こりゃ誰も得しないわ…「最低賃金」大幅引き上げの“3つの副作用”、労働強化、倒産増、あと1つは?

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政府主導で進む「最低賃金」の大幅引き上げ。時給がアップすれば、私たちの暮らしは豊かになるはず。しかし、その裏側で深刻な“副作用”が静かに広がっているとしたら?人件費の高騰に喘ぐ中小企業では、すでに対応しきれず「労働強化」が進み、「倒産」や廃業の危機に瀕するケースも後を絶ちません。しかし、本当に恐ろしいのは、これらだけではないのです。多くの専門家が警鐘を鳴らす、見過ごされがちな“第3の副作用”。果たして、その驚くべき実態とは?本記事で詳しく解説します。(百年コンサルティングチーフエコノミスト 鈴木貴博)

労働者、企業、消費者も困る?

「最低賃金引き上げ」の“痛すぎる副作用”

 最低賃金の全国平均が1100円を超えそうです。8月4日の中央最低賃金審議会で2025年度の最低賃金の目安を全国平均で時給1118円と答申しました。このあと各地方の審議会で引き上げ額を議論し10月に改定されますが、東京や神奈川では1200円台、一番低い都道府県でも1000円を超えるのは確実になりました。

出典:厚生労働省公開資料 ダイヤモンド・ライフ編集部作成

 労働者にとっては吉報である一方で、このニュースにブチギレる人や憂う人がいます。

 物価が毎年のように上昇し、実質賃金が上がらず生活が苦しくなっているのですから、時給が上がればそれだけ生活は楽になりそうです。

 では、なぜ政府がもっと最低賃金を上げないのでしょうか?最低賃金の引き上げには強い副作用があることが経済学的にわかっているのです。この話は大学で習う経済学の初級編で出てくる需要・供給曲線に関係する話で、細部を省略すると日本経済に3つの大きな副作用を引き起こします。

 日本の最低賃金は、2015年に798円だったところから仮に答申通りに決まれば10年で1118円ですから引き上げペースが急激です。経済学の理論に基づいて、これから日本経済に生まれる3つの闇について解説しましょう。

【副作用1】

求人の減少が生む「労働強化の闇」

 大学の経済学の初歩で学ぶ需要・供給曲線というものがあります。自由市場では神の手によって「雇いたい」という求人需要と「働きたい」という供給がバランスします。仮に6000万人の労働者の中で一番安い賃金の人が950円のときに需給が均衡するとします。これが自然状態です。

 ところが政府がそれではいけないと考えて最低賃金を1100円に設定します。すると何が起きるかというと「雇いたい」という求人が減少します。これが最低賃金のひとつめの副作用です。

第71回中央最低賃金審議会が発表した「令和7年度地域別最低賃金額改定の引き上げ額の目安」よりダイヤモンド・ライフ編集部作成

 最低賃金を上げると求人が減ります。そのことでどのような問題が起きるのでしょうか?

 いまの日本経済の状況としては人手不足のほうが問題です。ですから求人が減ってもそれが失業の増加にはつながらないでしょう。それよりも大きな影響は、最低賃金が1100円になることで人を雇わない職場が増えることです。

 結果として職場に起きることは労働強化です。「いまいる人員でもっと働かないと仕事がまわらない」ということになるのです。

 建設的に言えば「いまいる人員でもっと職場の生産性を上げるためにはどうしたらいいのか?」を考えることになります。それが大企業が運営する小売り飲食の職場であればセルフレジやネコ型配膳ロボットを導入することでDXを引き起こすような変化が起きるでしょう。

 問題はそういったDXの知識も投資余力もない零細な職場です。人の頭数は増えず、給料は最低賃金に貼り付いて、ひたすら作業量だけが増える状況が生まれます。

 つまり「最低賃金上昇によって求人数が減る」という経済学の理論から予測されるこれから起きることは、これまでよりもただひたすら仕事がきつくなるという未来です。中小零細の職場で働いている人は、まず最初にこの「労働強化の闇」を経験することになるでしょう。

【副作用2】

中小零細の倒産が生む「サプライチェーンの闇」

 最低賃金上昇の二番目の副作用としては、最低賃金を上げることによって限界企業の倒産が増えるという「経済学的なメリット」が引き起こされます。

 倒産のどこがメリットなのかと思うかもしれませんが、そもそも最低賃金ぎりぎりでも利益がほとんど上がらないような企業は、経済学の理論としては市場から退出して新陳代謝が起きたほうが、経済発展につながると考えるのです。

