47歳でテレビ局を辞めてタイに移住した日本人女性。“物欲まみれだった自分”から“お金をかけなくても楽しめる暮らし”へ
今の日本社会のなかで、将来の展望を描きづらいと感じている人も少なくないだろう。そんな中、25年以上勤めたテレビ局を退職し、47歳で言葉も地縁もないタイ・バンコクへ単身移住した女性がいる。
現在は、バンコクで働きながら自身で立ち上げたYouTubeチャンネル「JaPhai」を運営する田中資恵(ともえ)さん。彼女がタイに住むまでには、どのような心境の変化があったのだろうか。
◆テレビ局での激務を経てタイ移住を決意
田中資恵(ともえ)さん
愛知出身の田中さん。地元の短大を卒業後、名古屋のテレビ局に25年以上勤務し、AD、FD、ディレクター、プロデューサーからキャスティングまで、番組制作のほぼすべての役割を経験。その後、東京支社編成部に転勤し、7年間ドラマの宣伝を担当した。
「東京に来て、キー局と同じ土俵で戦いたいという強い意識がありました。“ローカル局出身だから”と思われたくなくて、常に新しい宣伝企画に挑戦していました。しかし、7年目を迎えた頃、だんだん同じことの繰り返しに感じてきたんです。『もうテレビの仕事はやり切った』という気持ちが芽生えて、自分は『このままでいいのか?』という葛藤がありましたね」
そんな中で、フリーランスで東京に残るか、思い切って海外でゼロから始めるか。その二択から出した答えが後者だった。
「私にとって海外は未知の世界。でも、偶然にも後輩が旦那さんの赴任でタイに住んでいて、一度訪ねてみたら、日本人が住みやすそうだと思って。特にバンコクは日本人が住みやすい環境で『ここなら暮らせるかもしれない』と。日本の忙しい生活から離れて心機一転したく、思い切ってタイで挑戦してみようと思いました」
◆タイで就職するも給料は5分の1に
バンコクの日系不動産に勤めていた頃の田中さん。YouTubeの撮影中
生活準備はほとんど行わず、スーツケース2つだけの荷物でタイに移住したという田中さん。不安などはなかったのだろうか。
「根拠のない自信だけはありました。もしもダメでも日本に帰って制作関係の仕事をフリーランスでやればいいかなって。日本でも周りの人に恵まれていて『いつでも戻ってきていいよ』と言ってくれていたので。
ただ、テレビ局時代に持っていた高級バッグや車、マンションなどはすべて手放しました。いざ日本に戻ってきたときに今までの生活水準を下げられないと思ったので。タイでは住まいと最低限のものだけがあればいい、これまでの自分を一度リセットして、何もかも捨ててタイに行こうと」
タイでは、日本でのキャリアを評価され、バンコクの日系不動産企業に入社。映像制作の経験を活かして宣伝用のYouTubeやポスター制作に携わった。ただ、働き方や待遇は日本と大きなギャップがあった。
「給料も良い方とは聞いていましたが、実際はテレビ局時代の約5分の1に。でも、一番驚いたのは月に6日しか休みがないこと。正月休みもなく、さらに転職後すぐにコロナ禍になり、給料が35%カットされ……。さすがにこのときは、家族や大切な人と会えなくなるのではないかと不安になりました」
◆ストレスを抱える日々の中で見つけた“そのとき”を楽しむ暮らし
タイで徳を積むという意味の“タンブン”はタイの伝統儀式でもある
さらに、田中さんを悩ませたのは言語の壁だった。
「会社では通訳をつけてくれたので環境としては恵まれていましたが、やっぱり微妙なニュアンスが伝わらなかったり、自分の気持ちをうまく表現できなかったりすることが多かったんです。
日本語ではとても丁寧で誠意を感じさせる言葉でも、英語やタイ語にするとストレートに伝わってしまって、そのぶん、誠意が欠けているように受け取られてしまうこともありました。自分が発する言葉のチョイスには本当に悩みましたし、なかなか語学が身につかない自分にイライラすることもありました(笑)」
給料も減り、言葉の壁にストレスを抱える日々。そんな中で心の糧となったのが、タイならではの“お金をかけなくても楽しめる暮らし”だった。
「ローカル市場で安い野菜を買ったり、ドン・キホーテでお肉の安売り日を狙ったり、スーパーのポイントデーに合わせて買い物をしたり。そんな日々の小さな工夫が楽しくなっていったんです。何でも簡単に手に入ったテレビ局時代より、ずっと人間らしい。忙しさに追われ、虚しさを感じていた日本での日々とはまるで違って、生きている実感が湧きましたね」
では、言葉の壁からくるフラストレーションはどうやって乗り越えたのか。
「タイで仕事をするうえで、語学ができるとやはりスムーズです。最初の就職先では午前中に3ヶ月間語学学校に通い、その後はプライベートレッスンも受けましたが、今でもビジネスでの読み書きはできません。それでも、タイの人たちが“できないこと”よりも“できること”に目を向け、その瞬間を楽しんで生きている姿に学びました。そこから、“言葉が話せない=マイナス”ではなく、むしろ話せないからこそ自分にできることを探そうと前向きに捉えるようになり、気持ちがとてもラクになりましたね。
◆タイと日本をつなぐYouTubeチャンネルのディレクターに
撮影から編集まですべて自分で行う
不動産企業に1年半勤務した。不動産企業に在籍中、仕事で関わった会社の社長から声を掛けられ、条件も良かったことから転職を決意。現在のYouTubeチャンネル『JaPhai』を立ち上げ、タイのグルメや美容、観光情報を日本語とタイ語で発信している。
