット上で大きく発信しなくても、友達との会話の中に滑り込ませるだけでも、意味はあると思うんです。

武田:そうですね。僕の場合は、発信によって“動揺させる”こともできると思ってるんですよ。「こういうことしてちゃ、いけないんだ」と考えを促す作用がある。

前川:動揺させる。その視点はなかったです!

武田:本来であれば、社会的な地位が高い人や権力を持っている人たちが、フェミニズムやルッキズムの発信をしていかなくちゃいけない。でも今はむしろ、とりわけ政治の世界なんてその正反対をいくような事例が多いわけです。そういう人たちの言動を監視、指摘していくこともすごく大事だと思うんですね。

前川:そうですね。

武田:最近、テレビなどで芸人の人たちが「コンプライアンス」という言葉を茶化し始めているのを見かけます。「これコンプラ的にまずいでしょ〜(笑)」みたいなやつ。それは、前々回もお話しした、ハラスメントに抗おうとする声を「面倒くさいもの」に貶めようとする、強権的な動きだと思うんですよ。

フェミニズムもルッキズムも、多くのものがそうやって言葉を奪い取られそうになりながら、ここまで来ました。だから、そういう仕草に対して「今、奪い取りましたよね?」と指摘していかないといけないな、と思っています。

物足りなさ、と付き合い続けていく

前川:砂鉄さんとお話ししてきて、やっぱりマニュアルは作れないし、考え続けるしかないと感じています。私自身もいまだに「あの言葉選び、間違えたな」と反省することばかりですが、そういうことも含め、発信し、指摘されながら、ずっと考え続けていくしかない。

武田:やっぱり、みんな間違えるのは怖いですよね。特に人に伝えたり、公の場で発信したりするときは「これは間違いじゃないだろうか」と思いながら発信して、指摘されるとやめてしまう人もいる。難しさは常にありますよね。

前川:清田隆之さんとの対談でも、最後まで大きな結論は出ませんでした。でも、この対談はルッキズムに対する“わかりやすさ”を提示するものではなくて、考えるきっかけになったらと思っています。

武田:しっかりと読んでくれる方々は「わかりやすい答えなんてないよね」という結論に納得してくれると思うんですが、大半の人たちは「物足りねー!」となる。その、物足りなさとどう付き合っていくのかが、ルッキズムやジェンダーを含む多くの社会問題を考えるときに大切になりますよね。でも、この「引き続き考えていこう」というわかりにくさって、本当に流行らないんですよ……。

前川:バシッとわかりやすい答えがあったほうが、スッキリしますからね。自分事として捉えられる人は考えることができますけど、そうじゃない場合はアンサーがほしくなる。それを代弁してくれる人がいたら「それそれ!」と自分で考えなくて済みますもんね。

武田:そうですね、諦めてはいけないと思うんですけどね。

前川:特に今の社会、みんな本当に日常が忙しくて、ストレスを抱えていて。そんななかで社会問題まで考えていられないよ、という人が多い気がします。

武田:それは僕も同級生と話していてよく思います。「武田はいろんなことを考えるのが仕事だけど、こっちは忙しく働いてそんな余裕ないよ」と言われると、確かにそうだなと思っちゃう。そういう日常のなかで、前回お話ししたような、アイドルグループを見て「大丈夫なのかな」みたいなことまで考えられないのは、わかる気がしますね。

前川:今回は、「私と砂鉄さんで、みんなの代わりにたくさん考えたから、まずは読んでみて!」という気持ちです。スッキリする記事ではないけれど、なるべくわかりやすくお伝えしたいし、少しでも読者のみなさんに自分と重ねて考えてもらえるきっかけになればと思っています。砂鉄さん、今回は本当にありがとうございました!

Profile

結局、人は「ルッキズムしたい」?, 整形を「何歳からOK」なんて他人は言えない, 発信で届ける、動揺させる, 物足りなさ、と付き合い続けていく

しゃべるっきずむ

武田砂鉄さん

1982年、東京都生まれ。出版社勤務を経て、2014年からフリーライターに。著書に『紋切型社会』(朝日出版社、2015年)、『コンプレックス文化論』(文藝春秋、2017年)、『わかりやすさの罪』(小社、2020年)、『偉い人ほどすぐ逃げる』(文藝春秋、2021年)、『マチズモを削り取れ』(集英社、2021年)、『べつに怒ってない』(筑摩書房、2022年)、『今日拾った言葉たち』(暮しの手帖社、2022年)、『父ではありませんが 第三者として考える』(集英社、2023年)、『なんかいやな感じ』(講談社、2023年)、『テレビ磁石』(光文社、2024年)など多数。新聞への寄稿や、週刊誌、文芸誌、ファッション誌など幅広いメディアで連載を多数執筆するほか、ラジオ番組のパーソナリティとしても活躍している。

前川裕奈さん

慶應義塾大学法学部卒。民間企業に勤務後、早稲田大学大学院にて国際関係学の修士号を取得。独立行政法人JICAでの仕事を通してスリランカに出会う。後に外務省の専門調査員としてスリランカに駐在。2019年8月にセルフラブをテーマとした、フィットネスウェアブランド「kelluna.」を起業し代表に就任。ブランドを通して、日本のルッキズム問題を発信。現在は、日本とスリランカを行き来しながらkelluna.を運営するほか、「ジェンダー」「ルッキズム」などについて企業や学校などで講演を行う。著書に『そのカワイイは誰のため?ルッキズムをやっつけたくてスリランカで起業した話』(イカロス出版)。yoga jouranal onlineコラム「ルッキズムひとり語り」。

ウィルソン麻菜

「物の向こうにいる人」を伝えるライター。物の生まれた背景を伝えることが、使う人も作る人も幸せにすると信じて、作り手を中心に取材・執筆をおこなう。学生時代から国際協力に興味を持ち、サンフランシスコにて民俗学やセクシャルマイノリティについて学ぶなかで多様性について考えるようになる。現在は、アメリカ人の夫とともに2人の子どもを育てながら、「ルッキズム」「ジェンダー格差」を始めとした社会問題を次世代に残さないための発信にも取り組む。