小学校時代の家庭科の授業が私の料理の原点

小学校時代の家庭科の授業が私の料理の原点

私は自他ともに認める食いしん坊だ。料理が好きというより、食べるのが好きだから、食べたいものを食べるために料理をしてきたし習得してきた気がする。加齢とともに年々食べられる量は減ってきたし、食べる量と反比例して体重は増加傾向にあるのは残念だけど、それでも食い意地と食べたい欲と食に対する好奇心、探究心は全く落ちない。

作って食べるのも外食もどちらも好き。外で美味しいものを食べると、「これ作りたい!」と思うし、新しい発見や知見も得られてとても楽しい。なので、「仕事帰りにちょっと飲んで帰る」の代わりに「今日はちょっと研修行ってくる」なぁんて隠語のように言うし、すごく美味しいものを食べた日は、「いやぁ、厳しい研修だったわぁ」なぁんて言っている(笑)。

そこそこ料理もできると思っているけれど、料理教室的なところに行ったことも、人に教わったこともないので、おそらく当たり前の基本を知らなかったりする(笑)。タイへ旅行に行った時に、一度だけ旅行者向けのタイ料理教室に参加したけど、非常に楽しかった! そして今週末は、スリランカ料理を習いに行くのが今からすごく楽しみだ。

料理をちゃんと習ったことはないけれど、強いて言うなら母からは学んだ気がする。母は私の数倍器用で、数倍料理もうまい。子供の頃から食事はもちろん、パンやお菓子など、ほとんど母の手作りだけで育ってきた。何でも作ってくれるのを見ているのは大好きだった。でも毎日の食事の準備はほぼ手伝いなどしたことがなかった。母はおそらく自分のペースを崩されるのが嫌いだったのだと思う。

「やりたい!」と言うと、時々一緒にお菓子作りなどはさせてくれたので、私の料理の入り口はお菓子作りからだった。そんな私が普通におかず的なものを作ったのは小学校の家庭科の授業だったと思う。授業でいろいろ作ったのは覚えているけれど、特に印象的でいまだに鮮明に覚えているし、私が料理の面白さに目覚めたきっかけになったのは「胡瓜とわかめの酢の物」と「かぼちゃのそぼろ煮」の2つだ。

胡瓜とわかめの酢の物に関しては正確に言うと、胡瓜の半月切りなのだけど。胡瓜を切るときに、私は初めてまともに包丁を握った。「添える手は猫の手にして……」なんていうのも、ここで教えてもらった。そして初めてトントントンと胡瓜を切ったら、めちゃくちゃ上手にできたんだ。強烈な成功体験だった!

復習として、家で家族に振る舞うことになったのだけど、(当時の感覚だから実際は分からないが)母と同じくらいの速さで包丁を使える自分に感動したし、めちゃくちゃ楽しくてハマった! 夏休みに入り、毎日数本の胡瓜をひたすら切りまくった。三つ子の魂百までと言うけれど、私は今も昔も、何かにハマるととことんハマり、そしてパッと飽きる(笑)。毎日胡瓜を切るときは、昨日の自分に勝てるかみたいな自分との戦い。恐ろしいほどに胡瓜を速く薄く切れるようになった。

塩揉みをすると水が出てくる浸透圧の原理もすごく面白かった。とはいえ、酢の物は好きではないので、そのまま食べていたけれど。この成功体験が「私が料理が得意」という謎の自信の原点だ。得意料理は「胡瓜の半月切り」(笑)。

そして人生において一番多く作ったであろう料理は「かぼちゃのそぼろ煮」だ。今も時々作るし、かぼちゃ料理といえば、私の中でやっぱりかぼちゃのそぼろ煮である。これも小学校の家庭科の授業で習ったもの。火を使って、調味料も使って、野菜炒めよりもちゃんとした「料理」って感じのメニューだった。

家ではかぼちゃの煮付けしか食べたことがなかったので、かぼちゃに肉を合わせるというのも私の中では斬新なメニューだったし、かぼちゃの面取りなんて、まるで料亭の料理人になったような気分になる。面取りかっこいいー! って、どんな感情なのか分からないけど、私にとって特別にかっこいい作業だった。

かぼちゃが隠れないくらいの水分量でしっかり全体に味が染みるのも不思議で面白い体験だった。切る、焼く以外に、煮るを知った私は、これまた自信満々に家で作りまくった。鶏ひき肉とかぼちゃを毎日用意してもらい、毎日作った。「そろそろ、かぼちゃは勘弁してくれー」と、父からの懇願とともに私のそぼろ煮ブームは去ったけれど、このそぼろ煮のおかげで、複数の調味料を合わせて煮るということが明確に理解できるようになり、母が作ってくれている毎日の料理への解像度がグッと上がって、その後は見ているだけで自然に覚えていった。

実家ではその後も食べる専門でご飯を作ったことなんてほぼなかったけど、大学進学後に一人暮らしを始めた時、「私ったら料理めっちゃできるじゃん!」と感動したものだ。母に「あれの味付けなに?」と好きだったおかずのレシピを電話でちょっと聞いたりするくらいで一緒に作りながら料理を学ぶということはなかったけど、まさに「門前の小僧、習わぬ経を読む」状態で、食べたことのあるものなら大体作れた。その状態で1人暮らしができたのだから、母にはもちろん、この2つのメニューには深い感謝と思い入れがある。

そして、自分のことながら、子供の感性と吸収力ってすごいなぁと感動する。たった2つのメニューが人生において大きな起点というか、自分の好きとか得意とかにこれだけの影響を与えてくれたし、点と点が結びつくというか、分からないことがブワーッと繋がって一気に見える世界が変わった。

ちょうど先週と今週に胡瓜とかぼちゃを人からいただいて、めちゃくちゃ懐かしい気分と「大好きだ」という気持ちを思い出した。あれから40年近く経つのに、かぼちゃのそぼろ煮をするときだけは丁寧に面取りをするという癖は抜けない(面取りした部分はきんぴらにする)。ほかの料理の時にそんなことわざわざしないのに。そして、「そろそろ、かぼちゃは勘弁してくれー」と困ったように笑う父の顔が同時に思い出される(笑)。秋ごろ両親がこちらに遊びにくる予定なので、いつかの夕食にかぼちゃのそぼろ煮を作ろうっと。