おとなしくて育てやすい子だと思ってた息子。生後11カ月のときに病院で言われた言葉で、これまで見えていたものがガラリと変わった【体験談】
障害がある長男と、3歳の長女と公園に行ったときの様子。
北村耕太郎さん(42歳)が、早産だった長男に障害が残るかもしれない・・・と告げられたのは2012年のこと。それを聞いた北村さんは、長男のために警察官を退職し、障害があっても困らない社会を作ろうと決意します。発達障害や療育についてもまったく知識がなく、偏見さえあったという北村さんが、どんな思いを経て療育を仕事にしようと決意したのかを聞きました。
全2回のインタビューの前編です。
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予定日の1カ月前、原因不明の早産で生まれた長男
警察学校を卒業したときの北村さん。
――北村さんは元警察官とのこと。警察官を目指した理由を教えてください。
北村さん(以下敬称略) 子どものころ、シンプルに「おまわりさんってかっこいい」とあこがれていました。成長してもその思いを抱き続け、夢を実現しました。
最初は広島県警に就職して働いていたのですが、そのときに栄養士の妻と出会い、結婚しました。長男を授かったのは2012年です。予定日より1カ月早い早産でした。
――長男が生まれたときの様子を教えてください。
北村 結婚後、私は大阪府警に異動をしていました。妻の妊娠の経過は順調で、何も問題もなく妊娠期を過ごし、里帰り出産を予定していたので、広島へ帰っていました。
予定日の1カ月前くらいの私が夜勤の日、警察署の中にある当直室で寝ていたところ、突然、義理の姉から電話があったんです。なんだろうと思って電話に出ると「急に産気づいて、赤ちゃんはもう生まれました」と言うんです。予定日までまだ日があると思っていたし、出産時は広島に行こうと思っていたので、とてもびっくりしました。
翌朝、休みをとって急いで妻と生まれたばかりの長男がいる病院に駆けつけました。すると、妻が大泣きしていたんです。
――早産の原因は何だったのでしょうか?
北村 そのときの医師に説明によると、原因はわからない、と。長男は出産時に低酸素状態になっていたとのことでした。生まれたばかりの長男の出生体重は2198グラム、身長は47センチと、体も小さかったです。
医師から「障害が残るかもしれません」と言われたことを今でも鮮明に覚えています。医師からの「障害が残る」という言葉を聞いたとき、唐突に「警察官を辞めよう」と思ったんです。
周囲に猛反対されるも、長男のために警察官を辞める行動に
おすわりが得意ではなかった長男、1歳のころ。公園のぞうの遊具で遊びました。
――なぜ辞めようと思ったのでしょうか?
北村 「この子は今後、どんなふうに成長するんだろうか?もし障害があったら将来、犯罪に巻き込まれてしまうかもしれない」と心配したんです。長男のために私が行動しなくては・・・と。
もちろん障害のある人が、かならずしも犯罪にかかわるわけではないし、障害が犯罪の原因になるわけでもありません。でも、当時の私には知識がまったくなくて、ある意味偏見があったことは否めません。
また、長男が生まれる以前から、警察官として「私たちがどんなに犯人を捕まえても、犯罪がまったく減らない。いくら頑張っても社会がよくならないのはどうしてだろう?」という歯がゆい思いがありました。
当時私は大阪府警で、殺人事件や強盗事件の担当をしていたのですが、容疑者の話を聞いていると「この人が犯罪を犯す前に、だれかが手を差し伸べていたらこの事件は防げたのでは?」と感じることも少なくなかったんです。とはいえ、警察に所属している自分にできることは限られています。
長男の障害の可能性を聞いたときに、長男が成長するまでに、社会をよくするために行動しなくては!と、強く思いました。
具体的に何をするかは決めていなかったのですが、まずは警察官という仕事を辞めて、退路を断って次のことにトライしようと決めたんです。
――北村さんの決断に、周囲の人も反応はどうでしたか?
