「べらぼう」佐野政言はなぜ凶行に至ったのか?矢本悠馬と作り上げた衝撃回の裏側

「べらぼう」佐野政言はなぜ凶行に至ったのか?矢本悠馬と作り上げた衝撃回の裏側

 横浜流星主演の大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(毎週日曜NHK総合よる8時~ほか)の13日放送・第27回「願わくば花の下にて春死なん」のラストで、矢本悠馬演じる佐野政言(さの・まさこと)が田沼意知(宮沢氷魚)へ刀を抜いた。友好的だったはずの二人の関係はなぜ破綻したのか。第27回の演出を手掛けた大嶋慧介ディレクターがこの回で「最も難しかった」という佐野を巡る演出の裏側を語った(※ネタバレあり。第27回の詳細に触れています)。

佐野が凶行に至るまでの心情をわずか1回でどう描くのか--

 大河ドラマ第64作「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」は、江戸時代中期、貸本屋から身を興して書籍の編集・出版業を開始し、のちに江戸のメディア王として時代の寵児となった蔦屋重三郎(横浜流星)の物語。第27回は、佐野政言という武士の魂が壊れていくさまを克明に描く痛切なエピソードだった。演出を担当した大嶋ディレクターにとって最大の挑戦は、温厚に見えた佐野が凶行に至るまでの心の変化を、いかに説得力を持って描くか--。その答えを「単純な狂気」に求めることを拒んだ。

 「政言の変化をどのように表現するのか、27回で一番難しかったところですね。あの瞬間、なぜ佐野は刀を抜いたのかっていうのが一番大きな難問でした。そのうえで、“こうだから殺した”っていう、分かりやすい理由づけはしたくなかった。なるべく視聴者の方にも“なんでだろう?”と謎が少し残る状態を保ちたかった。一方で、突発的に“この人は単純な狂人なんだ”というふうに見えてしまうのも嫌だったんです。あくまで一人の人間が、さまざまな要因が重なって、そうしちゃったんだな……というふうに見えるように、というのはすごく心がけました」

 尊敬する人であり、希望の光でもあった意知に刃を向ける政言。その常軌を逸した行動の裏には、演じる矢本本人でさえも言語化できないほどの複雑な感情のうねりがあったはず。その難解な問いに、矢本は見事に応えたという。撮影前の綿密な打ち合わせを経てカメラの前に立った彼は、もはや矢本悠馬ではなかった。

 「矢本さんとも“どうしましょうか”と、お芝居の積み上げ方については、かなりご相談しながら作っていきました。矢本さんもいろいろ考えてきてくださって。撮影が始まったら、もう完全に佐野なんです。矢本さんは相当考えて緊張もされて準備してこられたと思うんですけど、僕の方は現場では手ごたえを感じながら安心して(芝居を)見させていただきました。シーンの始まりに“じゃあこのシーンはこう行きましょう”とお話しすると、矢本さんがその瞬間の佐野をちゃんと立ち上げて見せてくださっていたので、すごいなと思いながら、ただただその芝居を撮っていた感じです」

「丈右衛門だった男」とクレジットされる男の存在

 佐野政言の悲劇は、一つの出来事が引き起こしたものではない。彼が信じ、尊敬していたはずの意知に対し、噂や評判、さらには策略にも似たような“嘘か真かの囁き”が少しずつ降り注ぐことで、疑心暗鬼になっていく。信じたいけれど信じられない--そんな機微をわずか1話の中で表現しなければいけない。

 「ポイントを1点に絞るというよりは、複数のことが積み上がっていく感じに見せたいと思っていました。彼は騙されているのですが、実は吹き込まれていることの中には、本当のこともあったりするんです。意知って、単に清廉潔白でイイ人なわけじゃない。劇中でも描かれましたが、実は本当に家系図を投げて(劇中で投げたのは田沼意次)駄目にしているし、吉原に通っているのも本当。全くの嘘じゃないんです」

 さらに街中ではさまざまな噂が飛び交う。そこには田沼に対する妬みも含まれ、真偽は確かではないが、政言の心が追い込まれていく。「そんななか、謎の男が与えた新たな情報が刺激となって、政言の心に何かが生まれてしまう。そして悪いタイミングで積み重なっていった時に、刀を抜くってところまでいったのかなと。少しずつ層が重なって、そこに届いてしまう、というイメージで演出をしていました」

 政言をそそのかした謎の男の役名は、矢野聖人演じる「丈右衛門だった男」とクレジットされている。丈右衛門といえば、安田顕演じる平賀源内が投獄された事件への関与が疑われる人物だ。彼の存在は物語にミステリーの色合いを加えるが、大嶋ディレクターは彼を単純な黒幕として描くことを避けた。

 「作っている方としては、あの時の“丈右衛門”だよっていうふうには見てもらいたいと思っています。ただ、だからといって“彼が全ての元凶”というふうにも見せたくなかった」と意図を説明する。そこには、この悲劇は、登場人物それぞれの正義と弱さが複雑に絡み合い、一つの結果を生んでしまったという重層的な構造によって生まれたものだという強い思いがある。

 そんな物語の紡ぎ方こそが、脚本家・森下佳子の真骨頂だと大嶋ディレクターは言う。「とにかく台本がすごくしっかりしているので、僕がモヤモヤと悩めるだけの自由がある。その中で作らせていただいているっていうのが、大前提としてあります」

 そして、斬られた意知自身もまた完全無欠のヒーローではなかった。むしろ、彼の人間的な弱さや隙があったからこそ、物語はより深い奥行きを持つことになった。

 「宮沢さんともかなり密にお話ししました。宮沢さんが今まで作り上げてきた意知像があって、そこにプラス、個人的にはこれまで見たことのない表情も見せたいと思ったんです。これまでは冷静で頭の回転の速い“プリンス”という感じだったのですが、第27回では、なるべく人間らしい面を、誰袖(福原遥)や父・意次(渡辺謙)に対して出したい。こういう面があったんだと。その点も、演出の目標としてありました」

 政言の凶行は「さまざまな事象が重なって起きた悲劇」と大嶋ディレクターは語るが、一方で情報に翻弄され信じる心を失い、絶望の淵に立たされた人物という、現代にも通じる普遍的な物語でもある。そんな複雑で痛切なテーマに対して「矢本さんは、すごく丁寧に表現してくださいました」と大嶋ディレクターは感謝を述べていた。

 次週・20日は「参院選開票速報 2025」のためBSP4K午後0時15分、BS・BSP4K午後6時、総合夜8時のすべて放送を休止。第28回は27日に放送される(取材・文:磯部正和)