 この理論、マクロ経済全体で考えると合理的な理論かもしれませんが、この新陳代謝は日本経済のミクロで見ると問題を引き起こします。というのは、最低賃金の上昇についていけずに人手不足倒産を引き起こすような零細企業が、日本経済の中でコアな役割を果たしていることが多いからです。

 たとえばエッセンシャルワーカーが最低賃金近辺で働いている重要な業種が介護です。介護事業の料金は介護報酬で決められるのですが、3年に一度の改定を経てこの10年の介護報酬の引き上げ率は6%強でしかありません。一方で最低賃金の引き上げ幅は10年で約40%と急上昇していますから、介護業界の零細企業はそろそろ息の根を止められそうです。

 おなじような動きが保育所、町の飲食店や小売店にも広がるでしょう。それだけでも問題ですが、さらに大きな問題を引き起こすのが製造業の零細の破たんです。

 なかなか給料を上げられない町工場、下請け中心の加工業といった製造業の零細企業が、日本経済のサプライチェーンにおいて実は重要な役割を果たしているケースがあります。

 そういった重要な企業がなぜ給料を上げられないかというと、大企業の購買部門が下請け企業を不当に安く買い叩くことが常態化しているためです。

 社会問題になったケースとしては、日産自動車が部品メーカーへの支払額を割戻金名目で30億円以上不当に減額させたケースや、王子ネピアが下請けへの発注を一方的に取り消して発注数量の3割の受け取りと支払いを拒否したケース、シャトレーゼが委託した包装資材を受け取らないなどの理由で下請法違反で勧告されたケースなどがあります。

 こういったひどすぎるケース以外にも、大企業による下請けいじめは山ほど存在するのですが、公取委の体制が小さいせいで見逃されているのが実情です。

 そこで、こういった構造の中で下請けの零細企業が倒産してしまうと何が起きるかというと、サプライチェーンの混乱です。大企業側が発注すれば当然スケジュール通りに入ってくるだろうと想定している中間材料や包装材、部品が、4次、5次下請けの倒産で急に入ってこないことが判明するような混乱が起きるでしょう。

 現実にはその代替になる取引先が探されることになります。その時になってようやく大企業は取引価格の値上げを認めることになります。

 サプライチェーンの混乱が一時的な問題だとすれば、長期的な課題はコストの上昇です。下請けいじめのリストで公表される企業のサプライチェーンの先には、消費者に安い価格で商品を提供している大企業がラスボスとして君臨します。長期的にはわたしたちはこの影響を物価の上昇として実感することになるでしょう。

【副作用3】

アンダーグラウンド需要が生む「グレーゾーン労働の闇」

 最低賃金引き上げについて経済学の理論上の3つめの副作用は、違反労働の増加です。先述したように最低賃金の引き上げは労働市場の需給のバランスを壊します。

 すると市場には「人を雇いたいのに雇えない企業」と「働きたいのに働き口がない人」が出現します。そこで労働違反が増えることになります。

 アメリカで経済学を学ぶと、こういったケースの典型例として教えてくれるのが不法移民の雇用です。アメリカでは中小の工場や町の小売店や飲食店、ハウスメイドに至るまでありとあらゆる場所で最低賃金よりも安い賃金で働いてくれる労働力が存在します。

 日本でも先日の参議院選挙で外国人問題が大きな争点となったように、解体などの現場で不法移民が違法な工事を行うような事例が増え始めています。

 一方でより大きな社会問題を引き起こすのは、日本人によるグレーゾーン労働の拡大かもしれません。

 これは一概に問題とは言えない話でもあります。そもそものところから解説しますと、最低賃金は従業員に対して適用される制度であって、業務委託には適用されません。

 わかりやすい典型例がウーバーイーツです。ウーバーイーツの配達員は従業員ではなく業務委託の自営業者です。一生懸命働けば時給は2000円を超えますが、ぼんやりしていると時給は最低賃金を下回ります。

 しかし、たとえ自営業者の実質的な時給が最低賃金を下回ったとしても、それは自己責任というのが日本の法律です。

 こういった仕事が業務委託として法律的に認められる条件は、雇用主が労働に対して具体的な指示を出さないことです。ウーバーイーツの場合、配達員はウーバー社から指示されて配達するわけではなく、プラットフォーム上に表示された条件のいい配達案件を自分で選びます。飲食店からも直接あそこに運んでくれと頼まれるわけでもない。だから業務委託の条件が成立しています。

 さて、最低賃金がここまで高くなってくると、こういった業務委託の領域が増える可能性があります。

 たとえば私もそろそろシルバー人材と呼ばれる日が近づいていますが、65歳から75歳ぐらいまでの高齢者が気軽に働けるようなパートタイムの仕事は、この先、最低賃金の上昇に伴って大幅に減っていくと予測できます。求人需要自体が減るからです。

