「なんでうちの子ばっかり⁉」治療法のない難病の2人の娘を育てる母。遺伝子検査を受けた後に妊娠した子にも難病があることがわかり…【体験談】
コルネリア・デランゲ症候群がある長女明愛ちゃんと、18番部分トリソミーの二女蒼依ちゃん。
治療法のない先天性の難病、コルネリア・デランゲ症候群の小林明愛(めい)ちゃん(12歳)は、今年4月、特別支援学校の中学部に進級しました。明愛ちゃんには6歳差の妹、蒼依(あおい)ちゃんがいます。蒼依ちゃんは、染色体異常が原因の「18番部分トリソミー」という難病で生まれてきました。
2人の母親の昌代さんに聞く全3回のインタビューの2回目は、明愛ちゃんの小学校時代のエピソードと、二女、蒼依ちゃんの妊娠から現在までのことについてです。
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「モケケ」で手をかむのを回避。小学校でのコミュニケーションも広がる
明愛ちゃんの小学校の先生方が作ってくれた、モケケの日本地図。「4年生の3学期が終わるころにはモケケで埋めつくされていました」と昌代さん。
幼少期は地域の母子通園療育施設に通っていた明愛ちゃん。2019年に小学校(特別支援学校)に入学しました。
「明愛は会話こそできませんが、相手の言うことは理解できます。また、自分の気持ちは身ぶり手ぶりや行動などで伝えることができます。
でも、うまく気持ちが伝えられないときなどに、自分の手をかむ癖がありました。2~3歳のときはとくにひどくて、よく出血していました。
成長とともにだんだんしなくなっていたのですが、小学校は親の付き添いはなく、急に環境が変わったことで、気持ちが不安定になったよう。入学後に手をかむ癖がひどくなってしまったんです」(昌代さん)
何かいい方法はないかと考えた昌代さんは、明愛ちゃんの腕に「モケケ」を巻き付けて登校させることを思いつきます。
「モケケは、高速道路のサービスエリアや観光地のお土産店などに売っている、長い手足が特徴のマスコット。『手をかみたくなったら、自分の手じゃなくてモケケの手をかむんだよ』って説明してみたんです。かみ心地がよかったのか、明愛はこの方法が気に入ったみたい。自分の手をかむことはしなくなりました」(昌代さん)
しかも、「モケケが学校でのコミュニケーションの輪をつないでくれた」と昌代さんは当時を振り返ります。
「モケケを持たせることを、先生方は快く受け入れてくれました。それだけではなく、大きな日本地図を用意して、ご当地モケケを該当する県にぶら下げて、児童みんなで楽しめるようにしてくれたんです。先生方が旅行などに行かれたときは、その土地のモケケを買ってきて新たに加えてくれることもありました。
クラスのお友だちなども、モケケのことで明愛に話しかけてくれることが増え、すっかり『モケケの明愛ちゃん』として知られるように。廊下にモケケが落ちていると、面識のない子も明愛に届けてくれるほどでした。
モケケのおかげで明愛は自然と学校生活になじむことができ、モケケの手をかむ回数は徐々に減っていきました」(昌代さん)
遺伝子に異常があるなら2人目はあきらめよう。夫婦で遺伝子検査を受ける
蒼依ちゃんが生まれてNICUに入院中、ガラス越しに初めて対面した明愛ちゃん。
昌代さん夫婦は、明愛ちゃんに難病があることから、2人目の子どもを作ることに悩んだ時期があったそうです。
「私にも夫にもきょうだいがいて、きょうだいとの楽しい思い出がたくさんあります。だから、結婚したころから子どもは2人以上授かれたらいいなって思っていました。
でも、明愛には障害があるので、下の子はきょうだい児に。一般的な家庭環境ではないことがわかっているから悩みました」(昌代さん)
昌代さん夫婦にはもう1つ大きな心配がありました。
「明愛に希少難病があるのは、私たち夫婦の遺伝子に問題があったからではないのかと、ずっと考えていました。自分たちの遺伝子に原因があるのなら、2人目はあきらめようと夫と話し合い、家族3人で遺伝子カウンセリングを受けました。明愛が2歳のころのことです。
検査の結果、明愛の疾患は遺伝子の突然変異で、私たち夫婦の遺伝子は正常ということがわかりました。『次の子どもに異常が出る確率は通常の夫婦と同じ』 という言葉を医師から聞いたときは、明るい未来への扉が開いた気がしました。
その後、明愛が3歳のとき妊娠したのですが、妊娠初期に流産してしまいました。そしてその2年後に蒼依の妊娠がわかりました。明愛はゆっくり成長しているから、6歳差くらいがちょうどよかったかもねと、妊娠中の当時、夫と話したりもしていました」(昌代さん)
私たちの遺伝子は問題ないはずなのに、二女も染色体異常の難病だなんて!!
