脳トレも散歩もしてきたのに…“健康長寿”でも幸せになれない人に「決定的に欠けているもの」

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健康で長生きすることを目標に生きてきたのに、いざ高齢になったら趣味もなくてつまらない。そんな老人が増えている。「第二の人生」は思ったより長く、想像以上に退屈だ。長生きすることの意味をもう一度考えてみる。※本稿は、小谷みどり『〈ひとり死〉時代の死生観「一人称の死」とどう向き合うか』(朝日選書、朝日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです。
日本人の7割以上が
「実年齢より若く見られたい」
日本は世界有数の長寿国で、「若く見られたい」と考える人が多い。女優やタレントのことを「年齢より若く見えるか」を評価の対象としている世論があるし、「年齢のわりには元気だ」とか、「もう年なんだから無理をしないで」という表現も日常生活でよく使われる。
日本では、「年齢」から想起するイメージに社会全体が囚われている気がする。
2022年に朝日新聞Reライフプロジェクトが実施したアンケートでは、実年齢よりも若く見られたいかという質問に対し、71%が「若く見られたい」と回答し、「実年齢相応に見られたい」人は20%にとどまった。
しかも「実年齢よりも5~9歳程度若く見られたい」が34%、「実年齢より10歳以上若く見られたい」は21%もいた。私自身は一切、化粧をしないし、若く見られたいと思ったこともないので、10歳以上も若く見られたい人の気持ちがよくわからない。
そもそも、他人が何歳に見えるかに、関心がある人はどれだけいるのだろうか、とさえ思ってしまう。
とはいえ、世の中には、若見えコーデ、若見えファンデーションなど、実年齢より若く見せるコツを伝授する情報や商品があふれている。
そもそも栄養状態がよくなり、寿命が延びている時点で、何十年も前の人たちと現代人は、明らかに老け方が異なる。
「エイジングとは闘う、でも若作りはしない」をモットーにする美魔女という言葉も生まれ、エイジング美容の市場も活況だ。

同書より転載
始皇帝が夢見た不老不死を
今もなお追い続ける
一方、見かけの不老だけではない。最近では、加齢により蓄積される老化細胞が、臓器や組織の機能低下を引き起こすことが明らかになっており、老化細胞を取り除ければ老化現象を食い止めることができるという。
そもそも人間の病気の多くは老化に伴って起きるので、老化細胞の除去によって、将来的には病気そのものが減ると考えられており、近い将来、見かけだけではなく、内臓の機能の不老が実現することが期待されている。
それでは「不死」への願望はどうか。不老不死は、昔から中国でも伝統的な生命観のひとつとされており、今から2200年以上も前、中国を統一した秦の始皇帝の命令によって、東方海上の三神山にある不老不死の薬を探すため、徐福が日本にやってきたとされ、和歌山県の熊野市や新宮市周辺には今でも、徐福伝説が残っている。
当の始皇帝は、猛毒の水銀からできた薬を不老不死の薬と信じて飲んでいたことで亡くなったといわれている。
もちろん、2200年以上がたった現在でも、不死は実現されていないし、命あるものは死すべき存在であることは自明の事実である。
アメリカの生物学者レナード・ヘイフリックは、人体の細胞は最大で50回程度しか分裂することができないことを発見しており、ヒトが永遠に生きることは不可能であることが証明されている。
健康で長生きできても
目的がなければ意味がない
しかし見方を変えれば、平均寿命が長くなったことで、私たちは「不死」の存在であると錯覚するようになっているのではないだろうか。「健康長寿」信仰もそのひとつだ。
以前、ある団体から終活について講演を依頼されたことがある。私の前には、ヨーグルトを販売している食品会社がスポンサーとなり、その効用の研究を依頼した医大の先生が登壇した。
そのヨーグルトに含まれる乳酸菌は、がん細胞やウイルスに感染した細胞をやっつけるナチュラルキラー細胞を増やす効果があるので、毎日食べることで、健康長寿が期待できるという内容だった。
「ヨーグルトを食べて健康長寿を目指そう!」という講演のあとに、私が、終末医療や葬送など終活についての話をするのだから、なんだかとてもシュールな組み合わせだが、私は講演の冒頭で、「何もすることがないのに、毎日ヨーグルトを食べて健康で長生きしたら、どうなると思いますか」と、来場者に問いかけた。
健康でどこも悪くないなら病院巡りもできないし、毎日することもなく、1日がひたすら終わるのを待つ生活をしていれば、健康長寿の意味があるのだろうか、と。
人生で何かしたいことがあるとか、楽しみがあるから、元気で長生きしたいのであって、健康長寿は人生の目的でも、「目指すもの」でもないのではなかろうか。健康長寿は、目的を達成するための手段にすぎない。
「長生きはしたくない」が7割!?
彼らは何をおそれている?
私が関わっている日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団で2023年に実施した調査によれば、100歳以上まで長生きしたいかという質問に対し、長生きしたいと回答した人は全体で22.0%にとどまり、多くの人は人生100年時代を肯定的には捉えていなかった。
50代、60代では8割以上が、「100歳以上まで生きたくない」と考えていたが、人生100年が現実的であろう20代、30代でも、長生きしたい人は25%程度しかいなかった。
また性別で比較すると、長生きしたい人は男性で27.6%、女性で16.5%と、男性の方が多かった。

