「スポーツではなく奇妙な祭祀」国民的イベント「甲子園」が持つ異様なまでの伝統と求心力
高校野球は「何」を必死で守っているのか
高校野球は、なかなか変わらない。
どこか、必死で変わらないようにしているように見える。
夏の風物詩として眺めているが、あらためてみるとけっこう奇妙な存在である。
今年も夏の甲子園大会が開かれているが、今年の試合をモノクロにして、昔の映像です、と流されても、気がつかないようにおもう。もしくは30年前の試合を今日の結果ですと見せられても納得しそうである。
ヘルメットとか、捕手の防具とか細かいものは変わっているが、それを避けてうまく編集したら、わからないだろう。
髪型がいまどきの若者ではない選手が多く、ユニフォームもあまり変わっていない
古風なものを守り続けている。
なぜ昔のものを守っているのですか、と聞いてみれば、たぶん「伝統なので」と答えてくれそうである。
伝統を守るとはどういうことなのだろうか。高校野球は何を必死で守っているのだろうか。

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「伝統を守る」ひとつの理由
伝統を守っているものはひとつには「その発祥を忘れないため」ということがある。
コトの始まりを長く伝えるため、発祥当時のものを変えないで伝えていく。
何年前のできごとであっても、そのコトを時を超えて運んでいくために変えない。
それが「伝統を守る」ひとつの理由である。
お祭りはそうである。
祭が発祥した当時のスタイルを守って、そのまま続ける。

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二百年、五百年を超えていまに続く「お祭り」はみな、いまどきではない衣装を纏い、いまどきではないご神体を護ったものを担ぎ、そのあたりを歩く。
お祭りを執り行う人たちは、古いスタイルと、古いものを守るのが大事だとおもっているし、まわりの人も信じている。
高校野球スタイルはそれに似ている。
日本での野球の発祥(伝来)は明治時代、中等学校野球としていまの高校野球大会が始まったのは大正初期。
そのころのスタイルを守って、大正時代の球児に恥ずかしくないように、そのスタイルを守っているようにも見える。
それはそれでいいとおもう。
でも同時に、なんで、ともおもう。
我が国の「野球」の歴史
職業野球は、つまりプロ野球はまったくスタイルが違う。
ユニフォームが派手だし、髪型も派手だし、髭もたくさん生やかしている。攻守交代のときなどの動きはあまりキビキビしていない。(キビキビ選手もいますが)。
それとの区別をつけたい、という意識はあるかもしれない。
ちなみに我が国の「野球」は、アマチュア野球が先に広がり、プロ野球ははるかに後輩である。
職業野球が定着したのが昭和になってから、リーグ戦を始めたのは昭和11年からである。明治時代に始まった大学野球や、大正に入ってすぐ始めた高校(旧制中学)野球大会がにくらべてずっと遅い。
しかも最初は大学野球のほうがはるかに人気が高かった。
昭和の中ごろまでは、おそらくアマ野球は、職業野球を新参ものなんだからという気分で見ていたようにおもう。
だが、大東亜戦争として始まって負けて太平洋戦争と呼称される戦争のあとは、プロ野球に人気が集まりだし、長島茂雄(長嶋ではなく長島)の出現後は、プロのほうがアマ野球の人気を凌駕する。
そのおり、プロ側が規定を守らず、自分たちの利益を優先してアマ球団から勝手に選手を引き抜いた。
アマ野球界は激怒した。そしてプロ球界と断絶した。
発端はたしかにプロが悪い。
でもそれを数十年を超えて断絶しつづけるアマの態度もあまり大人とは言えない。
昭和時代後半の断裂は酷かった。徐々に回復してはきたが、でも野球界全体でひとつにまとまっている、というのにはほど遠い。

