「鉄道軽視」「利益偏重」──JR東日本36事業本部制に批判コメントが殺到した根本理由
36事業本部の現場論
2026年7月、JR東日本は全国を管轄する本部・支社体制を廃止し、36の事業本部への再編を実施する。経営層は、この再編により地域密着と迅速な意思決定を目指すと説明している。
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しかし、ネット上では
・現場軽視
・安全軽視
・公共性喪失
といった批判が相次ぐ。なぜ、この再編は強い反発を招くのか。
本稿では、制度設計、人員構造、収益戦略、利用者意識の乖離に焦点を当て、批判の根本要因を探る。さらに、公共交通としての責任と市場経済の狭間で揺れる現在地から、36の事業本部が本当に「現場に近い経営」へと転じ得る条件を考察する。
36事業本部の課題
JR東日本による36事業体制に向けた公式リリース(画像:JR東日本)
JR東日本は、現行の12支社体制から36の事業本部へ移行する。では、何が変わるのか。公式リリースを見ると、新旧体制の違いは明確だ。
現行の組織は
・第一線の職場
・本部・支社
・本社
の3層構造である。新体制では
・第一線の職場と本部・支社を融合した事業本部
・本社
の2層構造に変わる。36の事業本部はそれぞれ、管轄エリアの経営の基本単位となり、地域との接点になる。
本社機能も「グループ戦略部門」と「事業執行部門」に分化する。各事業本部は地域の実情に応じた輸送サービスの展開や、地域との共創役を担うことになる。
利用者目線では、各事業本部の所管路線、人口カバー、輸送密度、営業距離の再分配に不安がある。ネット上では
・路線またぎ問題(例:上野東京ラインや湘南新宿ラインのように、複数の路線をまたいで頻繁に運行される列車群)
・境界の混乱(結局、国鉄時代から運行されていた越境列車が減り、事業本部の分岐駅での乗り換えが増えるのではないか、という懸念など)
に関する懸念が挙がっている。
自治体との関係も課題だ。過去には、自治体が負担増でも路線存続を求めることがあった。しかし、事業本部単位では「JR東日本が黒字で補填すべき」との意見が目立ち、合意形成が難しくなる地域が増える可能性もある。
事業本部単位のトラブル対応も不透明だ。ある事業本部の判断が全線に影響することもあり得る。組織マネジメント論の観点から考えれば、縦割り組織は
「セクショナリズム(部門・部署・地域などの部分的な利益や考え方を優先し、全体の調和や目標を軽視すること)」
を生みやすい。小さな組織のローカルルールや個別運営が、組織全体の活性化を妨げることもある。
36事業本部における横断的な機能、いわゆる「串刺し機能」が重要になる。縦割りを進めるなら、リスクを解消する横の機能を組み込む必要がある。大学業界で導入されている「学環」のようなシステムが参考になる。学環は学科を横断して学べる仕組みで、特定の課題解決に向けた実践的教育を可能にする。
JR東日本の場合も、組織図を変えただけでは輸送網の断絶や連携摩擦が減る保証はない。リスク低減のための横串型機能の設置が不可欠である。
現場信頼失墜の懸念
「2024年3月期決算および経営戦略説明資料」(画像:JR東日本)
今回の36事業本部制に対するインターネット上の批判には共通点がある。
・JR東日本は市場利益しか見ていない
・本業の鉄道事業が軽視されるのではないか
という指摘だ。新聞報道によれば、JR東日本は2027年度を目途に、非鉄道部門の営業利益を全体の6割程度に拡大することを目指している。なかでも不動産事業を安定的収益源として重視する。営業利益率は、2023年度の鉄道事業が3.6%、不動産事業が10.4%、ホテル・商業施設が12.7%となっている。新型コロナ禍によるテレワークの普及などで定期券収入は戻りにくく、鉄道事業単独での収益拡大は見込みにくい。
2024年4月に公表された経営戦略資料を見ると、モビリティ事業は限定的で、
・地域開発事業
・生活ソリューション事業
への投資案件が多いことがわかる。駅ナカや沿線商業施設、沿線開発への資本配分を増やす方向は既定路線である。JR東日本はすでに
「交通の拠点から暮らしのプラットフォームへ」
と提供価値を転換している。単なる鉄道事業者ではないと公言するなかで、非鉄道事業の収益拡大戦略と現場の
・人員削減
・サービス低下
への潜在的批判が並存する。36事業本部制はその両立を狙う側面もあるが、現場負担は見過ごせない。千葉地区の「朝運転・昼販売」の兼務例のように、働き方改革が本当に進むのか疑問は残る。
