車社会でモノレール奮闘、沖縄県ご当地鉄道事情

まずは飛行機で沖縄入り, いきなり日本最西端の駅へ, 終点のてだこ浦西駅を目指す, かつて走っていた“ケービン”, 沖縄の歴史を物語る

沖縄都市モノレール線(ゆいレール)で那覇空港の1つ隣、赤嶺駅は日本最南端の駅だ(撮影:鼠入昌史)

個人的な話で恐縮だが、沖縄県にはいままで一度しか行ったことがない。沖縄にはほとんど鉄道が走っていないから……などというストイックな理由でもなんでもなくて、単に飛行機が苦手だからだ。

【まずは写真を見る】▶那覇と名護を結ぶ「鉄軌道計画」もある沖縄で現在、唯一の「ゆいレール」はどんなところを走っているのか▶戦災でほとんど破壊されてしまった“ケービン”こと沖縄軽便鉄道の痕跡をいまに伝える場所とは?

いくら「飛行機は世界一安全な乗り物で……」などという御託を並べられても、子どもがピーマンを嫌うのと本質的には変わらないのだからどうすることもできない。極力飛行機には乗らないように、また乗ったとしてもできれば片道で。そういう工夫をこらしながら生きている。

まずは飛行機で沖縄入り

そんなわけだから、どうしたって片道2時間半程度は飛行機に乗らねばならない沖縄は、リゾートだの美ら海だのと言われても足が遠のいてしまう。一度くらいは阪神タイガースの春季キャンプを見に行きたいと思うが、なかなか叶わぬ夢になりそうだ。

【写真を見る】現在、沖縄県内で唯一の鉄軌道線である沖縄都市モノレールの「ゆいレール」はどんなところを走っているのか。戦災でほとんど破壊されてしまった“ケービン”こと沖縄県営鉄道の痕跡をいまに伝える場所とは?

などと言っても、沖縄にだって鉄道が通っているのだから触れずにいるわけにもいかない。そこで歯を食いしばって一度だけ、沖縄を訪れたのである。

羽田空港から飛行機に乗って2時間半、那覇空港に着いたら、まず直面することになるのが空港からの交通手段をいかにすべきかという問題だ。

沖縄をあちこち巡るとするならば、レンタカーを借りるのが手っ取り早い。が、免許がないとかそういう事情でレンタカーを避けたい人もいるだろう。

また、那覇市内や沖縄本島各地と結ぶ路線バスはかなり充実しているが、初心者にとってはハードルが高く感じるかもしれない。

そこで頼るべきは、やはり鉄道である。

いきなり日本最西端の駅へ

沖縄県内を通っている鉄道は、ただの1本だけだ。鉄道といってもモノレールで、沖縄都市モノレール線、愛称は「ゆいレール」。那覇空港―てだこ浦西間を結んでいる。

1本だけのモノレールでも、ゆいレールは県都・那覇の中枢を走っているといっていい。那覇空港駅は日本最西端の駅で、お隣の赤嶺駅は最南端。2003年に開業するや、それまでの松浦鉄道のたびら平戸口駅(長崎県)・JR指宿枕崎線の西大山駅(鹿児島県)から最西端・最南端の地位を奪ってしまった。

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国道330号沿いを走るゆいレール。那覇市街地の地域輸送の担い手だ(撮影:鼠入昌史)

奥武山公園駅付近では、プロ野球の公式戦も毎年開かれている沖縄セルラースタジアム那覇もモノレールの車窓から間近に見える。漫湖を横目に国場川を渡ると、いよいよ那覇の中心地だ。

那覇の中心部では、久茂地川に沿って東へ走る。旭橋駅は那覇バスターミナルの最寄り駅。県庁前駅から少し南に入ったところには、沖縄ではいちばんの繁華街・国際通り。国際通りを囲むように走ってから、新都心のおもろまちへ。さらに進んだ首里駅は首里城公園の最寄り駅だ。ゆいレールが2003年に開業した時点での終着駅でもあった。

終点のてだこ浦西駅を目指す

首里駅からは北に進路を変えて、沖縄戦の激戦地にもなった浦添城跡を正面に望んで終点のてだこ浦西駅を目指す。首里―てだこ浦西間は2019年に延伸開業した区間で、開業当時はほとんど何もなかったてだこ浦西駅周辺も、いまやイオンやヤマダデンキが並ぶ商業エリアと化している。

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浦添城跡から見下ろす浦添市内を走るゆいレール。2019年の延伸区間だ(撮影:鼠入昌史)

……と、これにて沖縄の鉄道の旅は終わりである。那覇空港―てだこ浦西間を往復したとて、1時間半もかからない。あっという間の沖縄の鉄道旅。車窓から眺める那覇の中心市街地や首里城、浦添城跡といった風景は、本土の車窓から望むそれとはまったく違って沖縄らしさを楽しめて悪くない。

が、そうは言ってもゆいレールが走っているのは沖縄本島のいちばん南の端っこだけである。那覇と本島中部の名護を結ぶ鉄軌道計画があり、ルート策定などが進んでいる。しかし、いまのところ計画が具体化する目処はたっていないようだ。クルマ社会の沖縄のこと、中長距離を結ぶ一般的な鉄道が入り込む余地に乏しいということなのだろうか。

かつて走っていた“ケービン”

そんな沖縄も、かつてはモノレールではなくレールと車輪の鉄道が走っていたことがある。1914年に最初の区間が開業した沖縄県営鉄道、通称“ケービン”だ。那覇をターミナルとして、東海岸の港町・与那原駅までを結ぶ与那原線、北へ延びて嘉手納までを結ぶ嘉手納線、本島南端の糸満までを結ぶ糸満線の3路線。加えて那覇港までの海陸連絡線があった。

軌間は762mmという、文字通りの軽便鉄道だったが、少なくとも沖縄本島南部における地域輸送の主役だった一時代があったのだ。

まずは飛行機で沖縄入り, いきなり日本最西端の駅へ, 終点のてだこ浦西駅を目指す, かつて走っていた“ケービン”, 沖縄の歴史を物語る

ゆいレールの旭橋駅前に保存されている沖縄県営鉄道の転車台。かつての那覇駅がこの付近にあったという(撮影:鼠入昌史)

【写真をもっと見る】かつて与那原、嘉手納、糸満へ路線を延ばしていた“ケービン”こと沖縄県営鉄道。わずかではあるが痕跡は各地に残っている

しかし、沖縄戦がすべてを破壊してしまった。戦争末期には地域輸送はほとんど行われることがなくなって、軍事輸送を主たる役割とする路線に変貌。1945年3月に運行を停止し、その後に続く沖縄戦によって、沖縄県営鉄道はその廃線跡の痕跡を探すのも難しいほどに破壊されてしまったのだ。

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復元された沖縄軽便鉄道の与那原駅舎。内部は鉄道資料館(撮影:鼠入昌史)

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沖縄の歴史を物語る

その後、沖縄はアメリカの統治下に入る。一時は鉄道を復旧させる意向を持っていたというが、現実には道路整備を優先する形となって、沖縄の鉄道は半世紀近くにわたって地図から姿を消したのである。

ゆいレール旭橋駅の目の前には、那覇駅の転車台遺構が残っている。また、与那原には被災したものの復元された与那原駅舎があり、鉄道資料館になっている。ところどころの公園に、のちに発掘されたレールなどを保存展示している一角もある。ゆいレールは、そうした過去の沖縄の鉄道の歴史をも背負いながら、走り続けているのかもしれない。