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野球だけが完全に特別扱い
もともと高校野球精神はその断裂とは関係ない。
断裂以前にも「溌剌とした高校野球」は展開されてプロ野球とは別の人気であった。
でもその歪な断裂が続き、アマであるかぎりはプロと接触しないようにという指令が広く行き渡り、高校野球界の基調に染みこんだとおもわれる。高校生はプロ選手のようには振る舞わないように、言葉にはしないが、そういう雰囲気がずっとある。
高校野球は高校生の部活でしかない。その全国大会である。
部活の数だけ(競技部の数だけ)こういう大会は開かれているわけで、野球だけが完全に特別扱いである。全国大会は全試合完全中継されるし、地方大会も場所によってはローカル局で中継される。かなり異様である。
いまのところは許容されている。
「多くの日本人が楽しむイベント」と見られているわけだ。
夏の甲子園での全国大会が開かれているのは、8月上旬から20日すぎでお盆休みと重なっている。
帰省してお墓参りにいく季節でもある。
祖父母の家の見慣れないテレビで高校野球を見た、という記憶のある人もいるだろう。
戦争回顧と野球の関連性
また、戦争回顧のシーズンである。
8月6日と9日の原爆に日があり、15日に終戦の日がある。
8月15日の正午には甲子園球場でも試合を中断して黙祷が行われる。(2025年は第2試合開始前なので中断はなかった)
8月15日にかぎらず、国民が「死をおもう」シーズンである。
その心情と「大正時代からそんなに変わらないスタイルで続けている大会風景」とはとても親和性が高い。
「死をおもう」ことは同時に「しかし社会は続いていく」ことで、それを実感するのと表裏になっている。
「田舎に帰省して、お墓参りをして」そして「見たいわけではないけれど何となく高校野球中継が流れている」というのは、何となくそういう心情とシンクロしている。
帰省も墓参りもなくても、「戦争特集」で死んだ兵隊さんたちの若かったことを見て、翌日に高校生野球部員が懸命にプレーしているのを見れば、「死をおもい、社会は続く」ということをトレースしているようでもある。
このあたりの空気がまた、高校野球側に影響を及ぼし、なるべく昔ふうの伝統を続けたほうがいい、という空気を醸成しているように見える。

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奇妙な熱気を作り上げたシステム
私が高校野球を見始めた昭和40年代は、まだ一県一代表ではなく、また完全中継もされていなかった。でも昭和50年代に一府県一代表となり(都と道は二代表)、日本に住んでいるならどこかかのチームに肩入れしやすくなって、どの試合も完全中継される。
奇妙な熱気に包まれてしまった。そのシステムが50年近く続いている。
高校野球は、何重かの「よくわからないもの」に包まれている。
大正からの伝統(卒業して2年で兵隊さんになる時代の雰囲気)や、昭和中期の勘気(職業野球とは完全に違う存在であるアピール)、昭和後期の熱気(全国を均等に扱おうとする全国的熱気)が加わり、誰のためのものかわからない「奇妙な祭り」が出来上がった。
死者の時期とかぶって、「祝祭」ではなく、「祭祀」として執り行われている雰囲気である。
ちょっといろいろ意味がわからない。
でも伝統になることによって、アンタッチャブルな雰囲気を勝手に纏っている。
高校生の部活だからぜんぜんアンタッチャブルじゃないだけどね。でも祭祀だとおもっている信者たちには神聖さが見えているようだ。
たぶん、そこで行き違いが起こる。
高校野球精神を愛する人と、意味がわからない人は昔からずっと行き違ってきた。
土着的で、祭祀的で、競技で、スポーツで、観客が多く、高校生を中心として応援がまた華やかで、注目をあびる。そういう祝祭性を帯びた「祭祀」のようである。
大正の伝統は昭和には受け継がれて、昭和の伝統は平成に受け継がれた。
そして平成の伝統はそのまま令和にも受け継がれるのだろうか。
長く浸透しているシステムは、そっちに気を取られると変えにくくなる。
でも高校生に部活動の集大成でしかないのもたしかである。