「痩せたら付き合ってあげる」の言葉で過酷なダイエット…30㎏減、摂食障害も プラスサイズモデルが「自己否定」から抜け出せた”きっかけ”
「痩せたい」と思う小学生が増加し、親としては心配になるこの頃。プラスサイズモデルやエッセイストとして活躍する吉野なおさん。過酷なダイエットをしたのちに摂食障害になった体験を経て、見た目は一面的な価値観に過ぎないということに気づきました。どのように自身の体型をポジティブに捉えるようになっていったのか。お話をうかがいました。※<「痩せないとまずいことになるぞ」小学校の担任に言われて落ち込み プラスサイズモデル・吉野なおが語る“体型に悩んだ”過去>から続く
■過酷なダイエットで30kg減
――吉野さんが本格的なダイエットを始めたのはいつ頃ですか?
小中学生のころから体型について悩んでいて、そのせいで自分に自信を持てなくなっていました。本格的にダイエットをしたのは高校生のときです。好きだった人に「痩せたら付き合ってあげる」と言われたのがきっかけでした。
その人に出会うまでも恋愛でうまくいかないことが多くて。なかなか両想いになれないとか、街で友だちはナンパされるのに私は無視されるとか。「太っているからうまくいかないのかも」と感じることが積み重なっていたので、「痩せたら付き合う」と言われたことで「今度こそは痩せよう」と一念発起しました。
――どんなダイエットをされたのですか?
高校はお弁当だったので、毎日お蕎麦だけ。当時流行っていたカロリーゼロの商品を選んだり、夕食で炭水化物を抜いたりして高3の始めに80kgくらいあった体重が、卒業するころには70kgになっていました。卒業後はフリーターになって時間に余裕ができたので、ウォーキングなどの運動もやるようになって、食事制限もさらに厳しくしました。豆腐やこんにゃくを食べるだけとか、野菜ジュースを飲むだけみたいな生活をして、1年半くらいでさらに20kg近く落としました。
――痩せたことで、精神面の変化はありましたか?
ダイエットのきっかけとなった彼と付き合えて、憧れのブランドの洋服が入るようになったり、洋服屋さんで堂々と店員さんと話せたり、嬉しいこともあったんですけど、自分の中ではまだ太っているような感覚があって。体型が変化するスピードに自分の感覚が追いついていないような感じです。お尻のお肉がなくなって長時間イスに座っていられないほど痩せていたのに「もっと華奢になりたい」って思っていました。
それに、痩せてからも彼に食べたものをメールで送らないといけないとか、少しでも太ったらダメ出しをされるとか、厳しく管理されていました。
■否定していたのは自分自身だった
――体調面はどうでしたか?
体調は悪かったですよ。生理が不規則になって、貧血でいつもフラフラしていました。メンタル面もイライラしたり、うつっぽくなったりして。朝体重を測って、前日より少しでも減っていたら、その日は一日中嬉しいし、増えていたら一日中落ち込んでいるし。ダイエットが生活のすべてでした。
――不調に対しての危機感はなかったですか?
当時はダイエットのせいだとは思っていなかったです。生理が不規則なのはまだ10代だからかな、くらいに考えて病院に行くことも思いつかなかったです。ただ、あるときふとお菓子を食べたら、食欲が止まらなくなってしまって。家にあるものを全部食べる勢いで食べつくして、1カ月で10kgくらい太りました。さすがにおかしいと病院に行ったら、医師からは「彼氏と別れなさい」と言われて、精神安定剤を処方されました。でもどうして彼氏と別れないといけないのかわからなくて、1回受診しただけで終わりました。
その後も常に過食というわけではないのですが、仕事や人間関係でうまくいかないときに過食するということを繰り返しました。仕事帰りに我慢できず、コンビニで買ったものを駅のトイレで過食するということもありました。
――どうやって克服したのですか?
仕事も長続きしなくてちょこちょこ変わっていたのですが、25歳くらいのときに出版社で色んな人のプロフィール写真を整理する仕事をしたんです。体型も顔も一人ひとり全く違う人たちの笑顔の写真を見て、「ぽっちゃりしていても幸せに生きられる道はあるのかもしれない」と思ったんです。それまでの私はぽっちゃりしている人はだらしないなど、ネガティブなイメージしかありませんでした。しんどかったのは、自分が自分を否定していたからではないかと気づいて、一度ありのままの自分を受け入れてみようと行動を変えていきました。
■自分の気持ちやからだを優先
――どのように行動を変えたのですか?
まず、自分が食べたいものを食べるということです。それまで食べるものを選ぶときは、食べたいものではなく、カロリーが低いことを優先していました。でも自分の気持ちをまず聞くことにしたんです。カレーが食べたければ、食材を買いに行って自分で作るとか、手間をかけることも意識しました。あとは、胃腸が疲れているときにはうどんにする、からだが冷えているときには温かいものを食べるなど、自分のからだの状態にも意識を向けるようになりました。そうしたら、心もからだも満足するようになって、普通の1食分ですむようになったんです。
また、自分を否定したくなるようなものや情報からは距離をおくようにしました。一番痩せていたころに着ていた洋服をとっていたのですが、プレッシャーになるので処分しました。テレビやネットニュースなどで流れてくるダイエット情報も見ないようにしました。行動を変えて半年くらいたって久しぶりに体重計に乗ったら、6kg減っていたんです。自分を受け入れることにしたら、過食がなくなり、自然と体重も減りました。
――色んな人のプロフィール写真を見たことをきっかけに、そこまで変われたのはすごいですね。
ずっとしんどかったので、変わるきっかけを探していたのだと思います。一度ありのままの自分を受け入れてみたらどうなるんだろうって、実験をするような感覚でした。
――プラスサイズモデルをやられるようになったのは、その頃ですか?
過食が治ってから、ぽっちゃりしている女性に対する世の中の偏見が強いことに気づいたんです。偏見をなくすにはどうしたらいいだろうと考えていたときに、ちょうどご縁があって「ラ・ファーファ」(日本初のぽっちゃり女子向けファッション雑誌として2013年に創刊、2024年に休刊)の1号目からモデルを務めることになりました。表に出る仕事なのでプレッシャーはありましたけど、応援してくれる読者の方が出てきて、経験を重ねていくうちに取り繕わなくても大丈夫だと思えるようになっていきました。
――現在はご自身の経験をもとに極端なダイエット思考や自己否定の罠から抜け出すアプローチについてメディアなどで発信し、小中学校では講演もされています。どのような思いからですか?
私自身、思春期のころから自分の見た目に対して悩んできましたが、いま振り返ると当時の私は本当に視野が狭かったと思います。まさに今、悩んでいる子どもたちに、世の中にはさまざまな価値観があることを伝えていきたいです。
※関連記事<「痩せないとまずいことになるぞ」小学校の担任に言われて落ち込み プラスサイズモデル・吉野なおが語る“体型に悩んだ”過去>から続く
(取材・文/中寺暁子)
〇吉野なお(よしの・なお)/1986年生まれ、東京都出身。プラスサイズモデル、エッセイスト、摂食障害に関するアクティビスト。2013年、日本初のプラスサイズファッション誌『ラ・ファーファ』の第1号目から、モデルとしてのキャリアをスタート。2024年4月に同誌を卒業し、摂食障害を経験して回復した経験などをもとに、極端なダイエット思考や自己否定の罠から抜け出すアプローチをSNSやメディア、講演などで発信している。著書に『コンプレックスをひっくり返す 見た目の悩みが軽くなる「ボディ・ポジティブ」な生き方』(旬報社)。