“東京”メトロなのに、車両基地が「神奈川県」にある根本理由

神奈川に置かれた半蔵門線基地

 東急田園都市線の鷺沼駅(神奈川県川崎市)がある鷺沼には、東京メトロ半蔵門線の車両基地・鷺沼車両基地が置かれている。

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 車両基地(検車区)は、路線で使用する車両の保管や点検を行う施設である。原則として路線沿線に設置される。例えば銀座線は上野、有楽町線は新木場、千代田線は北綾瀬に基地がある。

 しかし半蔵門線は例外だ。沿線上ではなく、東京都内でもない。神奈川県に基地を設置している。なぜこのような配置になったのか、背景には都市構造と建設事情がある。

都心直通地下鉄の車両拠点

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半蔵門線(画像:写真AC)

 鷺沼車両基地の敷地は約6.7万平方メートルで、鷺沼検車区・鷺沼工場・鷺沼車両管理所で構成される。半蔵門線車両の点検、修繕、清掃などを行い、最大180両を収容可能である。構内は北側に留置線と工場、南側に検査庫と洗浄線を配置する。車両入出庫の一部には引上線を使用し、限られた敷地は三枝分岐器で有効活用されている。

 鷺沼工場は半蔵門線と日比谷線の定期検査(全般・重要部検査)を担当する。車両は分割して入場し、整備後に本線で試運転を行う。業務は東京メトロ直営のほか、一部は協力会社に委託される。特定車両の部品検査は専門工場に集約し、効率化を図っている。

 担当車両は、半蔵門線が8000系・08系・18000系、日比谷線が13000系・03系である。年間検修本数は約15編成。検査工程は編成を分割して順次実施する。基地の沿革は、1979(昭和54)年の営団譲受から1983年の工場発足、2004(平成16)年の日比谷線統合までの経緯がある。

渋谷駅地下化の挑戦

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半蔵門線(画像:写真AC)

 半蔵門線は1968(昭和43)年の都市交通審議会答申で、「東京地下鉄11号線」として計画された路線である。

 当初の計画では、二子玉川方面から

・三軒茶屋

・渋谷

・神宮前

・永田町

・九段下

・神保町

を経て大手町・蛎殻町に至るルートとされた。千代田線・銀座線と並び、銀座線の混雑緩和を担う都心のバイパス路線として位置づけられた。

 渋谷~二子玉川区間は東急電鉄が建設し、1977年に新玉川線として開通した。現在の田園都市線である。

 渋谷駅の建設は帝都高速度交通営団(営団)が担当した。正確には、駅本体の建設は営団が行い、国鉄との交差部にあたる架道橋の架け替えなど一部工事は国鉄が実施している。

 建設は困難を極めた。渋谷駅上には地下街が広がり、その上を国鉄線が走る。さらに渋谷川の下をくぐる必要もあった。繁華街の地下に路線を通す条件は非常に厳しく、『半蔵門線建設史』(1999年)にもその困難さが記されている。

 建設に先立つ1973年、営団と東急は11号線と新玉川線・田園都市線の相互直通運転を実施する覚書を交わしている。

都心地下鉄の車両拠点戦略

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半蔵門線(画像:写真AC)

 相互直通運転を念頭に工事が始まった半蔵門線だが、オイルショックや軟弱地盤などの影響で当初計画通りには進まなかった。1973(昭和48)年3月の工事着手から1990(平成2)年11月の全線開業まで、17年の歳月を要している。

『半蔵門線建設史』発行時の営団総裁・寺嶋潔氏は「営団地下鉄建設工事史の中でも、最も苦難に満ちた日々の連続でありました」と述べ、全通の喜びと関係者への感謝の言葉をつづっている。

 工事の遅れを受け、11号線は1978年8月に渋谷~青山1丁目間の2.7km区間で部分開業することが決まった。これに先立ち路線名の公募が行われ、半蔵門に関する名称が最も多かったこと、全通後の路線のほぼ中心に位置することから、半蔵門線と名付けられた。