蒼依ちゃんは1歳2カ月とき、10時間にも及ぶ心臓の手術を受けました。
「第2子がわが家にやって来るのを夫婦で心待ちにしていた」という昌代さん。しかし妊娠25週目ごろの健診で、医師から信じられないことを告げられます。
「健診でエコー検査をした医師が『胎児の心臓に穴が開いている』と言うんです。えっ、またか・・・今度もまた何か異常があるのか・・・。ショックで何の言葉も出てきませんでした。
その後の健診は毎回つらくて、自分を責めて、健診に向かう車の中で何度も何度も泣きました。
『心臓の疾患だけでほかには異常がないことも多いからね』という医師の説明にすがり、どうかそうであってほしいと毎日祈っていました」(昌代さん)
「ほかに異常がありませんように」という昌代さんの必死の願いもむなしく、生後3カ月のときに染色体に異常があることがわかります。
「『18番部分トリソミー』と診断されました。教科書にも載っていない複雑な難病です。症状的には18トリソミーに近いのですが、18トリソミーよりも軽症で、体調面でも強いと認識しています」(昌代さん)
18トリソミーとは以下のような病気です。
18トリソミー(症候群)は、18番染色体全長あるいは一部の重複に基づく先天異常症候群で、フルトリソミーの場合、胎児期からの成長障害や手指の重なりなどの身体的特徴があり、先天性心疾患がある。肺高血圧、呼吸器や消化器、泌尿器、筋肉や骨に合併症があることがあり、難聴、悪性腫瘍などの症状があることも。モザイク型トリソミーの場合、症状は全体として軽症となる傾向にある。(小児慢性特定疾病情報センターHPより 編集部にて改変)
「なんでうちの子ばっかり!?」と思ったけれど、障害児2人を育てる覚悟を決める
明愛ちゃん10歳、蒼依ちゃん4歳。自宅の庭のプールで遊んでいるところ。
蒼依ちゃんが染色体異常による難病を患っているとわかったとき、昌代さんは「どうしてうちの子ばっかり」と思わずにいられなかったと言います。
「明愛を育ててきた6年間、障害児の親としてなんとか頑張ってきました。だからといって、なぜ2人目も染色体異常の難病がある子が生まれてこなければならなかったのか・・・。私たち夫婦の遺伝子に問題がないことがわかっているのに!
蒼依の寝顔を見ながら、『あおちゃんがママとパパのところにきてくれたのはとってもうれしい。でも、ママもパパもキャパはそんなに大きくないのよ・・・』と話しかけていました。
その一方で、『あおちゃんはうちの子になりたくて生まれてきたんだもんね』とも思いました。障害児2人の親になることが私たち夫婦の運命なら、それを受け入れるしかないと、夫婦ともに覚悟を決めたんです。
そう思えたのはこの6年間、支援センターの方、療育の先生など、たくさんの人に助けてもらったから。地元の障害児サークルで同じような境遇のママ友ができ、頼れる先輩から貴重なアドバイスをもらうこともできました。さらに、コルネリア・デランゲ症候群患者家族会に入会し、この病気のことをたくさん学ばせてもらいました。
私は孤独じゃなかったから、障害児2人の育児を受け入れることができたんです」(昌代さん)
二女は小学校でも医ケアが必要。手続きが終わるまで毎日付き添ってケアを
蒼依ちゃんの食事風景。ベーストのごはんをまず口から食べ、食べきれない分は胃ろうで補います。
蒼依ちゃんにも難病があることがわかったとき、夫の功さんはある決意をします。
「夫はとてもとても優しい人で、明愛が生まれたとき、母親1人ではとても無理だから、父親の自分が積極的に育児にかかわらなければいけないと決心した、と言っていました。実際、家にいるときはなんでもやってくれる最高のパパでした。
でも夫の仕事は警察官。24時間交代勤務という変則的な勤務形態ですし、事故や事件があると帰宅できないことも少なくありません。蒼依の妊娠中に心臓の疾患があることがわかり、私が泣いているのを見て、夫は『もっと育児にかかわれる仕事に転職する』と言ってくれたんです。