多くのYouTubeチャンネルが固定出演者を中心に構成されるなか、「JaPhai」では元アナウンサーや現役CA、タレント、駐在員の妻、学生など、多彩な顔ぶれがボランティアで参加している。最近では、出演者のひとりがシンガポールのテレビ局CNAから取材を受けるなど、海外からの注目も高まりつつある。
「出演してくれる人は本当に多彩で、“面白そうだから出たい”とか“思い出になるから出たい”と、自ら名乗り出てくれる方もいます。本当にありがたいですし、このチャンネルが人と人とをつなぐ場になっていると実感します。やっぱり地元の人とのふれあいは反響も大きくて、そこはテレビの世界とも通じる部分だと思いますね」
編集はテレビ局時代の上司のアドバイスが生かされているという。
「自分の基準と他人の基準は同じではないので、『これは知っているだろう』という前提ではなく、常に視聴者の目線を意識しています。ただ情報を伝えるだけじゃなく、視聴者にとっても出演者にとっても心に残る、そんな“人をつなぐチャンネル”にしていきたいですね」
また、「JaPhai」とバンコクで人気の日本人オーナーがデザインを手掛けるジュエリー雑貨店とのコラボで生まれた商品もある。
田中さんの企画で生まれた「“タイあるある”ポーチ」
「私の目標は、タイと日本をつなぐチャンネルにすること。その取り組みのひとつとして、日本人から見て“ちょっと驚くようなタイのあるある”をイラストにしたポーチを企画しました。たとえば、『コンビニ前で涼む犬』や『ドリアンは“地下鉄持ち込み禁止”』といったイラストがデザインされていて、タイのお土産としてはもちろん、タイ在住の日本の方からも好評ですね」
コラボ商品をきっかけにジュエリー雑貨店のオーナーから声が掛かり、現在はYouTubeの運営と並行して活動している。
◆タイの魅力は「お金やモノより本当の豊かさを感じられること」
今年で在住6年目になる田中さん。タイの魅力を聞いた。
「“マイペンライ(大丈夫)精神”ですね。最初のころは、遅刻や注文ミスに思わずイライラしてしまうこともありました。でも今では、そのおおらかさこそが心地よく感じられるんです。以前のピリピリした自分が丸くなり、先のことをあれこれ心配するのが無意味に思えるようになりました。
日タイハーフの友人が言っていた『日本人は生活のために働くけど、タイ人は遊ぶために働く。今を楽しむためなんだ』という言葉も印象に残っています。文化の違いを受け入れ、自分と向き合う力を得られたことこそ、タイで暮らして良かったことだと思います」
自身の過去を振り返りながら、現在を照らし合わせてこう続ける。
「日本にいた頃の私は完璧主義で、他人の仕事まで引き受けてはイライラし、休みなく働き続けることもありました。でもタイに来て周りを見たとき、みんな自然に優しく笑っていて、誰かができなくても『しょうがないよね』と思えるようになったんです。テレビ局時代は、一生懸命働いて得たお金で物を買って物欲まみれだった自分。物で溢れた生活をしていても満たされず、『これって本当に自分が望んでいたことなのだろうか?』と気づいた瞬間がありました。振り返れば、周りの人にどう見られるかを考えているからだなと……本当の意味で“自分軸”を持てていなかったと思います」
◆やり直すのに必要なのは“勇気と自分を信じる力”
田中さんは、タイでの精神的な余裕や充実感を強調する一方、安易に「タイで人生をやり直したい」と移住を考えている人には、注意点もあるという。
「テレビでよく紹介される『安い家賃で豪華に暮らせるタイ』というイメージは、半分は正しくて半分は違います。バンコクの物価は上がり、日本と同じように生活しようとすれば、日本以上にお金がかかることもあります。また、ここで就職しようとしても実際にはビザやワークパーミットを出さない悪質な会社もあるので、事前の下調べは必須です。準備を怠ると思わぬトラブルに巻き込まれることもあるので注意が必要ですね。安易に『楽しそう』『安く住める』と思ってタイに来ても、現実を知って帰国する人も少なくありません。
人生のやり直しは、国や年齢に関係なく誰にでもできます。私も47歳で移住しました。必要なのは勇気と自分を信じる力。自分を信じるとは、自分なりの自信を持つこと。自分が本当に大切だと思うことを軸に、他人の基準や視線に振り回されずに生きてほしいですね」
【田中資恵(ともえ)】
名古屋のテレビ局に25年以上勤務し、AD、FD、ディレクター、プロデューサー、キャスティングなど、番組制作のほぼすべての役割を経験。その後、東京支社の編成部で7年間ドラマの宣伝に携わったのち、単身でタイ・バンコクへ移住。現在はジュエリー雑貨「toanoi」に転職。企画・宣伝・動画制作などを担当しながら自身で立ち上げたYouTubeチャンネル『JaPjai』運営。Instagram:@tomoe.tanaka.bangkok
YouTube:JaPhai〜ジャパイ〜
Instagram:@japhai_bkk
<取材・文/カワノアユミ>
【カワノアユミ】
東京都出身。20代を歌舞伎町で過ごす、元キャバ嬢ライター。現在はタイと日本を往復し、夜の街やタイに住む人を取材する海外短期滞在ライターとしても活動中。アジアの日本人キャバクラに潜入就職した著書『底辺キャバ嬢、アジアでナンバー1になる』(イーストプレス)が発売中。X(旧Twitter):@ayumikawano