北村 長男が生まれて1週間くらいで、職場に「辞めます」と伝えました。キャリアも順調だったので、周囲からは「何を考えているんだ?考え直しなさい」と猛反対されました。
退職を賛成してくれたのは妻だけでした。子育てのことすべてを1人で抱えるのは不安だったというのもあったのだと思います。管理栄養士だった妻は育休中で、復職を予定していました。2人で話し合い、育休が明けたら妻が働き、私が息子の世話をすることにしました。
おとなしくて手がかからない長男を、とてもいい子だと思っていた
警察を退職後は、多くの時間を長男と一緒に過ごしていたそうです。
――赤ちゃんのときの長男はどんな様子でしたか?
北村 生後6カ月のころまでは最高に育てやすい子だと思っていました。あんまり泣かないし、寝返りもうたない、はいはいもしない、ほとんど動かないから、あわてることもない・・・。後追いで困らせられることもありませんでした。
「長男が心配で警察官を辞めたけれど、こんなにいい子だったら仕事を辞めなくてもよかったのでは?」と思ったほどです。
あとから振り返れば、まったく手がかからないのが問題でした。長男が泣かないのは、周囲に興味がないからで、自分から動かないのは発達がゆっくりだったからでした。こうしたことに私はまったく気づいておらず、おとなしくて育てやすい子だと思っていたんです。
のんびりとしていた私に対し、妻は「なかなか目が合わない、上手にミルクが飲めない」などと育てにくさを感じ、悩んでいたようです。育児書などを見て「うちの子は発達がゆっくりかもしれない」など、不安がっていました。
生後6カ月のころ、6カ月健診を受けるためにクリニックに行きました。そのときに医師から伝えられた言葉が衝撃的でした。
発達の遅れを指摘され、これまで見えていたものがガラリと変わる
1人で車のおもちゃで遊ぶのが好きでした。
――どんなことを言われたのでしょうか?
北村 「あなたのお子さんはいい大学には通えません。あきらめてください」と言われたんです。言っている意味が理解できず、「何を言っているんですか?」と抗議のように質問を返しました。
障害があることの事実上の告知でした。
医師によってはオブラートに包む言い方をすることもあると思いますが、このときの医師はバッサリと簡潔な言葉で伝えることを選んでいました。今になってみれば、はっきりと伝えてもらえてよかったと感じます。でもそのときはただただびっくりしました。
医師は「お子さんは月齢のわりにはできることが少ないです。寝返りができていないことや、きちんとおすわりできていない、はいはいもできない、そのこと自体が心配です」と言うんです。
これまで私に見えていた世界がガラリと180度変わりました。「この子はすごく育てやすいいい子」と思っていたけれど、発達がゆっくりだったんだ、と気づいたんです。
――その後、どんな対応をしましたか?
北村 セカンドオピニオンやサードオピニオンを聞きたく、4~5カ所の病院に行きました。寝返りやおすわりができないことを整形外科の医師に見てもらい、発達専門の医師にはほかの子と遊ぶ様子などを観察してもらいました。でも、どの医師も「発達は遅れていると思うけれど、現時点ではなんとも言えません。様子を見ましょう」という回答でした。
親の立場からしたら、なぜ長男の発達がゆっくりなのか、理由や原因を知りたかったです。
さまざまな病院を転々としていたとき、医療型児童発達支援センターが併設されている病院を紹介されました。そのとき長男は生後11カ月になっていました。
その病院を受診すると、長男の様子を見た理学療法士は、子どもの成長の様子が書かれた大きなボードを持ってきて「お子さんの発達は、平均的な成長よりかなり下回っています。今頑張れば、その差はせばまっていくかもしれません。頑張るというのは、療育に通うことです。すぐにでも通ったほうがいい」と言うんです。
さらに「この子は、お父さん、お母さんのことを認識していません」とも言われました。乳幼児期には保護者を特別な存在だと認識し、絆が育まれる「愛着形成」が大切だとされますが、私たちと長男の間にはそれができていなかったんです。
後追いをしなかったのは、それが原因でした。私たちが理学療法士と話している間も、長男は私たち夫婦と離れていても泣くこともなく、1人でおもちゃで遊んでいました。体の面でも背中が曲がっている側弯症も指摘され、このままではきちんとおすわりもできないと言われました。
療育をするかどうかで子どもの未来が変わると指摘され、気持ちに大きな変化が
現在の長男は特別支援学校の6年生で、現在3歳の妹とも仲よく過ごしています。
――指摘を受け、療育に通ったのでしょうか?
