中国で「抗日映画」が"興収550億円"の異例ヒット

旧日本軍の侵略を描いた映画『南京写真館』が中国でヒットしている。本記事では戦争と教育について考察していく(筆者友人撮影)
中国で、旧日本軍の侵略を描いた映画『南京写真館』(南京照相馆)が異例のヒットを記録している。7月25日に公開され、興行収入は8月22日時点で26.5億元(約548億円)を超えている。
【写真を見る】中国でヒットしている抗日映画『南京写真館』。作品の雰囲気はこんな感じ!
南京事件を題材にしたこの作品は、観客の涙を誘い、歴史の記憶を呼び起こすものとして評価された一方で、悲惨なシーンでは号泣する子どもが大勢いたようだ。
河南省で9歳の子どもが、鑑賞後に大切にしていた日本のアニメのカードをすべて破り捨てたという報道が、現地で物議を醸した。果たしてこれは、「記憶の継承」の成功なのか、それとも「恨みの再生産」なのか──。
本作の観客の4割以上は25歳未満で、若年層の共感を呼んでいるというが、これでは次世代への戦争記憶の継承はどうなっていくのか、私は複雑な気持ちを抱かずにいられない。
『南京写真館』は子どもに見せるべきか?
先日、中国で映画学を専門としている大学教授の友人が、『南京写真館』を子どもに見せるべきかどうかをめぐるショート動画を送ってくれた。動画に出演していたのは一般のネットユーザーで、感情に流されず理性的に分析していた点が印象的だった。
かつては抗日映画の表現に関する話題はセンシティブなものとして扱われていたが、現在はネットの発達によって、ある程度自由に議論できる雰囲気が醸成されつつある。
このショート動画には、さまざまなコメントが寄せられている。「子どもに歴史教育をすべきだ」という意見がある一方で、「この映画を子どもに見せたくない」という親の声も少なくなかった。
例えば、「私は自分では見に行かないし、子どもを連れて行くなんてもってのほか。昔、似たような映画を見てすごく怖かった記憶があって、悪夢まで見たことがある」というコメントもあった。
こんな冷静な意見もあった。「思い出すのは、2020年2月、新型コロナが中国で拡大したとき、日本から届けられた支援物資に添えられた言葉だ。武漢には『山川異域、風月同天』(山や川は違う土地にあるけれど、風も月も同じ空の下にある)、湖北には『岂曰无衣、与子同裳』(衣なきと言うなかれ、君と共に裳を着よう)、大連には『青山一道同云雨、明月何曾是两乡』(遠く離れていても、同じ山に同じ雨が降る。月は一つ、君と私の心を隔てるものはない)。80年前の日本の軍国主義と、今の日本の人々とは、まったく別の存在だ」。
私が先述の教授に『南京写真館』について意見を求めたところ、彼の視点は明らかに未来志向だった。
「この作品の上映を機に、再び反日的な空気が生まれている……。私が日中歴史ドキュメンタリーの制作で一貫してきたのは、苦難を過去のものとして記憶し、平和を守り、未来をこいねがう姿勢だ。
憎しみに囚われるのではなく、負の遺産を正の遺産へと転じたい。それこそが文明の本質だと私は思う」。中国のインテリ層の多くは同様の理性的な見解を抱いているようだ。
「恨みの再生産」を危惧している
歴史を語ることは、過去の悲劇を忘れないために必要な営みだ。とりわけ戦争の記憶は、加害と被害の両面から丁寧に伝えられるべきだ。しかし、感情を強く揺さぶる映像表現が、幼い子供にとってどのような影響を与えるかは慎重に考えなければならない。
さらに、戦争映画が観客の涙や怒りを掻き立てることで興行収入を上げる構造は、教育的価値よりも感情の消費を優先しているようにも映る。そこには「記憶の継承」と「恨みの再生産」の境界が曖昧になる危険がある。
もちろん、過去の加害を直視することは、日本にとっても避けてはならない課題だ。しかし、それは「憎しみを与えること」ではなく、「共感と理解を育むこと」であるべきだ。子供の涙が「怒り」や「拒絶」に変わるとき、教育の本質は失われる。
『南京写真館』をめぐる議論は、私たちに問いを投げかけている。次世代に、どのような姿勢で歴史を伝えるのか。子供の涙が、恨みの再生産につながらないために──記憶の語り方をもう一度見つめ直す必要があるのではないか。
筆者も幼少期に多くの抗日映画を見た
1970〜80年代の中国抗日映画は、教育や啓蒙、そして国民統合の手段として機能していた。学校では「歴史を学ぶ窓」として活用され、集団記憶の形成にも大きく寄与した。
子どもの頃、私は数多くの抗日映画を見た。なかでも強く印象に残っているのは『小兵張嘎』(1963年)だ。子どもの視点から描かれる抗日戦争の物語で、主人公の少年兵は八路軍(日中戦争時に華北で活動していた中国共産党軍の通称)に加わり、敵と巧みに渡り合う姿は超人のように見えた。
しかし、その映画体験は思いがけない影を落とした。大人になってから、来日当初の私はテレビで日本国旗を見るたび、思わぬ不安に襲われていたことに気がついたのだ。抗日映画の中で日本国旗は「侵略」「残酷」といった概念と結びついており、恐怖の象徴として刷り込まれていたからだ。
その印象を塗り替えてくれたのが、日本の新年に行われる二つの国民行事、「新年一般参賀」と「箱根駅伝」だった。
初めて多くの日本国旗を目にしたのは、ある年の1月2日。皇居前には早朝から長い列ができ、参賀者たちが小さな日の丸を手に静かに並んでいた。その光景に、国旗と人々の心のつながりを感じた瞬間から、私の中で「日の丸」は変わり始めた。もはや映画の中の威圧的な象徴ではなく、人々が自然に触れるものとして近しい存在になっていった。
箱根駅伝への思いも深い。毎年欠かさず、テレビか現地で観戦する。沿道では、大勢の人々が小さな国旗を振りながら声援を送る。その熱気に包まれながら、気づけば自分の手にも同じ旗が握られていた……。
予期せぬトラウマが、数年の歳月を経てようやく癒えた。小さな国旗をきっかけに、日本の国や人々を少しずつ理解し始めることができた。映画がもたらした戦争の記憶も、ようやく自分の中で再認識できるようになったのだ。
戦争を語る“新しいカタチ”として私が提案したいこと

