息子は発達障害。毎日3時間の睡眠で向き合う日々。障害があっても困らない社会を作りたい…父の決断【体験談】
長男の療育に付き添った日々は、たくさんの学びをもたらしてくれたと北村さんは話します。
元警察官の北村耕太郎さん(42歳)は、2014年長男が生まれた際に、「障害が残るかも」と医師に言われたことをきっかけに警察を退職しました。その後中度知的障害と発達障害があると言われた長男の療育に、毎日付き添い通院する生活を約2年送ります。その経験から「障害があっても困らない社会を作りたい」と、療育支援の会社を立ち上げました。現在は「発達障害や障害があっても困らない社会にしたい」という夢をかなえるため、あらたな挑戦をしています。全2回のインタビューの後編です。
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睡眠時間3時間で子どもの療育に付き添う日々
療育施設では一緒に給食も食べました。
――元警察官の北村さんは、2014年に長男が生まれてから、警察を辞めたとのこと。退職後はどんな生活をしていましたか?
北村さん(以下敬称略) 長男は現在、小学6年生の11歳で、特別支援学校に通っています。
2015年4月、1歳4カ月になった長男はリハビリのため、週5日療育に通い始めました。療育施設には車で片道1時間半ぐらいかかりました。私は毎日3時間程度の睡眠時間で長男に付き添っていました。
当時のスケジュールはかなりハードだったと思います。そのころは夜21時から朝7時までコールセンターのアルバイトをしていました。朝になって帰宅したら、身じたくをして8時半ごろ長男を療育に連れて行きます。
10時前に療育センターに到着後、親子で一緒に療育を受けます。給食を食べて13時半くらいに終わるので帰宅は15時ごろです。そのころ妻の母が家に来てくれるので息子のお世話をお任せし、3時間くらい仮眠しました。それで、夜になるとまた21時からアルバイトに行く日々でした。目がまわるような生活だったなあと思います。警察官時代から睡眠時間が少ない生活に慣れていたので、なんとか乗りきれたように思います
――療育ではどんなことをしましたか?
北村 40分ごとのクラスで、言語や聴覚の訓練、手先の訓練や体の使い方の訓練などを行っていました。基本的に親子一緒の療育院で1クラス5~6人の子どもがいました。
朝、クラスが始まると、みんなで手遊び歌を歌うんです。付き添っているのはほとんどがママでした。
私は、今でこそ療育の仕事をしているので、手遊び歌も普通に歌えますが、当時は警察を辞めて1年ちょっとのころ。それまでとはガラッと違う世界に飛び込んだ感覚でした。
子どもと一緒に歌った経験もなく、親のなかで男性が私1人というときもあり、気恥ずかしくもあったのを覚えています。
でも、そのときにクラスを担当している療育の教員が「お父さん、お母さんが一緒に歌うことで、子どもも一緒に歌うんですよ」と言われました。
療育に通い始めてから1年くらいして、療育と並行して週2日保育園に通い始めました。少しずつ保育園に行く日を増やし、2017年3月に療育を卒業しました。療育には2年間通ったことになります。通っている間に、だんだん言葉も出てくるようになりました。
療育のおかげで、長男のできることも増え、初めての言葉は「デンシャ」
北村さんは、「療育に通うことで、長男のペースでできることが増えた」と言います。
――言葉が出たのはいつごろでしたか?
北村 2歳になったくらいのときです。なかなか言葉が出なかったので心配していました。でも言語聴覚士からは「子どもは自分のタイミングで話し始めるから見守っていてあげてください」と言われていたんです。
そのころ、療育でも家庭でも、私が一番長男と過ごす時間が長かったです。これだけ一緒にいるんだから、最初の言葉は「パパ」だったらいいな、と少しだけ期待していました。
でも、今となっては笑い話ですが、初めての言葉は「デンシャ」でした・・・。確かに長男は電車が大好きなんです。
「やっとおしゃべりした!でも最初の言葉はパパじゃないのかー。そうきたかー!」と、うれしさ8割、予想外な言葉にびっくりが2割という感じでした。
最初の言葉が出てから、どんどんおしゃべりができるようになりました。だんだん「デンシャ」以外の言葉も言い始めるようになり、1語文から2語文に増えていきました。
ほかの子どもを見ていても、言葉が出ない時期も、自分の中ではたくさんお話をしているんだと感じます。その子のペースでおしゃべりする準備をしているように思います。
療育に通うようになってからできることが増えました。おしゃべりをする少し前くらいには少しずつ歩けるようにもなっていたんです。
療育に通い出したときは手をつないで歩いていたのが、2歳を過ぎて1人で歩けるように
最初はおすわりすることも難しいと指摘されていたのが、2歳を過ぎて歩けるようになりました。
――歩いたときの様子はいかがでしたか?
北村 本格的に療育に通い始めた1歳半くらいのときは、まだ1人で歩けず、先生と両手をつないでヨチヨチ歩きをするくらいでした。
それが10カ月以上療育に通ううちに、2歳になってから歩けるようになりました。当時の写真を見ていると、だんだんできることが増えていく様子が思い出されます。
――できることが増える様子を間近で見られていかがでしたか?
北村 はい。生まれてからずっと一番近くで寄り添ってきたので「こんなこともできるようになったんだなあ」と感慨深かったです
偏見のかたまりのようだった私ですが、療育に通うことを決断してよかった、とも思いました。
長男を見ていると早期に療育を始めることは本当に大事だなと感じます。
同時に、「社会をよくしていくためにはどうしたらいいんだろう」ということもずっと考えていました。
私が警察を退職したのは、長男が早産で生まれ「障害が残るかもしれない」と言われたからでした。長男の成長をそばで見守っていこうという気持ちと、長男が大きくなるまでに、障害があっても困らないよう、社会をよくしていきたいと思ったんです。
でも、どのように社会をよくしたらいいのか、具体的なイメージはありませんでした。
長男の療育に付き添ううちに、療育や教育について考え、勉強するようになりました。
通える療育施設がないのであれば、自分で作ることに
療育はもちろん、ふだんも長男と一緒に過ごすことが多かったそう。
――具体的に、どんなことを勉強し始めましたか?