 1983年8月1日、半蔵門線はついに営業運転を開始した。しかしこの時点では車両基地が存在しなかった。全線が都心地下を走るため、沿線に基地を設置するスペースが確保できなかったのである。

 建設に際し、営団は東急と交渉し、東急所有の鷺沼車両基地を譲り受けた。これにともない、東急は長津田(神奈川県横浜市)に新たな車両基地を設け、移転させた。

 しかし開業時点で長津田基地の工事は未完了だった。営団は新造車の導入を見送り、譲り受けた鷺沼基地をしばらく東急に貸与する形を取った。その間、半蔵門線では東急所属車両18両を借り受けて運行を開始した。

鷺沼基地活用の裏側

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半蔵門線(画像:写真AC)

 営団は譲り受けた鷺沼車両基地で、東急の車両に来てもらい、さらに路線内でも走ってもらうという変則的な運用を行った。

 この運用がスムーズに進んだのは、営団が既に他社路線内に車両基地を設置した経験を持っていたからである。現在の千住検車区竹ノ塚分室がその事例だ。

 日比谷線開業時、営団は千住車両基地を設置した。当初は手狭で、輸送量増加にともない運用が難しくなる。そこで東武伊勢崎線沿線に新たな車両基地を設けることを検討した。

 東武鉄道に相談した結果、西新井電車区を譲り受ける話がまとまり、基地は移転された。相互直通運転を行う鉄道事業者同士は、お互いの事情をよく理解していることが背景にある。

 半蔵門線でも変則的運用は問題なく実施された。その後、1979年8月に青山1丁目~永田町間が開業したが、この時点でも東急の車両が使用されていた。

 その間に、東急の長津田車両基地が1979年7月に発足。1981(昭和56)年4月には営団の鷺沼車両基地も完成し、新造の営団8000系電車による運用が始まった。

 時間をかけて導入された半蔵門線車両は、現在、東急田園都市線と東武伊勢崎線と相互直通運転を行い、神奈川県大和市の中央林間駅から埼玉県久喜市の南栗橋駅まで、東京を挟んで約100kmを走行している。

都心地下制約と基地活用

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現在の鷺沼車両基地の航空写真(画像:国土地理院)

 半蔵門線の車両基地が神奈川県に置かれているのは、沿線に十分な敷地を確保できなかったためである。半蔵門線は全線が都心の地下を走る路線で、沿線には地下街や既存の鉄道、川などが重なっていた。駅や路線の地下構造は複雑で、車両基地を設置できる空き地が存在しなかった。

 開業時から半蔵門線は東急田園都市線との相互直通運転を前提に建設されていた。これにより、東急が所有していた鷺沼検車区の譲渡を受け、基地として活用することで運用を確保したのである。

 営団は、すでに千住検車区竹ノ塚分室のように他社沿線に車両基地を置いた経験を持っていた。相互直通運転を行う鉄道事業者同士は、お互いの事情を理解し、基地の譲渡や貸与をスムーズに行える関係を築いていた。

 東京都心の地下に基地を作れない制約と、東急との協力関係を活かした結果、神奈川県鷺沼に基地を置くことになったのである。

 この配置は土地の制約にとどまらず、都市交通政策や事業者間協力の在り方も反映している。都心地下の開発密度が高く、従来型の路線沿線で基地を確保することが困難な場合、近隣県や既存鉄道の設備を活用する方策は合理的である。

 半蔵門線の事例は、都市構造の制約に応じた柔軟なインフラ運用の成功例といえる。相互直通運転を前提とした事業者間の協力は、後続路線や輸送ネットワークの拡張時におけるリスク軽減と効率化にもつながる。

 結果として、半蔵門線は東京を挟んで約100kmの広域運用が可能となり、都心と郊外双方の輸送需要に応じた柔軟な運用体制を確立できたのである。