夫は警察官という仕事にとてもやりがいを感じていましたが、私と娘たちのために、夜勤のない会社に転職してくれました。いつも私と娘たちのことを一番に考えてくれる夫には、言葉にできないほど感謝しています」(昌代さん)
障害の程度は蒼依ちゃんのほうが重く、胃ろうで水分と食事を注入する医療的ケアが必要。コミュニケーションもほとんどとれないそうです。
「明愛も会話はできませんが、おなかがすいたら態度で示すことができるなど『生きていく力はある』と主治医から言われています。
一方、蒼依は何かしてほしいことがあっても伝えることができず、だれかが気づいてケアをしてくれるのを待つしかありません」(昌代さん)
蒼依ちゃんは1歳2カ月のとき心臓の手術を受けました。
「生まれる前から指摘されていた心臓の穴をふぐための手術です。朝、手術室に入り、終わったときは夜になっていました。入院期間は2カ月に及び、平日は私が泊まり込み、土日は夫が交代してくれました。入院中、蒼依はしょっちゅう泣いている感じで、付き添っている間はほぼ抱っこしていました」(昌代さん)
蒼依ちゃんは、この4月から小学生になりました。
「学校にいる間のケアは、学校看護師さんにお願いするのですが、そのためには主治医の指示書、医療的ケア実施マニュアルの作成、学校幹部の許可、看護手技の確認などが必要。すべての手続きが終わるまでは、保護者が学校でケアするルールになっています。私も6月まで毎日学校に行きました。
学校で医ケアが必要な場合、共働き夫婦はどちらかがこの期間を休職することが多いと思います」(昌代さん)
昌代さんは看護師でもあります。保護者として小学校での医ケアを経験したことで、学校看護師の充実が必要だと感じたそうです。
「私が住む地域のことしかわかりませんが、学校看護師の数がたりません。だから必要な医ケアの数が多いほど通学へのハードルが高くなります。学校看護師の育成が必要だと感じましたが、それには看護師の待遇改善が必須です。子どもの命を預かる重要な仕事をしてもらうのですから、看護師のモチベーションが上がるくらいの報酬がなければ、なりたいと手を上げてくれる人は増えないのではないでしょうか」(昌代さん)
明愛ちゃん・蒼依ちゃんともに、移動時は子ども用車いすを使っています。「車いすでのお出かけをもっと楽しいものにしたい」と考えた昌代さんとママ友たちは、子ども用車いすマークの制作を始めました。
お話・写真提供/小林昌代さん 取材協力/コルネリア・デランゲ症候群患者家族会、株式会社シナダ 取材・文/東裕美、たまひよONLINE編集部
両親の遺伝子には異常がないことを確かめたうえで2人目を予定したのに、二女も染色体の難病があることがわかり、悲しみに打ちひしがれたという昌代さん。でも、障害児2人の親になる覚悟を決め、「親子4人で楽しく生きていこう」と、気持ちを切り替えたそうです。
インタビューの3回目は、子ども用車いすマークを作ったいきさつや、昌代さんのこれからの活動などについてです。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
小児慢性特定疾病情報センター「18トリソミー症候群」
小林昌代さん(こばやしまさよ)
PROFILE
大学病院、企業診療所で看護師として勤務していたが、医療的ケアが必要な長女が保育園に入れず退職。その後も社会とのつながりを求めてパートタイムで勤務。医療的ケア児等コーディネーターの資格を取得。「HappinessforYou おでかけが楽しくなりますように♡」をコンセプトに、specialneedssupportで障害者の存在理解のための啓発活動を行い、非営利団体の設立も目指している。
コルネリア・デランゲ症候群患者家族会のHP
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年7月の情報であり、現在と異なる場合があります。