あなたの元にもやってくる「税務調査」のリアル

(イラスト:奈良裕己)

10人に1人が相続税の課税対象になる大相続時代。「わが家に金目のものはない」と油断していると、とんでもない相続税が発生することがある。『週刊東洋経済』8月9日・16日合併号の特集は「知らないと損する相続」だ。事前に戦略を立てていれば、「そのとき」に慌てずに済む。

日本の相続税は遺産が1億円を超えれば40%、6億円を超えれば最高税率55%が課される。「世界一高い」ともいわれる税率を前に、多額の生前贈与や不動産投資など節税に励む資産家も多い。が、税務署が目を光らせているのは富裕層だけではない。「あなた」のことも見ているのだ。

【図表】相続税「税務調査」の実施概要

5年前の夏のある日、都内に住む会社員、田中聡子さん(仮名・40代)の携帯電話が鳴った。出てみると「〇×税務署ですが、伺いたいことがある」と言う。

不動産会社を経営していた田中さんの父親は、莫大な借金を残して他界。田中さんは父親が所有する不動産を何とか処分するなどして借金を返済した。残った財産は4170万円。母親と田中さん2人の基礎控除を考慮すれば課税ラインの4200万円より30万円少なく、相続税の申告をしなかった。

「税務署から電話がかかってきたのは父が亡くなって2年以上過ぎてからだった。調査官が2人、家にやってきて、父が兄弟を受取人にしていた生命保険は相続財産に当たり、それを加えると課税ラインを超えると言われた。結局、申告を行って母親が10万円、わたしが45万円納税した」(田中さん)

「無申告」を積極的に調査

これだけ納税額が低くても税務調査は入る。背景には、国税庁が「無申告」の調査に力を入れていることがある。

2015年以降、基礎控除額が大幅に圧縮されて相続税の課税ラインが引き下げられ、課税対象者(被相続人数)は5万人から一気に10万人を超えた。これにより、課税ラインを超えても申告しない相続人が増えたとみられる。国税庁は無申告を「自発的に適正な申告・納税を行っている納税者の税に対する公平感を著しく損なう」として積極的に調べているのだ。

もちろん、富裕層にはそれ以上に税務調査は入る。

中部地方の、ある建設会社社長は子供と孫の計5人に非課税となる1人当たり110万円の生前贈与を20年続けた。移転した額は1億1000万円。2000万円に上る相続税を節税したつもりだった。しかし社長が亡くなり、遺族が相続税の申告を終えると、程なくして税務調査が入った。この税務調査を担当した元調査官が明かす。

「子供と孫の預金額が大きかったため銀行に調査に入ると、定期預金の継続時に印鑑を押し間違えていたことがわかった。5つの印鑑が実印のように複雑で、ある子供の口座の証書に押印すべき印鑑のところに、別の子供の印鑑を押していた。これは社長が5人分の通帳を1人で管理して入金していて、贈与の実態がなかったことを示す典型的な証拠。子や孫の預貯金は故人の財産として課税した」

税務署の調査官は、遺族の口座の印影まで調べるが、それは故人の財産状況を把握し、ある程度メドをつけたうえでのことだ。

恐るべき下調べで、実地調査に入った事案の84%で申告漏れが指摘されている(撮影:尾形文繁)

恐るべき情報収集力

国税庁は日々、個人財産の情報収集を続けている。1つは所得税などの課税情報、もう1つは「法定調書」の収集だ。

法定調書とは、さまざまな法律で提出が義務づけられた取引記録であり、給料・退職金・利子・配当・不動産取引・生損保、そして国外財産調書など実に63種類に上る。

国税庁は、収集した個人財産情報を「KSK(国税総合管理システム)」に蓄積している。自治体から死亡届と固定資産関係書類が送られてくると、まずKSKのデータを確認し、故人のおおよその財産を把握。各地の税務署は、この個人情報を踏まえて相続税の申告書を精査し、申告漏れがあると見込めば税務調査に入る。

税務調査が入るのは、申告書の提出から1~2年後というのが標準だ。税務署は年が明けると確定申告の受理で忙殺され、3月にその山場を越えた後、相続税申告書の精査を始め、税務調査に入る対象を選定する。7月の人事異動を経て、調査官が一斉に調査に入る。

税務調査は現在、2種類ある。1つは、文書・電話または来署依頼による「簡易な接触」。もう1つが、申告者の自宅を訪問(臨宅)する「実地調査」だ。

23年度、簡易な接触は1万8781件、実地調査は8556件あった。申告から2年後に税務調査に入るとして、21年度の相続税申告件数は約13万4000件。簡易な接触と実地調査を含めれば、申告者に調査が入る割合は20%に上る。決してひとごとではない。

税務調査は忘れた頃に訪れるため、実際に経験した人からは「精神的にも金銭的にも大変な負担となる」との声が漏れる。

税務調査に入る「優先順位」

前述のとおり無申告者などには納税額が低くても調査は入るが、中心はやはり遺産の多い場合だ。

少し古いものだが、某地方国税局が作成した部外秘の「資産税事務実施要項」が筆者の手元にある。資産税(相続税、贈与税など)の税務調査の目安について記したもので、「実地調査基準」には相続財産が「2億円以上は入る」と明記されている。しかも実地調査に入る候補は「A~Eの5段階にランクづけする」と書かれている。

「税務調査は税務署ごとに行われるため、人員や管内在住者の所得状況によって多少異なるが、相続財産がおおむね2億円を超えれば税務調査が入る確率は高くなる。5段階のランクで、見込みの増差(税務調査に入って取れる税額)などを勘案して、税務調査に入る優先順位をつけている」(税務署調査官出身の税理士)

税務調査はこうした見込みをつけて行われるが、苦戦しているものもある。1つが海外資産だ。

日本では、100万円以上の海外送金は銀行が税務署に報告し、5000万円以上の海外資産を持つ人は、毎年、本人が税務署に申告する義務がある。OECD(経済協力開発機構)加盟国は、非居住者の口座情報の共有に努めている。それでも資産の捕捉はハードルが高く、23年度は947件の実地調査を行い、申告漏れを指摘できたのは168件(18%)だった。

もう1つが非上場株式の評価だ。日本の非上場企業数は300万社を軽く超えるが、相続人はあの手この手で評価額を下げて申告する。これに対して国税庁は「伝家の宝刀」と呼ばれる財産評価基本通達6項を適用して課税しようとする。が、このところ総則6項は乱発気味で、裁判では国税側の敗訴が続いている。

一方、大阪では昨年、不動産会社社長の遺族が、約9億円の申告漏れを指摘されたことが報じられた。社長は複数の金融機関で妻や子供名義の口座を開設し、財産を移していたという。ここまで露骨でなくても、配偶者や子供の名義の預金で、原資は故人であるとして課税対象となるものを「名義預金」と呼ぶ。夫が妻名義の口座に給料を振り込むなど形はさまざまだが、税務署は名義預金を見逃さない。

23年度、実地調査に入った8556件のうち、約84%に上る7200件で申告漏れが指摘された。つまり実地調査が入れば、ほぼ間違いなく課税されるということだ。この数字が国税庁の情報収集力と、税務署調査官の高い調査能力を如実に物語っている。