麻疹感染は10年も前なのに・・・。両親の願いもむなしく、小4の二男を襲ったのは乳児期の麻疹が原因の恐ろしい病気だった【SSPE体験談】
麻疹に感染する少し前、生後10カ月のころの春樹さん。
現在、日本国内での麻疹発症がいくつか報道されています。麻疹は空気感染する非常に感染力が強い感染症です。高熱とひどいせき、発疹が出て、肺炎や脳炎などの合併症が起こることもあり、命に危険が及ぶ怖い病気です。予防接種が定期接種として行われ、現在の発症は海外から持ち込まれたものが始まりだとみられています。
稲田智子さん・和夫さん(ともに仮名)の二男、春樹さん(仮名・20歳)は今から約20年前、1歳になる直前に麻疹に感染しました。春樹さんは9歳ごろから神経症状が見られるようになり、乳児期に罹患した麻疹の後遺症である亜急性硬化症全脳炎(あきゅうせいこうかしょうぜんのうえん・以下SSPE)と診断されました。非常にまれな病気ですが、発症すると確かな治療法がなく、春樹さんは現在、自身で動くことができない状態です。
インタビューの前編では、智子さんと和夫さんに、麻疹感染から約10年後に、春樹さんがSSPEと診断されるまでのことを聞きました。
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麻疹の予防接種を予約していたのに、1歳になる4日前に麻疹に感染
生まれたばかりの春樹さん。妊娠・出産は順調で、元気に生まれてきました。
――智子さんと和夫さんの結婚から、息子さんの誕生までのことを教えてください。
智子さん(以下敬称略) 私たちは学生時代に知り合い、結婚。2年後に長男が生まれ、3歳差で二男の春樹も誕生しました。
私は結婚前から医療専門職の仕事をしています。子どもが生まれてからもフルタイムで働いていたので、2人とも保育園に預けました。春樹は10カ月のとき保育園の0歳児クラスに入園。その当時、入園前に受けられるワクチンはすべて受けての入園でした。
――麻疹のワクチンも1歳の誕生日を迎えたらすぐ受ける予定だったとか。
智子 そうなんです。かかりつけの小児科に麻疹の予防接種の予約をしていました。ところが、あと4日で1歳になるという生後11カ月の終わりに、麻疹に感染しました。上の子のクラスからはやり始めたようですが、春樹たち0歳児クラスと同じフロアに麻疹に感染した子がいたらしく、春樹のほかにも何人かの0歳児クラスの子が感染したそうです。
――春樹くんはかかりつけの小児科で麻疹と診断されました。
智子 今もそうだと思いますが、麻疹は乳児がかかると症状が重くなる感染症です。春樹は食欲も低下して元気がなかったので、地域の総合病院を紹介され、3日間入院することに。症状をやわらげるために、免疫グロブリンの点滴治療を受けました。
ワクチン接種前の0歳代での感染だったので心配しましたが、退院後数日ですっかり元気になり、登園できるほど回復しました。
――麻疹の家庭内感染はなかったとか。
智子 長男はワクチン接種済みで、私は1歳半のとき麻疹にかかったと母から聞いていました。
和夫さん(以下敬称略) 私は予防接種をしたのか、感染したのか記録が残っておらず、母に聞いても覚えていないようでしたが、春樹からうつらなかったので、免疫があったんだと思います。家族内で感染が広がることもなく、無事切り抜けることができてよかったと、妻と話したことを覚えています。
お友だちをたたく、チックが出るなど、今までとは違うことが起きた9歳の秋
左が春樹さん。右がお兄さん。智子さん夫婦が「なんとなくおかしい」と感じるようになった9歳ごろの写真。
――SSPEは麻疹に感染した子どもが、平均10年の潜伏期間ののちに発症する脳炎とのことですが、春樹くんの様子が気になるようになったのはいつごろでしたか。
智子 春樹は、工作や絵を描くのが好きな男の子に成長しました。9歳(小学校3年生)の秋の終わりごろに、春樹の様子が「なんだかおかしい」と感じるようになりました。
最初に気になったのは、算数の成績が下がってきたことでした。でも、春樹はもともと算数があまり好きではなかったので、苦手な科目がはっきりしてきただけかなと思っていました。
同じころから、右肩や首を動かす不随意運動がときどき見られるようなり、チック症なのかと思いました。
――小学校生活では何か変化がありましたか。
智子 算数のテストの点数が悪いなと思っていたら、漢字のテストもあまりよくない点数を取るようになってきて・・・。
ちょうどそのころ小学校で個人面談があり、担任の先生から、春樹とクラスのお友だちの間で、トラブルがあったことを聞いたんです。遊んでいるときに春樹がカッとなって、お友だちをたたいてしまったそうなんです。
けがをさせるほどではなく、先生が仲裁に入ったら春樹は素直に謝り、すぐに場が収まったとのことで、先生は急いで家庭に報告するほどのことではないと判断し、事後報告として面談のときに話してくれました。
また、係の仕事ができないことがあるとも言われましたが、それも問題にするほどではないと。
男の子によくある「10歳の壁(※)」なのかなと、そのときはあまり心配していませんでした。
――チックの回数が増えてきたのは気になったとか。
智子 春樹自身もチックが気になって、勉強に集中できなくなっているのかなと思ったんです。だから、小児の心療内科もあるクリニックで相談してみました。
学力の低下は心配するほどのことはないけれど、不随意運動については総合病院の小児科で診てもらうようにと、紹介状をもらいました。