さらに、人手不足下での賃金再配分が現場の理解を得られるかも課題だ。人材流出による人材難のリスクもある。現場の声を集めれば、トップ層の現業経験の少なさや理解不足への不信感も根強い。不動産やSuica関連事業で収益構造は変化したが、体制改革によって現場との信頼関係が毀損されれば、本業での信用にも長期的な影響が出る可能性がある。
国鉄比較が消えぬ理由
鉄道(画像:写真AC)
今回のJR東日本の事業組織再編に対して、SNS上では共通の批判が見られる。「公共交通としての責任を忘れている」「国鉄時代の方がマシだった」といった声だ。鉄道マニアのノスタルジーも影響しているが、利用者目線の不満も根強い。
「熱海乗り換えは不便」 JR直通列車、なぜ減便? 熱海超え~沼津5.5往復に…地域分断で経済圏衰退も! 利用者に寄り添うダイヤ設計とは?(2025年2月15日配信)でも書いたが、地域の実情を無視した運行に対する不満が目立つ。
・急行廃止と特急シフト
・全席指定席化による実質値上げ
・駅の無人化
・ホームの安全対策の遅れ
・各種安全トラブルの増加(東北方面の新幹線車両トラブル多発)
・津波警報時の内陸運休や311当日の駅封鎖
など、JR東日本の鉄道事業者としての姿勢を疑問視する声は少なくない。
なぜ、分割民営化から38年を経ても「国鉄との比較」が持ち出されるのか。それは構造的な背景にある。JR東日本は駅ナカや不動産事業を含め、稼げる鉄道会社となった。しかし、東日本エリアに特化した結果、エリアを跨ぐ直通性や利便性は国鉄時代に比べ制限される。利用者の視点では
・よい列車を走らせる国鉄
・安全運行より収益性を優先していると感じるJR東日本
の差が浮き彫りになるのだ。
公共交通における利用者は、ただの運賃を支払う顧客ではない。安全と時間を預ける生活者であるべきだ。SNS上でこの視点を訴える生活者は少なくない。JR東日本はこの声を忘れてはならないだろう。
運行責任と利益の両立
鉄道(画像:写真AC)
国鉄とJR東日本を比較するだけでも、セクショナリズムの利点と欠点が浮き彫りになる。では、この矛盾を解消するには何が必要か。
まず、36の事業本部を横断的に結ぶ機能を明確に示す必要がある。前述のとおり、大学の学環のように、
・駅のバリアフリー・ユニバーサルデザイン
・鉄道車両
・DXサービス
などのテーマ別に、事業本部を串刺しにする機能を打ち出すことが望ましい。各事業本部に利益責任だけでなく、
「運行・安全責任」
を明確化する制度設計も重要だ。境界駅や乗り入れ区間の共同管理モデル、安全投資と運行品質が収益に直結した事例(京浜急行・相模鉄道の事故削減と満足度向上)、デジタル重視の運行管理やDX型ダイナミックダイヤの活用、AIによるダイヤ再編成での遅延縮小例(スイス国鉄、オランダ鉄道)なども有効である。事業本部をタコつぼ化させないシステムが求められる。
また、人材教育も改革が必要だ。現場経験のある経営人材を育成するため、キャリア構造の見直しが不可欠である。海外事例では、ドイツ鉄道(DB)や香港MTRで運行出身幹部比率が高く、参考になる。細分化を活かすには、情報・責任・権限・評価の設計を一体的に再構築することが求められる。
地域鉄道の信頼再建
鉄道(画像:写真AC)
組織マネジメント論を学べばわかるが、組織再編自体はあくまで道具にすぎない。いい換えれば、
「ガス抜き」
の側面もある。鉄道事業に置き換えると、地域のニーズに応じて人材の流動性を高め、業務を再設計し、安全文化を育むことが不可欠である。長期的には
・収益成長
・安全運行
・地域接続性
の三要素を評価指標に組み込む必要もある。
36の事業本部制は地方活性化の可能性を示す一方、地域でのセクショナリズムや横の連携の難しさも露呈させるリスクが高い。少子高齢化や人口減少が進むなかでは、沿線人口ではなく
「移動回数」
ベースでの需要設計も不可欠である。地方事業本部でのモビリティ統合(バス・シェア・オンデマンド連携)を円滑に進めるには、組織自体をレジリエント(変化や危機に直面しても、機能や成果を維持しつつ迅速に立ち直れる力)にする工夫も必要だ。公共交通の改革は、制度の形ではなく、時間・安全・地域をどう未来につなぐかという設計思想にかかっており、計画の質がすべてを決める。
JR東日本の組織再編への批判の核心には、現場・利用者・安全の軽視への怒りがある。経営改革は必要だが、市場の声に偏りすぎれば交通事業の根幹を損なう危険もある。分割も統合も、制度の目的はただひとつ──人が安心して移動し、地域でつながる未来をつくることだ。
その原点を見誤れば、次に起きるのは信頼の消失である。信頼が失われれば、自発的な利用も地域協働も消える。これが地域に根差した鉄道作りの本質であり、事業者に忘れてほしくないポイントである。