 このような状況で発展するのは、第一にタイミーのようなスキマバイトでしょう。最低賃金が上昇すると店舗ではフルタイムのシフト要員を減らさざるを得ない状況になります。ですからピーク時だけとか、シフトに穴が開いた時間だけとか、隙間時間をスキマバイトで埋めるオペレーションを増やそうと考えるのは必然です。

 ちなみに、最低賃金関連としてはタイミー株への投資は面白いと思います。最低賃金は今後も上昇するでしょうからスキマバイト需要も成長が見込めます。俗に「国策に売りなし」という株式投資の格言がありますから、心にとめておくといいかもしれません。ただあくまで投資は自己責任で。

 さて、話を戻します。タイミーによるシルバー人材と企業のマッチング需要はこれから増えますが、グレーゾーンとして「業務委託による飲食店のサポート」のような仕事も増えるかもしれません。

 ウーバーイーツとは違い、飲食店がフロアスタッフのような仕事を業務委託で依頼すると、それは脱法行為に認定される可能性があります。しかし、もし高齢者の飲食コンサルタントを雇うのだったらどうでしょう?

 飲食店が忙しいランチタイムは、高齢者にとっては暇な時間です。そこでコンサルタントとして雇ってくれる飲食店にわたしのような人間が業務委託ででかけるわけです。

 飲食店の店長さんは、「人手が足らないのでお店がまわっていないんです」と悩みを打ち明ける。すると、わたしは、「生産性のボトルネックになっているのがホールスタッフの不足ですね。わたしが解決しましょう」と言って、ホールの仕事に入ります。

 しばらくして店長さんが、「お皿が足りなくなりそうです」と言うので、わたしが、「先回りして回収したお皿を食洗器にセットするといいですね。わたしがやりましょう」と言って厨房のサポートにまわります。

 わたしはコンサルタントなのでお店の生産性を上げるのが仕事です。とはいえ、そのときの私が仮に、引退して暇だったとしたら?毎月2万円でこの仕事を引き受けて、週3日ぐらい、お昼が近づくとお店に現れてお店を手伝って、ランチタイムが終ったらまかないの料理を食べさせてもらう生活は、生活に余裕のある高齢者にとってはいい仕事かもしれません。

 仮に時給で計算すると500円ぐらいになるとします。しかし私は「別に業務委託で儲けなくてもいいや」と思っていたとしたらどうでしょう?

 引退して毎日家で過ごすのは気がめいるとします。この飲食店に顔を出すと、店長やスタッフ、常連のお客さんなど若い人たちと会話ができますし、なんとなく頼られる満足感も得られます。それで2万円のお小遣いがあれば妻に内緒で贅沢もできますよね。業務委託でこういった飲食店コンサルタントを始めるのは、ある程度余裕のある高齢者にとってはいい話かもしれません。

 わかりやすい例として飲食店を挙げましたが、他にも経理経験者なら経理処理コンサルタントができますし、元保育士の方がお留守番代行業を始めることもできそうです。マンションや商業施設の管理業務や、清掃など、業務委託で請け負うことができそうな隙間仕事は、考えれば考えるほどたくさんありそうです。

 場合によっては今後、ウーバーやタイミー、パソナといった企業がこういった領域へ参入する可能性すらあるかもしれません。制度の大幅な変更は新しい需要を生むものです。

 これは引退した高齢者の立場でみればいい話ですけれども、マクロ経済で見た場合はアメリカの不法移民によるダンピング(安売り)労働と同じ結果を生みます。行政の実際の対応によっては高齢者が時給600~800円で偽装請負を行うような事例が増えて、そのことによって若い労働者が最低賃金でも仕事を探すことができない未来がやってくる可能性すらあるかもしれません。

 さて、話をまとめます。最低賃金の大幅な引き上げは冒頭で申し上げたように、労働者にとっては吉報です。一方で経済学理論に基づくと、そこには3つの副作用が発生します。

 それらすべてが悪い方向に動いてしまうと、職場では労働強化や偽装請負が増加して、企業としては安く製品を販売できずに値上げラッシュにつながってしまいます。結果としては、生活の実感として以前よりもずっと暮らしづらいと感じる世の中が生まれるかもしれません。

 政府は2020年代の間に最低賃金1500円を目指したいと考えていますが、そのような急激な上昇は必ず「闇」を伴います。くれぐれも副作用には気をつけたほうがいいと私は思います。