YOSHIKIの指摘で話題『ダンダダン』と「紅」の“オマージュかパクリか”論争。鈴木おさむが考える現代エンタメの矛盾

ABEMAの「アニメ週間ランキング」でも視聴数1位を獲得したアニメ『ダンダダン』の劇中歌について、YOSHIKIさんが「X JAPANの楽曲に似ている」と投稿。「オマージュかパクリか」論争が起きている。YOSHIKIさんはその後、一連の投稿を削除。『ダンダダン』公式SNSも騒動を謝罪した。

元放送作家・鈴木おさむ氏は、「受け取る側の気持ち次第」と持論を展開する(以下、鈴木氏による寄稿)。

写真/産経新聞社

◆「愛を持って作った」の主張が通用するのは?

TVアニメ「ダンダダン」の劇中歌、「Hunting Soul」がX JAPANの「紅」に似ていると話題になっている。YOSHIKIさん本人がSNSで「何これ? X JAPANに聞こえない?」と苦言を呈したことで、一気に炎上モード。SNSでは「オマージュだからいいじゃん」という声もあれば、「いや、これはパクリだろ」という意見も。オマージュとは、本来リスペクトや敬意を込めて引用すること。パクリは、相手の作品を自分の利益のために無断で利用すること。

この定義でいえば違いは明確だ。けど、そこに加わるのが“受け取る側の気持ち”だと僕は思う。制作者がどれだけ愛と敬意を込めたつもりでも、受け取る側が「イジられてる?」と感じたら、もうそれはオマージュと呼べないのではないか? 作った側が「愛を持って作った」と主張しても愛があれば大丈夫なのか? というと、そこは疑問だ。もしファンがSNSにアップした“替え歌動画”だったら「愛だね」で済む。でも今回の場合は公式が出したもので、そこにはビジネスが絡む。ビジネスに乗った瞬間、愛やリスペクトだけでは守れない領域に入ってしまうはずだ。

だからこそ本来なら、仁義を切るように事前に一言「こういう形でオマージュさせてください」と伝えておくべきだったのかもしれない。許可を取るというよりも、「やりますね」と通知をするだけでも違ったと思う。ただ、その“仁義切り”という発想自体が、今の時代にそぐわなくなっているのだろうか。アニメを制作する中で、昔のように「お伺いを立てる」という悠長さはないのかもしれない。

◆過去に参加した番組制作の現場でも

僕が構成で参加していたバラエティ番組で、昭和の人気番組を「愛を持って」オマージュしたことがある。リスペクトしていることも番組内で伝えていた。だが放送後にその制作プロダクションからクレームが来て大きな問題になり、しっかり対応することになった。こちらがオマージュだと主張しても、元の番組を生み出すまでにたくさんの努力があったわけで、それを「オマージュです。愛がありました」だけでは見過ごせなかったのだと、今は思う。

とはいえ、今回の件でひとつだけ間違いなく言えることがある。それは、結果的に『ダンダダン』も、そして「紅」も、めちゃくちゃ話題になったという事実だ。SNS上で拡散され、「観てみよう」と思った人が増え、認知度は大きく上がった。愛とリスペクトだけでは守れない時代に、それでも“注目を集める”こと自体が功を奏してしまう。そこに、現代のエンタメのやや皮肉な現実があるのかな。

鈴木おさむ

<文/鈴木おさむ>

【鈴木おさむ】

すずきおさむ●スタートアップファクトリー代表 1972年、千葉県生まれ。19歳で放送作家となり、その後32年間、さまざまなコンテンツを生み出す。現在はスタートアップ企業の若者たちの応援を始める。コンサル、講演なども行っている