わずか15歳、大横綱のやしゃごが本格デビュー 「後の先」に憧れ、歩み始めた墨田区出身・山野辺の土俵人生
〈ごっちゃんです! 東京のご当所力士〉山野辺(序ノ口)
大相撲夏場所で本格デビューを果たした。東序ノ口13枚目の山野辺(出羽海部屋)は、第31代横綱の常ノ花のやしゃご(ひ孫の子)でもある東京都墨田区出身の15歳。中学卒業後に角界入りし、3月の春場所の前相撲を経て、今場所で初めて番付に名前が載った。高祖父が務めた番付の最高位ははるか遠く、土俵人生は始まったばかりだ。(対比地貴浩)
◆先場所の前相撲で2勝、最も成績優秀な新序一番出世
笑顔で写真撮影に臨む山野辺=21日、東京・両国国技館で(對比地貴浩撮影)
山野辺 まだ髪が短いので、びん付け油はつけていません。お相撲さんにはおなじみの雪駄(せった)を許されるのは三段目からで、いまは素足に下駄です。先場所の前相撲で2勝を挙げ、最も成績優秀な新序一番出世となりました。
【4歳から相撲を始めた。理由は「格好良いから」。そんな憧れを抱かせたのは、常ノ花とは別の横綱だった】 本場所で相撲を取る山野辺=21日、東京・両国国技館で(對比地貴浩撮影)
◆「顔は似ている」と…どう思いますか?
【期せずして、高祖父と同じ大相撲の道を歩むことになった。常ノ花は現役時、史上初めて2桁に乗せる10度の優勝を達成。引退後は親方として日本相撲協会の理事長にまで上り詰め、戦後の大相撲の復興を支えた功労者でもある】 1930(昭和5)年5月、夏場所で土俵入りする常ノ花(資料写真)
【いまだに角界で語り継がれる偉大な存在。ただ、亡くなったのが1960年とあって、どんな人物かを直接知る機会は少ないようで】 山野辺 常ノ花と接した人に会ったことは、ほとんどありません。師匠ですら「実際に見たことはない」と話していたぐらいですから。ただ写真は残っているので、兄弟子から「顔は似ている」と言われました。みなさんは、どう思われますか?
◆高祖父も得意の押しが、手本にしたい
【自身はも高祖父と同じく、番付で最も下の序ノ口から第一歩を踏み出した。相撲の鍛錬はもちろん、激しいぶつかり合いに耐える体づくりにも奮闘している】 取組前に仕切る山野辺(左=21日、東京・両国国技館で)と横綱常ノ花(資料写真)
【入門していなければ、高校1年の年。ときどき、学園生活に思いが及ぶときもある】 山野辺 中学の同級生とは連絡を取っています。たまに、高校に行っていたらどんなだったかな、と。文化祭とか、体育祭とか、楽しいのかなと考えるときもあります。でも、いまは修業の身。大相撲の門をたたいて正解だったと言えるように、集中したいです。
【わずか15歳で飛び込んだ厳しい勝負の世界。だからこそ、対戦したい相手の存在が刺激になる】 山野辺 秀ノ山部屋の序二段、康誠さんと対戦してみたいです。165センチ、67キロと自分と同じ小兵。小学4年時に出場した相撲大会で、体重が2倍以上ある巨漢に対し、素早い身のこなしで粘った大熱戦の末に倒して、にわかに話題になった方です。胸を借りるには早く出世しないと。今年の目標は三段目まで上がって、幕下にも通用する力と体重を早くつけたいです!
山野辺 本名・山野辺力(やまのべ・ちから)。2010年2月17日生まれ。
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<ごっちゃんです! 東京のご当所力士>
大相撲では「江戸の大関より、故郷(くに)の三段目」と言われます。大阪、名古屋、九州の各場所では、郷土の力士が「ご当所」として特にひいきにされるのは、よく知られたところ。でも、東京では年3回も開かれるのに、力士自身も地元開催という感じがあまりしないとか。そこで東京出身で、かつ普段はなかなかメディアに登場しない幕下以下のお相撲さんを随時、紹介していきます。
取組前に仕切る山野辺=21日、東京・両国国技館で(對比地貴浩撮影)
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