「今日は接待ではありません」中国全土の「禁酒令」が、伝統の酒卓文化を破壊する?

2025年5月に施行された史上最も厳しい「禁酒令」が、中国全土を席巻。茅台酒の売れ行きも低迷している Photo:NurPhoto/gettyimages
「今日は接待ではなく、個人間の食事会です」――中国のレストランで、相手がこう小声で念を押す。五つ星ホテルが玄関先でテント張りの屋台を始める。月200箱売れていた茅台酒が今では20箱も売れない――2025年5月に施行された史上最も厳しい「禁酒令」が、中国全土を席巻。飲食業界を襲う未曽有の危機が、中国の伝統文化そのものを変えようとしている。(日中福祉プランニング代表 王 青)
「禁酒旋風」で、中国飲食業界に衝撃的な打撃
先日、仕事で中国に行き、北京や上海などを訪れた。約半月の滞在で、公私ともに会食することが多かったのだが、訪れたほとんどのレストランで異変を感じた。
立地が良くて、これまで大変人気だった店が、ガラガラに空いているのだ。週末の夜など通常なら混雑しているはずの時間帯でさえ、店員の数がお客より多く、広い店内がより広く感じられた。

人気レストラン、それも週末なのに、ガラガラ(筆者撮影)

本来賑わっていなくてはいけない時間に、人気レストランに客がいない(筆者撮影)
さらに、筆者が仕事先に招待された会食の場合では、相手が小さな声で「今日は接待ではなく、個人間の食事会です」と前もって強調するのだ。
今回の滞在中、さまざまなレストランで、日本ではあり得ない場面をいろいろ経験し、今、中国の飲食業界が厳しい状況に置かれていることを身をもって感じた。
一体、何があったのか。
閉店率61%、1年で300万以上の飲食店が閉店
当然のことながら、中国の飲食業界の冬は今になって始まったことではない。コロナ禍で、中国は世界でもっとも厳しい感染防止の措置を講じた。最大の経済都市・上海は3カ月間のロックダウンを実施した。ロックダウンの間、飲食店は売り上げがゼロに近い状況でありながら、賃料や人件費などのコストを支払い続けた。
同じ頃、日本では、外食産業の倒産や大量失業を防ぐためにさまざまな補助金・支援策を実施したが、中国では政府からの補助金の支給が一切なかった。コロナが終われば経済活動が戻り消費は回復するだろうと誰もが期待していたが、不動産の不況などで経済は低迷し続けている。
若年層の高失業率や不透明な経済見通しにより、人々は収入増が見込めず、極力支出を抑える傾向にある。「消費降級」(消費のグレードダウン)が流行語となり、社会現象となっている。さらに、中国のフードデリバリーは大変便利で普及している。配達料が安く、スピードが速い。その利便性が強い半面、実店舗にとっては客足の減少と利益圧迫につながり、廃業に追い込まれる店が多い。
投資家向けの総合金融サービスプラットフォーム雪球網(xueqiu.com)の統計によると、昨年1年間で、300万以上の飲食店が閉店し、閉店率は61%となり、過去10年間で最高記録を更新したという。
「禁酒令」の衝撃
こうした厳しい状況の中で、2025年5月2日、中国共産党中央と国務院は新たに改訂された「党政機関厳格な節約・浪費反対条例」(禁酒令)に9つの規定を盛り込んだ。
主な内容は以下の通りだ。
全面禁酒:すべての公務接待(朝・昼・夕食を含む)でいかなる種類の酒類も提供禁止。白酒・ワイン・ビール・アルコール飲料を含む。外国との接待や投資誘致など特別な場合は、「一件ごとに審査・承認」を行い、届け出を義務付け。勤務時間外で自宅での会食での飲酒も規則違反とする。
時間の制限:平日の全時間帯で禁酒(昼休み・残業を含む)。
適用対象:党や政府機関、政府関連の外郭団体、国有企業、金融機関の公職者を対象とする。
監督と処罰:「抜き打ち検査+市民からの通報+ビッグデータ監視」を活用。違反者は停職・懲戒処分の対象となり、同時に所属機関の責任者も連座で追及。飲酒していなくても同席して止めなかった場合、「連帯責任」を追及し処分する。
2012年に習近平が就任後、「中央八項規定」を打ち出した。これは勤勉倹約の励行や汚職「ゼロ」を目指す規定だった。今回の「禁酒令」はその拡大版といえるもので、世間では「もっとも厳しい禁酒令だ」と言われている。
背景には、腐敗の温床を根から断ち切るという政府の思惑がある。中国では長年、接待や会食の席で賄賂や利益供与が行われていたからだ。また、税金で政府の幹部らが高級酒などの贅沢を享受することで、民衆の不満を解消するため、節約・規律の強化が求められている。
「酒卓文化」への致命的打撃
しかし「禁酒令」は、外食産業にとってまさに「雪上加霜」(雪上に霜を加える、「弱り目に祟り目」のような意味)である。
もともと中国の伝統文化の中に、「酒卓文化」がある。「無酒不歓」(酒なしでは楽しめない)や「酒品如人品」(酒の飲み方は人柄を表す)といった言葉があるほど、お酒は「潤滑油」のように人間関係を構築し、信頼関係を深める重要な役割を果たしている。また、「酒卓ビジネス」というくらい、酒卓で一緒に酒を飲んで商談が成立するケースも少なくない。
恐らく、中国と仕事で関係のある日本のビジネスマンの中には、白酒(アルコール度数50度以上)で「敬酒」や「乾杯」、「一気飲み」でガンガン飲まされた経験を持つ人も少なくないだろう。筆者自身も過去仕事関係の席で、お酒を勧められたり、いちいち席を立ち上がり、時計回りの順番に「敬酒」を行ったりして、疲弊した覚えがたくさんあった。ゆえに、日本にはこのような習慣がないので、落ち着いて会食を楽しめるわけである。
今回の「禁酒令」の実施により、中国の「国酒」と呼ばれる高級白酒の「茅台(マオタイ)酒」や高粱酒の価格が暴落した。販売量も急減している。中国のメディアが茅台(マオタイ)酒の卸売業者に取材したところ、「以前は月に200箱売れていたのに、今では20箱も売れない」と業者が語ったという。
筆者が北京で泊まったホテルのレストランのマネージャーは「以前はビジネス接待の場で、酒類が総消費額の4割を占めていたが、今ではその収入がほぼゼロになってしまいました」と嘆いた。
理不尽に耐えても……飲食業界の生き残り戦略
苦境に陥り、抜け出せない飲食業界。レストランは、お客に来てもらいたいがために、さまざまな「理不尽」な要求を呑んでいる。
以前は、「開瓶費」(ボトルを開く手数料)という一定の手数料を取ることで、お酒などの持ち込みが容認されていた。今は無料だ。茶葉やお酒など、すべて持ち込みが容認され、さらに、お茶を入れるポットと温めるコンロまで提供している。
ワインを持ち込むならワイングラスなどお酒用の食器も無料で提供する。ある時、レストランの隣のテーブルにいた約10人ぐらいの団体客が2ケースのビールを持ち込んできた光景を目にした時には、さすがに驚いた。

