同盟国から一転、不俱戴天の敵になったイスラエルとイランとは
昨日の友は今日の敵?

いまや不倶戴天の敵となってしまったイスラエルとイランだが、実は友好関係を保っていた時期がある。
1948年にイスラエルを国家承認したイラン

1947年、パレスチナを分割し、イスラエルを建国するという提案が国連においてなされたとき、イランはこれを拒否した。しかし、第一次中東戦によってユダヤ人が占領地を拡大すると、同国はイスラム教徒が多数派を占める国家としては2番目にイスラエルを承認することとなった。
イスラエル建国は紛争の原因になると危惧

当初、イランがイスラエル建国に反対したのは、これが長年にわたる紛争の原因になると考えたためだ。
ナクバ

第一次中東戦争の結果、70万人あまりのパレスチナ人が難民化し、住む場所を奪われてしまった。なお、アラブ諸国はこの事件を「ナクバ(大惨事)」と呼んでいる。
イラン人の関心事はパレスチナで暮らすイラン人

しかし、当時のイランにとって、おもな関心事はパレスチナ人の受難ではなく、それまでパレスチナで暮らしていたイラン人2,000人のことだった。
敵の敵は味方?

一方、イスラエルのベン=グリオン首相はアラブ系以外の中東国家と連携するという戦略をとっており、イランとの関係強化に乗り出した。
エジプトやイラクと対立していたイラン

当時、イランはエジプトおよびイラクと敵対しており、イスラエルとは共通の敵を抱える立場だったのだ。
石油と武器を交換

冷戦時代、イランはイスラエルにとって主要な石油供給国となった。一方、イスラエルはイランに武器やテクノロジーを提供した。
情報機関同士の協力

王政時代のイランには「SAVAK」と呼ばれる情報機関があったが、これはイスラエルの情報機関モサドの協力のもと設立されたものだ。さらに、両者は機密情報を共有していたという。
イラン革命で関係悪化

しかし、1979年にイラン革命が発生すると、両国関係は一転し、悪化の道をたどることとなった。
イスラエルは「小悪魔」?

イランはイスラエルを「小悪魔」と呼び、敵視するようになってしまった。もちろん、「大悪魔」は米国である。ただし、イスラエルとイランの関係がこれで完全に途切れたわけではない。
裏では貿易を続けていた両国

『ニュー・ラインズ』誌によれば、イランは表向きにはイスラエルの存在そのものを否定する立場を取りつつ、裏では数百万ドル規模の貿易を続けていたのだ。
イランに対する武器供与

また、イスラエルとイランは互いに相手側の国民を入国拒否するようになっていたが、イラン・イラク戦争の際、イスラエルはイラン側に1億ドル規模の武器供与を行ったとされている。
代理勢力を利用するようになったイラン

ところが、1982年にイスラエルによるレバノン侵攻が発生すると、イランはヒズボラへの武器供与を開始。さらに、イエメンのフーシ派やガザ地区のハマスといった武装組織を自らの代理勢力として利用するようになっていった。
ついに関係を断った両国

1988年にイラン・イラク戦争が終結すると、それまで水面下で続いてきたイスラエルとイランの関係は完全に断たれてしまう。これによって、ヒズボラはイスラエルの安全保障を脅かす存在になってしまった。
パレスチナの大義

イラン出身の活動家、トリタ・パルシ氏いわく、当時のイランは「イスラム世界における主導的立場を確立し、米国と同盟を組むアラブ諸国を出し抜くため」に、パレスチナの大義を掲げていたという。
イスラエルとイランがついに交戦

1990年代以降、イランは地域大国として核兵器の保有を目指すようになり、イスラエルとの対立が先鋭化。今年6月、ついに交戦に至ってしまった。
The Daily Digest をフォローして世界のニュースをいつも手元に
イスラエルによる奇襲攻撃

現地時間6月13日、イスラエルがイランの核施設を狙って奇襲攻撃をかけ、さらに各科学者やイラン軍幹部らの殺害に及んだのだ。これに対し、イラン側も報復攻撃を行った。
米国もイランの核施設を空爆

現地時間6月22日未明には、米国がイランの核施設3か所に空爆を加えたと発表。翌23日、イランはカタールにある米軍基地に向けてミサイルを発射、ただし死傷者は出なかったとされる。これにより戦闘が激化するかとも思われたが、6月24日になり米トランプ大統領が、イスラエルとイランは停戦で合意したと発表した。
軍事衝突は12日間で収束

イスラエルのイラン攻撃により始まった軍事衝突は12日間で収束に至ったが、発表によればイスラエルには28人、イランには1,062人の死者が出ている。今後の両国、そして関係国の在り方が模索されている。