驚くほど精密な偵察機

航空偵察機の開発は1800年代後半に遡り、当時は繋留された観測気球が戦場での大砲や軍隊の動きを調査するために使用されていた。しかし、紛争地域を偵察するために航空機を使用するという考えが実際に広まったのは、第一次世界大戦中のことだった。第二次世界大戦までには、正確な航空偵察機が敵の砲座とロケット発射場の位置を特定する役割を果たしていた。その後、冷戦の真っ只中に、偵察機がキューバに設置されているミサイルを発見した。しかし、銃の代わりにカメラを装備して敵地の上空を飛行するには、並外れた飛行術と勇気が必要であり、パイロットはシャッターを押す前に撃墜される可能性から常に耐え忍んでいたのだ。彼らの経験は、戦時中の航空写真の歴史そのものと同様の説得力のある、義務と決意の素晴らしい物語である。
このギャラリーを通して、戦時中の航空偵察の危険な技を見て行こう。
初の軍事観測

世界初の軍事観測気球ラントレプレナントは、1794年6月26日にフランス共和国軍によってフルールの戦い中のオーストリアとオランダの連合軍を観測するために打ち上げられた。これは制空権によって勝利した初めての戦いとなった。
アメリカ南北戦争を見下ろす

ハトの写真家

20世紀初期、ドイツの科学者ジュリアスグスタフ・ノイブロナー(1852〜1932)によってハトによる写真撮影が導入された。彼はそれまでハトを使って薬を届けていたが、1907年に軽量で小型のタイムシフトカメラをハトに付けるというアイデアをひらめいた。当時は戦争のない時に、航空写真を撮影するために使用され、戦争中に写真を撮影するためにハトを配備することは困難であると考えられたが、伝言手段として広範囲で使用された。とにかく、空からの航空偵察はまだまだ始まったばかりであった。
初期の航空偵察

ここに写っているのは、戦時中に撮影された最初の航空写真の一つである。1911年、伊土戦争中のリビア上空で撮影された。この紛争は、史上初めて重航空機から空中爆弾が投下されたことで知られている。
ヨーロッパ初の偵察飛行

1912年10月、ブルガリアのアルバトロス軍用機(写真)は、1912年から1913年のバルカン戦争中、バルカン半島のトルコ戦線に対する戦闘状態で、ヨーロッパ初の航空偵察出撃を行った。
第一次世界大戦

航空写真の使用は、第一次世界大戦中にあらゆる陣営に広く取り入れられた。紛争の初期には、戦場を偵察するために繋留された観測気球と監視飛行船が使用された。
危険な任務

砲兵監視員の任務は危険が伴うものだった。こちらの写真の通り、ヘリウムが満たされた布製の風船の下に吊るされた彼は、敵の砲火と変わりやすい天候にされるがままの状態であった。
航空偵察機の搭乗

フランス人は戦争の初めから飛行機にカメラを組み込んでおり、航空偵察の先駆者と考えられていた。この写真には、ドイツ軍戦線の深い溝と地雷と砲弾クレーターの位置が写し出されている。
技術と能力

1914年半ばまでに、航空機は偵察や砲兵の発見に使用されるようになった。カメラは重くかさばる為、良い写真を撮るには熟練した飛行技術と、銃火の中でも効率よく作業できる有能な操縦士が必要だった。ここでは、英国航空軍団の軍曹がBE2c航空機の胴体にC型航空偵察カメラを固定して実演している様子である。
戦場の真上の偵察隊

航空偵察は、部隊の動き、そして多くの場合、毒ガス攻撃の方向と速度を観察するために不可欠だった。写真は東部戦線でのドイツ軍による化学攻撃。
航空測量任務

敵対行為の停止により、勝利した連合国は、地図の修正と改善を援助し、ヨーロッパの荒廃した風景を調査するために、航空機を広範囲で使用した。
第二次世界大戦

第二次世界大戦の勃発までに、航空技術と写真技術の進歩により、航空偵察は新しい戦術と新しい手順が導入された。空軍力の重要かつ不可欠な要素となった。写真は、飛行中に搭載カメラを操作するイギリス海軍航空艦隊の隊員である。
隠れ場所を見つける

イギリス海軍航空隊は、1942年7月17日のこの写真で、ノルウェーのナルヴィック・ボーゲン・フィヨルドに停泊しているドイツ戦艦ティルピッツの隠れ場所を明らかにした。
第1写真偵察部隊

連合国にとって、空挺偵察には小型で高速かつ機動性の高い航空機が適していることがすぐに判明した。1940年に編成された第1写真偵察部隊(または1PRU)は、イギリス空軍(RAF)の飛行部隊だった。この部隊には、スーパーマリンスピットファイア、ブリストル ブレナム、ロッキー ハドソン、デ ハビランド モスキートスなど、写真偵察用に改造された様々な航空機が装備されていた。写真は迷彩用に青いカラーリングを施した1PRU スピットファイアである。これは、象徴的な戦闘機の長距離高高速偵察機だった。これらは武器庫を含む多くの部品を剥ぎ取られたもので、パイロットは武器をもたずに飛行することがよくあった。
ペーネミュンデの秘密を暴く

1943年にペーネミュンデでヒトラーのV-1及びV-2ロケットを開発している研究センターの発見につながったのは、スピットファイアによる偵察だった。写真は施設の正確な位置を特定し、その後イギリス空軍によって爆撃された。
破壊されたロケット基地