※10歳ごろに、学習面や生活面、心身の発達面でつまずくことが多くなることを表した言葉。
2回目の脳波検査の結果を見て、息子に重大なことが起きていると確信
――総合病院の受診では、どのような治療したのでしょうか。
智子 春樹は不随意運動を改善する薬を飲み始めました。でも、その薬に効果は見られず、不随意運動はどんどん頻繁になり、動きが大きくなっていきました。しかも歩いているとき急によろけるなど、登下校が危なくなってきたんです。「チックにしてはおかしい」と感じました。担当医もそう判断したようで、入院して精密検査を受けることになりました。
――どのような検査をしましたか。
智子 担当医はこれまでの病歴を記した書類を読んで、「麻疹に感染したことで発症するSSPEかもしれない」と気づき、小児神経の医師に担当が変わりました。
SSPEの発症率は、麻疹にかかった患者の1万⼈に1⼈程度でかなりまれだけれど、詳しい検査が必要とのことでした。そして血液検査、画像検査、脳波検査、髄液検査など、たくさんの検査を行うことになったんです。
でも、髄液の麻疹抗体価の検査は外部に出していたので、なかなか結果が出ませんでした。担当医に聞いたら「再検査中」とのこと。抗体価が高値だから再検査をしているのだろう、春樹はSSPEなんだ・・・と、担当医の言葉から推測できてしまったんです。
――担当医が見せてくれた春樹くんの脳波の形を見て、気づいたこともあったとか。
智子 医療にかかわる仕事をしている私は、学生時代に脳波の勉強もしました。担当医が見せてくれた1回目の脳波では、私には異変はわかりませんでした。専門の先生もあやしい波形はあるけれど、断言はできないと。でも、髄液検査の結果が出る前に行った2回目の脳波検査は、明らかに異常を示していることが私にも理解できました。春樹はSSPEなんだと、推測が確信に変わってしまったときでした。
麻疹感染は10年も前のことなのに・・・、なぜうちの子がそんな難病になるの!?
最近の家族旅行の写真。車いすを押しているのは3歳上のお兄さんです。
――SSPEという病気について、智子さんは以前から知っていましたか。
智子 春樹が生後11カ月で麻疹にかかったとき、麻疹が重症化すると、まれに脳炎になることがあることは聞きました。でもインフルエンザ脳症のように、すぐに発症するものだと思っていたんです。春樹が麻疹に感染したとき、SSPEについて医師から説明を受けることはなかったし、まさか10年近くたってから麻疹の影響が脳に出るなんて、ほんの少しも考えたことはありませんでした。
和夫 私は医療についてはまったくの素人です。だから、精密検査を受けると妻から聞いたときは、きっとチックに違いない、重い病気のはずがないと、根拠はないものの期待をしていました。
確定診断が下りたのは髄液検査の結果が出たあとだったので、それまでは、チックのはずだ、チックであればいいと、ひたすら願い続けていました。
智子 2回目の脳波の形を見せてもらってから確定診断が下りるまでに、数日ありました。その間、私はSSPEについてネットで調べまくりました。調べれば調べるほど、今の春樹の状態に当てはまってしまうんです。これはもう逃れようがない事実だと思いました。
担当医から「春樹くんはSSPEです」と告知されたのは、4月の終わりごろ、春樹が10歳になる少し前でした。春樹の様子がなんだかおかしいと感じたのは6カ月くらい前のこと。たった半年の間に、春樹の体の中では恐ろしいことが起こっていたんです。
和夫 妻から、春樹はSSPEだと思うと告げられていたので、医師から病名を聞いたときは、ある程度覚悟はできていました。ああ、やっぱりそうなのか・・・と。とはいえ、ショックを受けないわけはなく、なぜうちの息子がそんな病気にならないといけないのかと、ぼう然としました。
智子 SSPEを治す方法は確立していなくて、発症した多くの患者は少しずつ症状が重くなり、やがては寝たきりになるなどの重度の障害が出ることも、すでに調べて知っていました。
ちょっと前まで、春樹は元気いっぱいに走り回っていたのに。突然、暗黒の谷底に突き落とされたような、絶望感でいっぱいになりました。
でも、少しでもよくなる可能性があるなら、どんな治療法でも試したい。春樹の笑顔を取り戻したい。できることはなんでもやろう。それは私と夫の共通の願いでした。
お話・写真提供/稲田智子さん・和夫さん 取材協力/SSPE青空の会 取材・文/東裕美、たまひよONLINE編集部
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智子さん・和夫さんの二男として生まれた春樹さんは、図画・工作が得意で、体を動かすことも大好きな男の子でした。それが半年の間に歩行が危ういほどの状態となり、10歳になる少し前にSSPEと診断されました。
インタビューの後編は、SSPEの治療や家庭で必要な医療的ケア、学校生活などについて聞きます。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
SSPE青空の会のHP
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年8月の情報であり、現在と異なる場合があります。
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