スケート団体追い抜き五輪初メダル、23歳の小平奈緒と「私たちで引っ張る」誓った穂積雅子
[冬の記憶]スピードスケート女子 穂積雅子
アスリートが自身の五輪を語る「冬の記憶」。2010年バンクーバー五輪スピードスケート女子団体追い抜き(チームパシュート)で日本は史上初の銀メダルに輝きました。金のドイツとの差はわずか100分の2秒。チームの主力だった穂積雅子さん(38)がスケート靴の刃より短い差で敗れた熱戦を振り返りました。仲間には後の金メダリスト、小平奈緒さんや当時15歳の高木美帆選手らがいました。(聞き手、東京本社運動部・畔川吉永)
――中長距離種目のエースだった穂積さんにとって初めての五輪。個人種目の3000メートルで6位、5000メートルで7位と入賞し、5000メートルの2日後にパシュートが始まりました。
全力を出し切った後だったので、脚に疲労がありました。個人種目は終わったので、とにかくパシュートにコンディションを合わせようと思いました。3人1チームで2400メートルを滑るのですが、同じスケートでも長距離とは全然違いスプリント能力も必要になります。練習の仕方も変わるし気持ちの切り替えも必要でした。
15歳の高木美帆もメンバー入り、同部屋に
――高木選手が15歳の最年少で代表入り。「スーパー中学生」はパシュートのメンバーにも抜てきされたことで話題になりました。
驚きました。五輪前年の12月に行われた代表選考会で1500メートルを制して「この子すごい、化け物みたいな子だ!」という印象が私の中にありました。バンクーバーの宿舎では同部屋だったのですが、7歳下の子になんて話したらいいんだろうなぁと思っていたら、年齢に合わないくらいしっかりしていました(笑い)。当時から本当にいろいろなことを考え、運動だけでなく勉強もできていたし……。
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バンクーバー五輪のスピードスケート・女子団体追い抜きで銀メダルを獲得した(左から)田畑真紀さん、小平奈緒さん、穂積雅子さんの滑り(2010年2月27日)
――高木選手はパシュートで出場機会はなかったのですが、表彰式後3人の先輩からメダルをかけてもらった姿が印象的でした。
個人種目でもふるわず、五輪の雰囲気に飲まれてしまったというところが美帆の、世界でのスタートになったと思います。その後、ワールドカップのメンバーに入りましたが、次の2014年ソチ五輪に行けず悔しい思いをした。でもオランダ人のヨハン・デビットコーチの指導などもあって何かが変わり、そこからはもう無敵ですよね。
リーダーは田畑真紀
――当時は同じ23歳の小平奈緒さんもパシュートでともに戦いました。
2006年トリノ五輪の後のワールドカップでは別のメンバーで滑ることが多く、短距離タイプの奈緒がチームに入ってきたのは五輪シーズンになってからでした。本番では私たちで引っ張っていこうねと話していました。
――年長の田畑真紀さんがリーダーでした。
そうですね。周りのみんなを気にしながら丁寧に声がけもしてくださいました。
――当時、日本は世界ランクの上位で、五輪では初戦で韓国、準決勝でポーランドに危なげなく勝利しました。
その2試合は実はあまり覚えていなくて、もう決勝のドイツ戦のイメージだけがあります。
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バンクーバー五輪のスピードスケート女子団体追い抜きで銀メダルを獲得した(右から)小平奈緒さん、高木美帆選手、穂積雅子さん、田畑真紀さん(2010年2月27日)
――スタートから穂積さんが(負担の大きい)先頭で引っ張り、その後交代で入れ替わっても先頭にいる時間がもっとも長い役回りでした。
私が一番多く先頭で周回を滑るようにということを監督からも言われていました。私はスロースターターなのですが、次の田畑さんが先頭に立って徐々にペースを上げて、奈緒がスピードを維持し私も離れないように。そして私がまた先頭で再びペースを維持していく、という作戦でした。持久力に関しては五輪当時、私が一番強かったので先頭で滑る回数が多かったです。
「金」スルリ
――日本は先行逃げ切りのタイプでした。
そうですね。ラスト1周にどれだけスピード落とさず行けるか(がポイント)でした。
――ドイツ戦は狙い通り。途中の周回ラップでは1秒以上リードしていましたが、最後の2周で差をグッと縮められました。3分2秒84でゴールしましたが、ドイツに逆転されてのフィニッシュでした。
最終周は私も脚がいっぱいでスピードが落ちました。後ろの田畑さんや奈緒に体を押されるくらいで……。最後はもうガソリン切れみたいな感じになりました。ラストの直線は無我夢中。(隊列を組んでいた)3人が横に並んでゴールするというプランは守りましたが、ほんのちょっと及びませんでした。
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銀メダルを獲得し、日の丸を手にスタンドの声援に応える左から穂積雅子さん、田畑真紀さん、小平奈緒さん、高木美帆選手
電光掲示板を見た瞬間に「あー負けた」と。本当に悔しかったですが、その後はスタッフや周りの選手から「おめでとう」、「メダル取れて良かったじゃん」みたいなことを次々と言われて少しずつうれしくなりました。
――フィニッシュラインではスケート靴の長さほどの差もありませんでした。優勝したドイツは3分2秒82で0秒02差。紙一重でしたが勝者と敗者が生まれました。
そうなんです。負けは負けなんでしようがないんです。水泳や陸上と同じでわかりやすいですよね。スピードスケート競技の魅力だと思います。(表彰式では)ドイツの選手とも互いに「おめでとう」と言い合えてよかった。気持ち的にはすっきりしました。
現在は2児の母、子どもに指導も
――ベテランと若手選手がうまくかみ合ったドイツは強かったですか。
ドイツは全員がオールラウンダータイプの選手で(登録していた)4人を決勝まですべて起用して戦略的にもうまかったです。
――対照的に高木選手が起用されず3選手で戦った日本。その後の五輪では4人をうまく使い分けて金メダルを獲得しました。穂積さん自身は4年後のソチ五輪に出場し、現役を引退しました。
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バンクーバー五輪のレースを振り返る穂積雅子さん
バンクーバーが終わった後もワールドカップでパシュートを滑る機会あって、その時は選手同士が(隊列が乱れて)ちぎれちゃったりとか、メンバーの脚が合わず、上位に食い込めなかったということもありました。今振り返るとあの時、田畑さんと奈緒、美帆と五輪の舞台で一緒に戦い抜いて2位になれたことはすごく良かったし、かけがえのないことだと思います。
――来年のミラノ・コルティナ五輪は高木選手にとって集大成の五輪となりそうです。
彼女が狙っているのは1500メートルのタイトル。世界記録も保持し、トップレベルの選手ですが、オランダなど若手選手も台頭し、以前ほどダントツではなくなっていますし、昨季の世界選手権でもこの種目の選手層が厚いことが分かりました。なんとか、ライバル選手をかわして優勝してほしいですね。
◇
2014年4月の現役引退の記者会見で「スケートは私の人生のすべて。何らかの形で携わりたい」と話した穂積さん。2児の母親となった現在は地元・北海道千歳市で、自分自身がかつて所属したスピードスケート少年団の子供たちを指導しています。「スケートを含めて冬季競技をする子どもが年々少なくなっています。少しでも普及の役に立ちたいと思っています」と柔らかい表情で語っていました。