「日本は水が豊富」と思い込む人が知らない"真実"

無限にあるかのように誤解される地下水, 地下水を「見える化」するという挑戦, 地下水の「見える化」で企業の現場が変わる, 企業と社会に問われる新たな責任, 「式年遷宮」が示唆するサステナブルな資源管理

水が豊富にあると思われがちな日本。しかし、地下水をめぐる現実を知れば、その考えが誤解であることに気づかされる(写真:Princess Anmitsu/PIXTA)

日本の水道料金は世界的に見ても安い部類に入る。梅雨の時期や秋の台風シーズンには例年のように大規模な水害が発生し、近年はゲリラ豪雨による浸水被害も頻発している。こうした状況から、「日本は水が豊富な国だ」と思っている人は少なくない。

【画像】地下水を「見える化」することで見えてきた“真実”とは?

しかし、これは大きな誤解である。それを象徴するのが、地下水に関する忘れられた記憶だ。

地下水の過剰利用は、日本国内でかつて深刻な社会問題を引き起こしてきた。昭和中期には、東京、大阪、名古屋などで地盤沈下が顕在化し、湧水の枯渇や塩水の侵入などが確認された。これらは、工業用水や生活用水としての地下水の過剰な揚水が原因であり、そのリスクは実証済みなのである。

無限にあるかのように誤解される地下水

地下水は、地中にあるがゆえにその存在は意識されにくく、しばしば軽視されてきた。なかには「無尽蔵に存在し、枯渇することはない」との思い込みで利用されるケースもある。だが前述のとおり、これは事実に反する。地下水は有限な資源であり、その持続可能な利用には明確な認識とマネジメントが求められる。

あまり意識されていないとはいえ、地下水は地域社会を支える公共性の高い水資源だ。地下水は簡便性(井戸から容易に得られる)、経済性(ほかの水源と比べてコストが低い)、恒温性(夏は冷たく、冬は暖かい)などの特徴を持ち、生活用水、工業用水、農業用水、さらには豪雪地域の消雪用水など、多くの用途に利用されている。

公的な利用では、水道水源に占める地下水(深井戸、浅井戸、伏流水を含む)の割合は約3分の1に達する。私的な利用も多い。病院やホテルなどによる専用水道の届け出件数は、2002年の88件から2017年には1934件へと急増した。

企業活動の基盤の1つは「安定した水供給」である。なかでも地下水は、工場など生産現場において重要な役割を担う。

かつて水を大量に消費してきたのは化学工業、鉄鋼業、製紙業などであった。だが、近年ではデータセンターの冷却水や半導体の洗浄水などにも大量の地下水が使用されるなど、テクノロジー産業が新たな水使用者として台頭している。

ミネラルウォーター産業も例外ではない。2024年度の国内生産量は502万9000キロリットルに達し、1982年の58倍にまで増加している。いずれも社会インフラを支える産業群であり、それをさらに支える地下水は「インフラのインフラ」ともいえる存在である。

世界に目を向ければ、インド北部やアメリカ・カリフォルニア州でも井戸の枯渇が深刻化。地域住民や産業との間で水資源をめぐる対立が生じている。

さらに近年、気候変動の影響により降水パターンは大きく変化している。豪雨と干ばつが極端化する中で、地下水の涵養量(水が地中に浸透し、地下水として蓄えられる量)も不安定になりつつある。従来の「年間を通じて安定して利用できる水源」という地下水のイメージは再検討を迫られているのかもしれない。

こうした状況を踏まえると、地下水がどのように利用され、どのようなリスクがあるのかを、科学的に「見える化」する必要がある。見えない資源を可視化しなければ、適切なマネジメントも意思決定も不可能である。「見える化」は、リスク管理、設備投資判断、説明責任の遂行といった多くの経営課題に対する出発点となる。

地下水を「見える化」するという挑戦

安定した水の供給が経済活動の根幹をなすという前提に立ち、地下水という「見えない資源」にいち早く対応を始めたのが、サントリーホールディングスから独立したWater Scapeという企業だ。同社は、地下水の「見える化」に特化したコンサルティング型サービスを展開している。

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Water Scapeの川﨑雅俊代表(写真:筆者撮影)

「水がなければ、モノは作れません。当たり前のようで、実は意識されにくい現実です。とくに地下水は見えないため、マネジメントの対象として認識されていないことも多い。見えなければ、管理もできないし、将来への不安も払拭できない。だからこそ『見える化』が必要と考えたのです」。そう語るのは、同社の川﨑雅俊代表である。

Water Scapeが提供するのは、地下水の使用状況や地域水循環の状態を科学的に分析・可視化する「地下水の健診サービス」だ。工場などで使用されている井戸の状態を診断し、設備の老朽化、水収支の過不足、外部要因の影響までを含めて多角的に評価する。

サービスは4段階で構成される。最初のステップは「初期診断」だ。ここでは企業が保有する過去の井戸データや使用実績などを整理・分析し、水の利用状況を棚卸しする。

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熊本地域で構築された地下水モデルによる地下水流れの可視化例(画像:Water Scape提供)

「人間でいえば健康診断。今までの記録を見ながら何がわかっていて、何がわかっていないのかを明らかにします」(川﨑氏)