持ち込みのお茶を飲むために、ポットやコンロを提供(筆者撮影)

隣のテーブルの団体客が持ち込んだビール2ケース(筆者撮影)
ある日、筆者が北京にある上海料理のレストランでご馳走になった時のできごとだ。同席にいた数名の女性友人が、「どうしてもミルクティーを飲みたくなった」「辛い四川料理が食べたい」などと言い出した。そして、皆がスマートフォンを出して、デリバリー配達の注文をし始めたのだ。30分もしないうちに、これらの飲み物や料理が無事に到着した。上海料理のレストランで、別のレストランの四川料理を食べるという不思議な体験となった。
日本では、レストランで食べ残しを持ち帰ることすら許されないのに対して、中国の飲食業は「寛大」というべきか……客としてはありがたいけれど、ここまでやらねばならない事情を考えると、気の毒という言葉では足りないくらいだ。
なりふり構っていられない!五つ星ホテルが屋台を始めた
先日、中国のSNSで「五つ星のホテルが屋台を始めた」というニュースが大きな話題となった。
各地の高級ホテルが、続々と、ホテルの玄関口の近くにテントを張り、テーブルを設置。普段ならホテル内の高級レストランでしか食べられない料理を紙ボックスに詰めて、手ごろな値段で売り始めたのだ。従来のホテルレストランとは強烈な価格差があるため、ネットでは「五つ星ホテルがもうここまで格下げか」といった書き込みが目立っている。
一方、国内の専門家はこの一連の現象について「五つ星のホテルの屋台ビジネスは、生き延びる戦略としてやむを得ないことかもしれないが、業界全体にさらに深刻な懸念を引き起こす恐れがある」と指摘した。
実際、「禁酒令」が打ち出された後、中国の人民日報などの主流メディアが、「一部の地方政府が『禁酒令』を拡大解釈し、通常の人間関係の交流に支障をきたす」「一般の消費経済活動や外食産業に悪い影響を与えかねない」と批判した。
その一方で、ノンアルコール飲料の研究開発に投資を拡大している企業もある。レストランでは、ノンアルコールビールやフルーツワインの代替製品を打ち出し、ナッツ類や黒米、とうもろこしなどの健康飲料のメニューも増えてきている。
主に公務員や国有企業の従業員を対象にしている「禁酒令」だが、実際には、民間企業や一般の消費者にまで影響が及んでいる。特に「酒卓文化」に抵抗が大きい若い世代には、それ以前から理性的な飲酒・ノンアルコール文化が醸成される流れがあった。
もしかすると今回の禁酒令は、中国の伝統とされてきた「酒卓文化」や「酒卓ビジネス」などの伝統的な風習が変わる大きなきっかけになるのかもしれない。