愛子さま 「プリンセス アイコ!」と止まぬ声 高まる存在感と内親王としての「格」

 天皇、皇后両陛下の長女の愛子さまは、5月8、9日と大阪・関西万博を視察した。同月3日には、災害医療に関する国際学会の式典で初のおことばを述べており、中旬には能登半島地震の復興状況を視察するために石川県への訪問、6月には沖縄への慰霊が予定されている。公務が忙しくなる愛子さまだが、天皇家の内親王という立場もあり、公務選びは想像以上に大変なのだという。

*    *     *

「プリンセス アイコ」「プリンセス」

 愛子さまがはじめて「おことば」を述べた日、式典の会場となった都内ホテルのロビーには、日本のプリンセスをひと目見ようと、外国人旅行客や海外から学会に出席した人びとが集まった。式典が終わり、ロビーに愛子さまが降りてきた。

 愛子さまは、集まった人びとに視線を合わせると軽く頭を下げ、にっこりとほほ笑んだ。

 玄関口で、関係者へのあいさつからスマートに車に乗り込む愛子さま。ご自身の手が顔にかからないよう角度を調整して手を振るなど、一連の所作もますます洗練された印象だ。

 スマホを手にしていた海外からの人びとは、「プリンセス アイコ」と、終始ニコニコしながらその名を口にし、その姿を撮影していた。

 父である天皇陛下が初めておことばを述べたのは、当時の成年式を迎える前の19歳の夏。

 1979年8月に、初めておひとりで北海道の洞爺湖畔で行われた北海道スポーツ少年大会の開会式に出席し、初の「おことば」を述べられた。少年たちに向けた言葉であったため、ご自身のクラブ活動を通じた体験をおりまぜながら、「わたしが出会った優れたリーダーは、ひとり一人をしっかり把握し、ある時は厳しく、ある時はメンバー全員を包み込むような温かさをもって導いていました」と、リーダーという役目について話をされていた。

 

 愛子さまは、日本赤十字社での勤務経験とおひとりでの地方公務経験を積んだのち、23歳で初の「おことば」となった。災害医療や緊急人道支援といった内容だけに、陛下のようにご自身の体験を交えということはなかった。しかし、災害医療の現場について、

「急性期医療の提供にとどまらず、高齢者や障害者、外国人、妊産婦や乳幼児など、特にサポートを必要とする方々への支援体制の確立や、被災者への心の含む健康維持のための中長期的な支援も不可欠です」

 と、日々の研鑽が伝わるような内容だった。

 春から秋にかけては、全国で行事が多くなることから天皇陛下をはじめ皇族方も公務が忙しくなる時期だ。

 愛子さまも5月8、9日は大阪万博、5月の中旬には能登半島地震の復興状況を視察するため、石川県への訪問。そして、6月4、5日には両陛下とともに、戦後80年にあたり戦没者の慰霊のために沖縄を訪問することが公表されている。

 忙しくなる愛子さまだが、皇室の公務を選定するのは、そう簡単ではないようだ。

 たとえば、浩宮時代の天皇陛下も、公務の選定においてちょっとした騒動が起きたこともあった。初めての「おことば」の翌80年、群馬県の榛東村にある自衛隊の相馬原演習場でボーイスカウト日本連盟が主催するキャンポリー(キャンプ大会)が行われた。

 浩宮さまも泊まりでの出席が決まっていたが、開催のおよそ一週間前に連盟側から「お出まし願いを取り下げたい」と宮内庁に連絡があり、急きょ中止となった。

 中止の理由は、キャンププログラムの中に「戦車を知ろう」という企画があったことだった。当時の報道を見ると、背景についてこう書かれている。

〈キャンプで『国防教育』を行うことになりはしないかなどと議論となり、同庁の内外からも、「今年2月の成年式以来、さわやかなイメージで国民に親しまれている宮さまを政治対立に巻き込んでキズをつけるべきではない」という意見が出ていたところだった〉(1980年7月29日付朝日新聞)

 令和の現在、反皇室闘争やゲリラ闘争が頻発していた当時ほどの緊張感はない。ただし、いまは別の悩みがあるようだ。

「主催者から多くのお出まし願いがあっても、宮内庁は慎重に選定せざるを得ないでしょう」

 そう話すのは、宮内庁職員を長く務めた皇室解説者の山下晋司さんだ。

 公務は、皇族ごとに担当が決まっている。令和への代替わりの際に、全国植樹祭などの三大行幸啓や戦没者追悼式といった主要公務を両陛下が引き継ぎ、当時の皇太子ご夫妻が担ってきた「七大行啓」といった主要な地方公務の一部を秋篠宮ご夫妻が引き継いだ。

 また、秋篠宮家の長女の小室眞子さんが結婚したのちは、主に妹の佳子さまがその名誉総裁職や公務を担っている。

 そして、愛子さまは24年春に大学を卒業して以降は、日赤に勤務をしながら公務を務めている。

「もちろん成年皇族としての公務が優先されますが、天皇家の内親王にふさわしい内容であるか、という点が重要です。すでに他の皇族方が担っておられる公務を引き継ぐという訳にはいかないでしょうから、単発というか不定期であって、愛子内親王殿下のご関心やライフワークに沿ったものが多くなっていくのではないでしょうか」

 愛子さまが初の「おことば」を述べる機会となった、「世界災害救急医学会」の式典は、各国の持ち回りで開催されるため東京では26年ぶりの開催であることに加え、愛子さまが勤務する日赤の活動内容との相性もよく、まさにその条件に当てはまる公務であった。

 

 また、難しいのは、女性皇族としての愛子さまの立場だという。

 国会では皇族数の安定的な確保策を巡って各党が議論を進めるなか、女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持することについては各党ともおおむね容認する立場をとっている。

 しかし、女性は結婚により皇室を離れると定める皇室典範の改正が、どのタイミングに行われるかは未定だ。

 公務の取りまとめを行うのは宮内庁だが、公の役所である以上、杓子定規に動かざるを得ない部分がある。

「宮内庁は、現行の皇室典範の規定に基づき、『愛子内親王殿下はご結婚によって皇室を離れる』ということを前提に、公務や総裁職への就任について考えなければなりません」(山下さん)

 高円宮家の三女の守谷絢子さんのように、名誉総裁を務めていた「日加協会」や「日本海洋少年団連盟」に、結婚後も引き続き名誉副総裁や名誉副総裁として携わっている元皇族女性の例もある。

 ただ、内廷皇族である愛子さまの立場は、より責任が重い。法改正が間に合わない場合、数年で担当の公務や総裁職を辞めることになるため、より慎重にならざるを得ないのでは、と山下さんは感じている。

「天皇陛下は以前から、『時代にあった公務の在り方』について言及されています。皇室典範の改正とは関係なく、愛子内親王殿下が関心を持っておられるボランティア活動や防災、また古典文学に関することなど、柔軟に公務の幅を広げていかれることは、皇室にとってもご本人にとってもよいことだと思っています」 

 大阪万博の会場では、愛子さまをひと目見ようと、大勢の人たちがパビリオン前などに集まり、愛子さまフィーバーが巻き起こった。

 さらに戦後80年となる今年は、沖縄への慰霊も控えており、愛子さまの存在感がますます高まりそうだ。

(AERA 編集部・永井貴子)