グアムの太平洋戦争博物館(筆者撮影)
戦争と平和への問いは、決して8月だけの記憶ではない。揺れる国際情勢の中で、その観念は日々の暮らしに浸透している。戦争の記憶をいかに次世代へと手渡すか──それは、日中両国が共に担うべき課題だ。私は未来に向けて、日中共同の戦争博物館の開設を提案したい。
数年前、私はグアムの太平洋戦争博物館を見学した。博物館の屋根には日米両国の国旗が掲げられ、館内には戦時中に使用された日米の軍服・戦車・武器や軍人の写真、恋の手紙などが展示されている。
この戦争博物館には日本とアメリカの両方の思いが込められている。因みに、ドイツとポーランド、フランスとドイツなど、かつて戦った国々が共同で歴史博物館や記念館を作った例もある。

グアムの風景(筆者撮影)
いつか、日本と中国の国旗が共に舞う共同の戦争博物館ができたらと祈願せずにいられない。場所は南京。現在の南京は「博愛の都」とも呼ばれ、文学や芸術が盛んな都市だ。
将来、日中共同戦争博物館は記憶の共有と対話の場になり、両国がそれぞれの視点から戦争の記憶を展示し、過去の苦しみや犠牲を認め合うことで、歴史の一方的な語りを超えた「共感の空間」が生まれる。

(写真:xiaosan / PIXTA)
子どもに“未来への希望”を感じさせたい
実は、日本と中国には、すでに地域的な民間戦争博物館が多数存在している。これらの施設は、戦争の記憶を伝えるために設立され、地域の歴史や個人の証言を中心に展示を行っているものも多い。
民間の戦争関連の博物館は、中国ではまだ数は限られているが、政府主導の論調とは異なる視点を提示する民間の記憶空間だ。例えば、四川省成都市大邑県安仁鎮にある「建川博物館」(2005年開館)は、民間人によって設立された大規模かつ多様な博物館群であり、戦争の記憶を中心に、災害、民俗、文化など幅広いテーマを扱っている。
日中の民間博物館が、民間の交流を育む場となれば、どれほど希望に満ちた未来が開けるだろう。たとえば、博物館を拠点に、両国の若者が共同で歴史を学ぶプロジェクトを立ち上げる。さらに、収蔵資料をもとに、戦争と和解をテーマにした芸術作品――映画や演劇などを日中共同で制作することも夢ではない。
両国の視点から戦争を描く芸術作品は、加害・被害、兵士・民間人、勝者・敗者という二項対立を超えた「人間の物語」が生まれるはずだ。「エンタメ+平和メッセージ」の新しい日中合作モデルになり得る。これらの作品は、子どもたちを悲しませるのではなく、未来への希望を感じさせるものとなるだろう。