北村 はい、2014年11月から病院に併設された療育園に通うことにしました。
最初は1週間に1回だけリハビリに通っていたのですが、しばらくして「週に1度といわず、4月からは週5日、本格的に通ったほうがいい」と言われました。
私は、長男の発達の遅れを、頭では理解していたつもりだったものの、そのときはまだ、きちんと受け入れきれていなかったんです。
療育園に通う子の中には、重症心身障害児や、肢体不自由児、知的障害の子もいました。その様子を見て「うちの子は、この療育園に通っている子たちよりできることがたくさんあります。障害の重い子と一緒に通所すると、影響を受けてさらに発達が遅れてしまうのでは?」と、とんでもないことを質問してしまいました。
――療育の先生からの答えはどのようなものでしたか?
北村 先生からは「今、ご両親の前には2つの選択肢があります。1つは療育に通うことを決めて、お子さんが将来自立できるよう、自分でできることを増やしてあげる可能性を考えること。
2つ目は障害を認めたくないという親の気持ちを優先すること。その場合お子さんの可能性はすべて断たれ、今後一生、全介護が必要になるでしょう。どちらを選ぶかはご両親しだいです」と言われたんです。
厳しい言葉でしたが、はっとしました。そのとき妻は、少しでも早く療育を受けさせたいと思っていたようです。それで1歳4カ月になった2015年4月から、週5日療育に通うことになりました。
偏見や差別のない社会を作っていくために挑戦を
療育では理学療法士や言語聴覚士の指導のもと、さまざまなリハビリが行われました。
――療育はどれくらいの期間通ったのでしょうか?
北村 療育には約2年通いました。1年目は、週5日、親子で通院しました。自宅から療育園には車で片道1時間半ほどかかりました。
2年目には、保育園にも入園し、保育園に週2日、週3日を療育園に通う生活になりました。
現在の長男は、中度知的障害と発達障害があると診断され、特別支援学校に通っています。
私も猛勉強して、療育に関する会社を立ち上げました。
――療育にかかわるようになり、どのように考え方が変わりましたか?
北村 先ほど話したとおり、長男に障害が残るかもしれないと医師から指摘されたとき「犯罪に巻き込まれるリスクが高いかもしれない」と思いました。でもそれは大間違いでした。犯罪リスクが高いとしても、その原因は障害そのものにあるわけではありません。
残念ながら偏見の多い現在社会では、障害や特性のある人は、いじめや虐待、ハラスメントなどを受けがちです。もともとの障害や特性に加え、自己評価が下がり、環境や人間関係への不適応や、うつ状態や不安障害などの精神疾患、不登校などの行動上の問題が起こる「二次障害」が起きるおそれがあります。
それにより敵対的、迫害的な人間関係ができてしまい、青年期になったときに犯罪リスクが高まる可能性があるんです。
でも、そのリスクは差別や偏見がなくなり、社会全体が変われば減っていくはずです。
長男が生まれたことで、私の人生は大きく変わりました。発達障害を中心に、障害者や障害児への偏見や差別がない社会を作っていきたいという思いで、日々活動しています。
お話・写真提供/北村耕太郎さん 取材・文/齋田多恵、たまひよONLINE編集部
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北村さんは「以前は障害や発達障害への知識がまったくありませんでした」と、包み隠さず話してくれました。警察官を退職して社会を変えようとしている行動力は、大きな影響をもたらすはずです。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
北村耕太郎さん(きたむらこうたろう)
PROFILE
元警察官。2015年に生まれた長男に障害が出ることを指摘され、警察官を退職。その後長男は中度知的障害と発達障害と診断される。2018年に個人事業主として専門性ある母子分離型送迎付き児童発達支援エコルド・グループを立ち上げ、全国展開。現在は新たな立場で「発達障害にさせない社会」に向けて活動を続ける。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年8月の情報であり、現在と異なる場合があります。
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