次に行うのが、詳細な調査設計。地下水の水位や涵養量の推移を把握するために、現地での観測や流域単位での水収支のモデル化を行う。とくに同社は「外部要因(気候・地形・土地利用など)」と「内部要因(井戸管理・揚水量など)」の両面から現状を把握し、課題を洗い出すことに注力している。

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熊本地域の地下水位観測データの解析例。過去40年以上蓄積されたデータを分析することで、外部環境変化に対する地域の特徴を知ることができる(Kawasaki et al. <2023>: AGU Fall Meeting 2023, H31O-1674.を基に作成)

そのうえで得られた知見をもとに工場や地域での水利用を最適化するためのアクションプランを策定。必要に応じて、指標を設定し、モニタリングを継続することでPDCAを回す。

地下水の「見える化」で企業の現場が変わる

「診断を終えたお客様が、それだけで満足して終わることはほとんどありません。モニタリングしてほしい、設備の管理体制を見直したいといった声が出てきます。地下水という見えなかった存在が、見えるようになると、次に何をすべきかが浮かび上がってくるのです」(川﨑氏)

同社のサービスは、企業が社内外に対して「水リスク」への対応を説明するための材料を提供するという意味でも重要だ。経営層への水への投資説明、地域社会との信頼関係構築、投資家への情報開示といった場面でも、根拠に基づいた対話ができる。Water Scapeのサービスは、地下水を未来へ引き継ぐための「共通言語」を提供しているといえるだろう。

Water Scapeの地下水診断は、すでに複数の現場で導入されており、具体的な成果を上げつつある。なかには「使っていた井戸の負荷が高いことが明らかになった」「地下水のポテンシャルを初めて科学的に把握できた」といった声もある。

ある大手自動車メーカーは、既存の井戸の揚水能力が徐々に低下しており、中長期的な水確保への不安を抱えていた。Water Scapeの診断によって、地下水の使用状況と周辺環境の変化が科学的に可視化され、井戸設備管理の課題が明らかになった。

この結果を基に、同社は井戸の維持管理計画を見直すとともに、節水設備への投資判断を経営層に説明する根拠を得ることができた。「水サステナビリティー」の観点が、CSR(企業の社会的責任)に加え、事業継続に直結する要素として再認識された。

中堅規模の飲料メーカーでは、自社が使っている地下水についての知見が乏しく、増産に向けた意思決定に必要な判断材料が不足していた。Water Scapeの調査により、地域の水収支や地質構造から、現在の利用量に対して十分な水量余力があることが確認された。

同時に、気候変動に伴う降雪量の減少傾向が判明し、将来的なリスクに備えたモニタリング体制の強化も提案された。こうした科学的知見が、経営戦略と水マネジメントをつなぐ意思決定の基盤となっている。

企業と社会に問われる新たな責任

地下水を“点”として捉えるのではなく、それがどこから来て、どこへ流れていくのか──。そうした視点の広がりこそが、いま企業に求められている。

もともと森林水文学の研究者であった川﨑氏が強調するのは、「流域」という概念だ。流域とは、雨が降り注ぎ、地下を通り、川となって流れていく、一連の水の空間を指す。

企業が使っている地下水も、決してその敷地内で完結しているわけではない。山の涵養域から湧き出し、地下を通じて移動し、最終的には下流域の自然や人々の生活とつながっている。

つまり企業が地下水を使うということは、その流域全体の水循環の一部を引き受けるという意味でもある。「自社だけがよければよい」という考え方はもはや通用せず、地域全体の水バランスを踏まえた対応が不可欠となる。

その際にカギとなるのが、「ウォータースチュワードシップ」という考え方だ。これは、企業が単に水を管理するのではなく、「共有資源としての水を、地域社会と協調して持続可能に保つ責任を担う」姿勢を指す。

世界の先進企業では、水の使用量を減らすだけでなく、「使用量以上の水を地域に還元する」ウォーターポジティブという取り組みも始まっている。Water Scapeは、こうした国際的潮流とも接続しながら、日本の水利用にも新しい視座をもたらそうとしている。地下水をただの物理的資源ではなく、「見えないインフラ」として捉え直すことで、企業活動の根本にある自然との関係性を問い直している。

「式年遷宮」が示唆するサステナブルな資源管理

このような「水との新しい関係性の構築」には、テクノロジーだけでは不十分。必要なのは、人の理解と経験の継承である。

例えば伊勢神宮では、20年ごとに社殿を建て替える「式年遷宮」が1300年以上続いている。これは単なる建築物の更新ではない。職人の技術や素材の選定、森の手入れ、信仰の心までを世代ごとに受け継ぐ「知のサイクル」である。サステナブルな資源管理とは、技術とともに、文化と人を育てていく営みでもあるのだ。

川﨑氏も次のように語る。「流域全体で水のことを考えるには、1社だけでできることには限界があります。企業、自治体、住民、そして水を扱う専門家が、互いに知識や経験を共有できるような“共通言語”が必要なのです」。

地下水の「見える化」とは、単なる数字やモニタリングの話ではない。それは、企業が地域社会との接点を取り戻し、流域という広がりの中で、未来の資源管理をともに築くための第一歩なのだ。