同書より転載
100歳以上生きたい人の理由は、男性では「少しでも長く人生を楽しみたいから」だが、女性では「少しでも長く人生を楽しみたいから」以外に、「子どもや孫の成長を見たいから」も多かった。
一方で、長生きしたくない人の理由としては、「家族やまわりの人に迷惑をかけたくないから」「身体がだんだんつらくなると思うから」が多く挙げられ、「経済的な不安があるから」も36.7%あった。
健康長寿のために、「脳トレをしよう」「毎日8000歩を目指そう」「バランスの良い食事を腹八分目に」などと努力している一方、100歳まで長生きしたくないなあというのが、多くの人の本音なのだろう。
人生の晩年に、病気に罹患して看護してもらったり、老いに直面して介護が必要になったりするのであれば、そこまで長生きしたくはない、ということだろうか。
例えば厚生労働省『介護保険事業状況報告』によれば、要介護(要支援は含まない)の認定を受けた人は、2022年3月末時点で約500万人いたが、2017年からの5年間で35万人近くも増加している。
65歳以上の認知症患者(軽度認知障がいは除く)は2022年には約443万人で、高齢者の8人に1人の割合だったが、2040年には約584万人に増加するという推計もある(厚生労働省『認知症及び軽度認知障害(MCI)の有病率調査並びに将来推計』2024年)。
福岡県久山町では、九州大学が中心となって1985年から認知症の疫学調査がおこなわれている。その結果によると、65歳から69歳までの認知症の有病率は男性で1.94%、女性でも2.42%と算出されているが、80歳を超えると割合があがり、85歳以上では女性の6割近くに認知症の症状がみられると推定される。
健康で長生きできれば理想だが、介護が必要になったり、認知症を患ったりする人たちが増加してきたのは、人生80歳が当たり前になったからにほかならない。
科学で老化を遅らせることは
できるようになったが……
しかし、内臓や肉体が老化しないとなれば、長生きしたい人は増加するだろうか。
私の知り合いに、120歳まで生きたいと言う人がいる。ハーバード大学の遺伝学の教授デビッド・シンクレア教授が書いた『ライフスパン』という本が、数年前にベストセラーになったが、その本に感銘を受けたそうだ。
この本によれば、老化は自然現象ではなく、病気のひとつであり、意識的に生活環境を変えることで体内の遺伝子を変化させることができ、老化を遅らせることが可能だという。
「長生き家系」という言葉があるが、長寿は、両親や先祖から引き継いだ遺伝子の影響を受けるゲノムの問題ではなく、生活環境を変えることでエピゲノムを修復し、老化を防止することで実現するそうだ。

『〈ひとり死〉時代の死生観「一人称の死」とどう向き合うか』 (小谷みどり、朝日新聞出版)
老化を遅らせることができれば、がんや脳卒中、心筋梗塞(こうそく)など老化に起因する病気を防ぐこともできるので、健康寿命が延びることになる。ちなみに、シンクレア教授によれば、身体を老化させない秘訣は、食べ過ぎないこと、運動をすることなのだそう。
私の知人はこの本を読み、毎日、アップルウォッチで健康観察をし、遺伝子を老化させない習慣を実践し、120歳まで健康で生きることを目指している。
一方、100歳以上も生きたくないという人でも、100歳になって気力体力がみなぎっており、既往症もなく生活できるのであれば、生きていたいだろうか。
老化にも病気にも無縁で100歳まで生きることができたとしても、私自身は、100歳まで長生きしたくはない。
健康長寿は人生の目的ではなく、手段であるべきだと考えているので、半世紀を生きてきた現在、さすがにあと40年以上も、やりたいことを見つけ、それに向かって邁進(まいしん)したいとは思わないし、のんびり生きるには長すぎる。