ドイツ軍の秘密が暴かれ、ドイツ軍はロケット研究施設をフランス北部に移転し、最終的にはV-1とV-2飛行爆弾を発射し、イギリスや他のヨーロッパ諸国の都市を標的にした。そして再び、連合軍の偵察のおかげで、この場所も破壊されたのであった。
モスキート

英国デ・ハビランドのモスキートDH.98(写真)は、写真偵察の役割に優れていた。1PRUが愛用したもう一つの航空機である特殊に改造されたモスキート(1941年には世界最速の運用航空機の一つとなった)は、効果的な爆撃機として使用されるだけではなく、偵察の役割を担うために配備されることがよくあった。写真は、胴体下の航空カメラポートを見せるために旋回しているモスキート。
ダムバスターズ

5月16日から17日にかけて行われた「シャスティス作戦」として知られるq943攻撃において、ランカスター爆撃機がモーネダム、ゾルペダム、エーダーゼーダムを攻撃するために通過する正しい飛行経路を決定する上で、航空偵察が重要な役割を果たした。これは有名なダムバスターズ襲撃であり、戦争中行われた最も大胆な軍事作戦の一つである。
アメリカ空軍の偵察

アメリカ陸軍航空軍の偵察機も、作戦開始日に向けてフランス北部上空を飛行していた。写真は、ロッキードF-5ライトニングで、連合軍が友軍機であることを明確に認識できるよう、インベンジョン・ストライプが塗装されている。
ビーチの上空

ユタビーチ(写真)と上陸予定のその他のビーチの航空偵察写真は、ドイツ軍の防衛陣地を特定する上で重要だった。
キャンプを発見

2人のCIA分析官が、第二次世界大戦の航空偵察フィルムを質の高い現代の写真分析技術を使用して、アウシュヴィッツ強制収容所のビルケナウ絶滅部隊の唯一知られている写真を作成した。この写真は、なぜこの写真が撮影された1944年8月に収容所が爆撃されなかったのかという疑問を生み出した。
朝鮮戦争を偵察

第二次世界大戦時のスティンソンL-5センチネルは、朝鮮戦争を通じてアメリカ陸軍航空隊が敵の陣地を偵察するための観測機として使用した。飛行中は静かだが、速度が遅く、共産主義者の高射砲の標的になっていた。
冷戦時代の偵察

1962年10月のキューバ危機としても知られるようになった時期に、ソ連がキューバにミサイルを設置しようとしていたことが航空偵察によって明らかになった。この写真には、サンクリストバル島の中距離弾道ミサイル基地がはっきりと写っている。施設の様々な場所の詳細を示すラベルが付けられている。
キューバ危機

反論の余地もない配備の写真証拠をアメリカに突きつけられたソ連とキューバ。その後ソ連はミサイルを撤収した。貨物船アノソフがその危険な積載物をソ連に返送しているこの写真は、フルシチョフがカストロに軍事的支援を行っているというさらなる証拠となった。
U-2偵察機

第二次世界大戦後及び冷戦中、米国はソ連の核兵器を監視するために、U-2やSR-71などの専用偵察機をいくつか開発した。1960年、U-2偵察機が極秘の航空偵察任務中にソ連軍によって撃墜された。
U-2事件

U-2事件として知られるようになったこの事件で、同機のパイロット、フランシス・ゲイリー・パワーズはモスクワの裁判所でスパイ罪で有罪判決を受けた。彼は懲役3年と重労働7年の刑が言い渡された。パワーズは1962年2月10日に西ベルリンでソ連諜報員ルドルフ・アーベルと交換され釈放された。
ベトナム戦争の偵察

セレナL-19バードドッグは、ベトナム戦争中にアメリカ軍によって使用された偵察機である。優れた機動性にもかかわらず、戦争中に469機のバードドッグが損失、撃墜され、生き残ったパイロットはほとんどいなかった。
バードドッグの役割

バードドッグはベトコンの集中位置を特定するために使用された。この写真では、南部の2つのアメリカ軍の駐屯地に対するベトコンの攻撃に応じてアメリカ軍と南ベトナム軍によって爆撃された作業場とトラックシェルターの残骸が損傷していないか確認されている。
最速かつ最高

1960年代にロッキードA-12偵察機から開発された米空軍SR-71A、別名「ブラックバード」は、ロッキード社が製造した戦略偵察機である。かつては、世界最速かつ最も高度に飛行可能な航空機としての記録を保持していた。アメリカ空軍は1998年に使用を永久に停止した。
無人航空機の打ち上げ

1980年代以来、世界中の軍隊は航空偵察を行うために有人航空機以外のものに頼っている。無人航空機(UAV)スキャンイーグルは、今日の偵察技術の代表である。写真はそのうち1機が、イラクで発射される前にカタパルトに乗せられた状態で写真に撮られている。UAVは偵察と情報収集のために設計されている。
偵察衛星の時代

現在、軍事目的の航空偵察は主に数百万ドルの衛星によって行われている。2020年の写真は、ケープカナベラルから離陸するデルタⅣロケットである。このロケットには国家偵察局の機密スパイ衛星が搭載されているのだ。
出典: (HistoryNet) (Defense Media Network) (NPR) (Britannica)