北村 インターネットで入手できる発達障害や療育の論文をかたっぱしから集め、毎日のように読みました。国内のものだけでなく、世界中のものをプリントアウトしたりでボロボロになるまで読みこみ、付箋だらけになったものもあります。具体的にどれくらい読んだかは記録はしていませんが、かなりの本数の専門論文を読んだと思います。100とか200とかで済むボリュームではなかったと思います。
すると、どの文献にも「発達障害は早期発見、早期療育が重要」と書かれているんです。療育を受けた子とそうではない子にどれくらい違いがあるのかというデータもあり、かなりの差が開いていました。
それを見て、「長男にももう少し療育を受けさせてあげたい」と思いました。長男は2017年、2年間通った療育を卒業していたんです。でも同世代の子に比べると運動面などで心配がありました。専門的な療育を受け続けたいものの、なかなか通える場所が見つけられなかったんです。
通える場所がないのだったら自分で作ろうと思い、2019年4月「エコルド・グループ」を立ち上げ、専門的な療育施設の運営などを行うことにしました。
現在は、専門的な療育を受けられ、保育もでき、送迎もできて親も仕事ができるという施設、全国で35施設とつながっています。
通える療育施設がないのであれば、自分で作ることに
「子どもたちが自分らしく過ごせる社会を作りたい」と北村さんは言います。
――とても精力的に活動されていると感じます。
北村 子どもの療育はもちろんですが、親が子どもの相談をしやすい場所を作りたいとも考えています。
2016年ごろ「発達障害児の親の会」を主宰していました。障害児のママ、パパはどんな思いを抱いているのか知りたかったんです。
すると、ママ、パパたちは子どもたちについて話をする場所がないんだと気づきました。
あるママは学生時代の友だちに「この子は心配な部分がたくさんあるんだ」と相談をしたそうです。すると友人には「大丈夫、ほうっておいたら勝手に成長するよ」と言われたそうです。
もちろんその友人は、励ましのつもりで話したんだと思います。でも、そのママからしたら「特性が原因の困りごとなんだから、そのままにしていいわけがない」と話がかみ合わないのを感じたそうです。
私自身も、長男が療育に通うかどうかくらいのときに、子どもについて相談できる場所がないと思いました。
正確に言えば、そのころでも今でも相談する場所や制度はあるんです。でも、情報を見つけるのがとても難しくて。自分からどんどん探して、たどりつかない限りは支援を受けられないのが現状です。
だから、子どもはもちろん、親へのサポートもできればと考えています。
「発達障害」という言葉がない社会にしていきたい
北村さんは現在、講演活動にも積極的に取り組んでいます。
――北村さんが2019年に起業した当時と現在では、社会は変わってきたと思いますか?
北村 残念ながら、あまり変わっていないと思います。やっぱり偏見は残っているように感じますし、保育園や幼稚園の中では、発達障害の子は受け入れないというところもあります。
療育を必要としている子どもが受けられないケースや、私がもしかしたら陥っていたかもしれないように、親が子どもの特性を認められずに通えないということもあります。
でも少しずつですが、知識などは浸透しているようにも感じます。以前、療育に通うお子さんをスタッフが車で自宅まで迎えに行った際、通報されたことがあります。
「大きな男性が泣きじゃくる子どもを車で連れ去ろうとしている」と誤解されたようで・・・。私のところにも警察から問い合わせが来たので「あの車は療育施設のもので、子どもを送るところでした」と答えました。
すると、そのときの刑事が「なるほど、療育施設の送迎だったんですね」と納得した様子でした。
私が警察で働いているときは療育という言葉は一般的ではなかったと思います。でも今は、療育であること伝えると、それ以上詳しく説明をしなくても「かんしゃくを起こしている子に対応をして療育に連れて行くところだったんだ」というところまで、理解してもらえるようになっているんだと感じました。それは大きな変化ではないかと思います。
――社会的に大きな変化は見られなくても、ひとりひとりの知識などは増えているのかもしれません。
北村 私はいずれ「発達障害」という言葉をなくしていきたいです。「障害」は、本人が困っているから「障害」なんです。
障害や特性があるために、いじめや虐待などつらい思いをして精神疾患を発症したり、引きこもりや不登校になってしまったりする二次障害も、本人が困っているために起きる「障害」です。
だから今の私は、みんなが困らないようにするために、何をするべきかを模索しているところです。
最近「特性」という言葉が一般的になってきました。発達障害という言葉が消えつつある、いい傾向ではないかと感じます。
やるべきことはたくさんありますが、ひとつひとつに取り組み、みんなが住みやすい社会にしていきたいです。
お話・写真提供/北村耕太郎さん 取材・文/齋田多恵、たまひよONLINE編集部
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「発達障害があっても困らないためには、まず自分にどんな特性があるのか理解することが大事だと思います。自己理解するためのしくみづくりもしていきたいです」と北村さんは話してくれました。個人の意識を変え、みんなが住みやすい社会をつくりたいという思いが伝わってきます。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
北村耕太郎さん(きたむらこうたろう)
PROFILE
元警察官。2015年に生まれた長男に知的障害と発達障害があるとわかり、警察を退職。2018年に個人事業主として専門性ある母子分離型送迎付き児童発達支援エコルド・グループ立ち上げ、全国展開。現在は新たな立場で「発達障害にさせない社会」に向けて活動を続ける。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年8月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
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