ランボルギーニ ミウラは、スーパーカーの始祖にして完成形だった【スーパーカークロニクル・完全版/001】

伝説として始まり、革新へと至ったスーパーカーたち。1970年代の懐かしいモデルから現代のハイパースポーツまで紹介していこう。今回は、ランボルギーニ ミウラだ。

ランボルギーニ ミウラ(LAMBORGHINI MIURA:1967〜1973)

前後カウルはレーシングカーと同様にそのまま開く構造。取り外してのメインテナンスを前提にしているかのようだ。

スーパーカーの起源には諸説あるが、ランボルギーニ ミウラによってその歴史の幕が開いた、といって異論のある人は少ないだろう。1966年のジュネーブ モーターショーにプロトタイプが展示された。ミウラという名は、スペインにあったという伝説の闘牛牧場の名に由来する。美しいクーペ ボディを手がけたのは、鬼才と呼ばれたマルチェロ・ガンディーニ。

ミウラが発表された前年、1965年のトリノ ショーに、鋼板で構成されたシャシのリアミッドにV型12気筒のDOHCエンジンを横置きに搭載した「TP400」と呼ばれるベアシャシが展示された。当時、エンジンをコクピットの直後に搭載するミッドシップは一部のレース用マシンしか採用していない特殊なレイアウトだった。これにボディを架装したミウラが、スーパーカーとして注目されたのは当然のことだった。

だが、お披露目はしたものの、クルマの熟成には約1年を要している。ミッドシップという特殊な駆動形式の市販車というだけでなく、サスペンションのセッティングにも時間がかかり、パワーユニットにも細かな問題が発生した。お披露目から1年後の1967年、初の市販モデルとなったのがP400だ。スタイルの美しさは格別で、FRが当たり前だった時代に新風を吹き込んだと絶賛された。

P400から4年をかけてP400SVまで進化した

1969年にはP400Sに進化。エクステリアの変更は微少だが、圧縮比のアップなどで350psから370psまで最高出力を向上。

エンジンはウエーバー製の3チョークキャブレター×4基で350psを発生。車重は1075kgで最高速度は290km/hに達した。ただ、前42:後58の重量配分、前後同サイズのタイヤなどがハンドリングを阻害し、リアがブレイクすると制御困難に陥ったとも言われる。それでもアウトストラーダ(イタリアの高速道路)で250km/h巡航をこなす実力があった。

1969年に登場したミウラP400S(Sはスピント=チューニングを表す)は、エンジン燃焼室形状の改良による圧縮比アップ、インテークマニフォールド径の拡大といったチューニングにより最高出力は370psまでパワーアップしている。居住性にも配慮し、パワーウインドーを標準装備するほかエアコンも装着可能となった。オーバーヘッドコンソールも装備され、約140台が生産された。

ミウラは、1台生産するごとに改良されていったというほど、問題解決には時間がかかったといわれる。そうした意味で、5年をかけて熟成し、1971年のジュネーブ モーターショーで発表された「ミウラP400SV」が、ミウラの完成形に最も近いといえるモデルかもしれない。パワーユニットは公称385psまでチューンされた。

また、ミウラをベースに作られた実験車両が「J(イオタ)」というのはスーパーカー好きには有名な話。P400をベースにイオタ レプリカのSVJに改装し、レカロ製シート、BBS製ホイール、ウルフ仕様カウンタックのリアウイングなどを装着したワンオフモデルがミウラSVRだ。レーシングカーの技術を市販モデルに落としこんだミウラの設計思想は、スーパーカーの基本形態として定着していく。

優美なデザインの秀逸さが際立つリアビュー。写真のP400では以降のミウラに比べてテールランプが小さいなどの特徴がある。

●全長×全幅×全高:4390×1780×1100mm

●ホイールベース:2504mm

●車両重量:1305kg

●エンジン種類:60度V12 DOHC

●総排気量:3929cc

●最高出力:385ps/7850rpm

●最大トルク:40.7kgm/5750rpm

●燃料・タンク容量:有鉛ハイオク・106L

●トランスミッション:5速MT

●駆動方式:横置きミッドシップRWD

●タイヤサイズ:前215/70VR15、後225/60VR15